Sat 090207 66年「源義経」 09年「浪花の華」 鶴見の総持寺に父の墓参りに出かける | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 090207 66年「源義経」 09年「浪花の華」 鶴見の総持寺に父の墓参りに出かける

 2月7日、ふとCSの番組表を眺めていたら「時代劇専門チャンネル(CS234)」で「NHK大河ドラマ」のアーカイブスをやっているのを発見。7日に放送されたのは、1966年放送、尾上菊之助(現尾上菊五郎)主演「源義経」のうち、第33回「壇ノ浦」である。生まれて最初の記憶と言ってもいいこのドラマの中でも(Mon 080825参照)、能登守教経や平知盛の入水の場面など、特に印象的なシーンが満載の回である。これから先も毎週土曜日夜8時からこの企画が連続するらしい。「源義経」は、来週が最終回の「雲のゆくえ」で、高舘での弁慶の立ち往生と義経の最後。昨秋亡くなった緒形拳の弁慶である。緒形拳については、その死のニュースを聞いた直後のブログで「宙を見つめたままの死だったと聞いて、あの弁慶の立ち往生のシーンをもう一度見せてほしいと願った(Tue 081007)」と書いておいた。早速願いが叶うわけだが、緒形拳の凄まじい力技をモノクロで見るチャンスだし、「バレンタイン」とは全く無関係に、来週が大いに楽しみである。話がどこまでもそれていくといけないから今回は差し控えておくが、バレンタインっぽい話になるなら、緒形拳については1998年「チョコレート革命」も悪くない。NHKアーカイブスで探してみるのも悪くないだろう。
 

 「源義経」の直前、土曜夜7時半からのNHKは「浪速の華」である。栗山千明の、誰が見ても女と解る(解らなかったら、少なからず変)何の意味もない「男装」を見ながら、「こんな男装では無意味だ」と思ってはいけないのだ。これは「男装した女性が好きな女性」や「男装した女性に惹かれる男性」を引きつけるための男装であって、ということは「誰が見ても一目で女と解る男装」でなければ、逆にその方が無意味になるのだ。2009年のNHK職員にもこういう趣味があるし、「緒方洪庵の時代にも同じような趣味があったんだな」と考えながら見ていると、これはこれで十分に楽しいのである。関西に宝塚文化が根付いた経緯にも思い至る。

 

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(いじけることもある)


 そういうふうでいろいろ面白いドラマなのかもしれないが、「若き緒方洪庵」なるものが、やたら唇をワナワナさせ、やたら目をむき出してガタガタするのが目障り。他人のちょっとした皮肉でいちいち物凄く傷ついたり、すぐに落ち込んでムクれて医学を諦めようとしたり、ナレーションでは「本の虫」ということになっている「若き洪庵」がちっとも本の虫でも何でもなくて「男装の栗山千明」に夢中になり、ブルブル震えながらあっちへフラリこっちへフラリほっつき回ったり、現代の医学部生の現実を重ねあわせているのだろうが、ちょっとやりすぎである。「こんなじゃ、医者は無理かも?」と、おそらく日本中が思っている、というか、見た人はみんなそう思っている。フジかTBSの21時台のドラマで、医学部生の日常でも描いたドラマを作れば、栗山の男装がなくなるぐらいで、ちょうどこんな感じか。「栗山の男装」の代わりに、成海か堀北の「ちょっと暗い影のある画学生」ぐらいを入れれば、それで視聴率はいくらでも稼げそうである。


 で、「源義経」であるが、ナレーションはすべて「である」「なのだ」体。当時の公害病についてのドキュメンタリーでも見ている感覚である。そこへ音楽が武満徹という段階で、もう普通のコドモなら恐くて近づけない迫力が解るだろう。10分近くナレーションさえ入れずに延々と続く残虐な戦闘シーンは今の大河ドラマにはありえないが、武満徹の音楽にのせて、矢の飛び交う音、剣がぶつかる金属音、うめき声と閧の声、海のしぶきの音だけが、一切のセリフを省略して響きあう戦闘シーンは、(少し長過ぎるにしても)当時としては一級の前衛映像と言っていいかもしれない。主役級の俳優はほぼ全員が歌舞伎役者だから、1960年代フランスの前衛映画に、歌舞伎役者が大量に登場した感覚。「前衛映画と前衛音楽と歌舞伎の融合」である。「前衛」という言葉さえ既に死語と化している現状で、是非若い諸君にも(噴き出しながらでもいいから)見てほしい作品である。

 

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(鼻が痒いこともある)


 2月8日は父の命日なので、鶴見の総持寺まで墓参りに出かける。総持寺は「曹洞宗総本山」であって、「これでも横浜か」と不思議になるほどに広く静かな境内に「石原裕次郎の墓」などというものもあって、つい3~4日前の節分の日には、渡哲也とか舘ひろしとか神田正輝とか、そういう石原軍団の人たちが「西部警察」よろしく集まってきて豆まきに興じたりもした。石原裕次郎と言われても私の世代はよく解らない、というか、まあ私のオジサンたちの世代。「1世代前にヒーローだったらしいよん」というだけで、「嵐を呼ぶ男」とか「風速40米」とか言われても、物置に積み上げられてホコリをかぶっている、古色蒼然とした雑誌の山の匂いを思い出すだけである。


 しかし曹洞宗総本山・総持寺としては、石原家というのはたいへん大事な檀家であって、境内にも「裕ちゃんの墓」の案内板がたくさん出ているし、実際今でも「裕ちゃん」の大ファンだという感じの中高年観光客の姿も少なくない。通りすがりにちらっと横目で見てみると、夢のようにデカイ墓で、飾られる花が絶えることもない、というか、お花の係がいらっしゃるのだという。一昨日からの強風は止まず、境内の大木の葉がざわめき、帰宅してからニュースを見ると、東北新幹線が強風で運転を見合わせ、2万5千人が影響を受けたことになっている。まさに「嵐を呼ぶ男」であり「風速40米」であって、「裕ちゃんここにあり」、面目躍如の観がある。


 なお、若い人たちのために教えてあげると「40米」とは「40メートル」のことで、昔の運動会のプログラムでは「100m競走」ではなくて「百米競走」が普通だった。何だか江戸時代の庄屋さまやお代官さまが年貢の取り立てに奔走しそうな競走であるが、つまりこの映画では、大型台風がやって来て風速が40米もある中で、石原裕次郎が大車輪で大活躍するわけだ。おそらく10年か20年前に(ずいぶんいい加減で申し訳ないが)NHKBSかチャンネルNECOか日本映画専門チャンネル(これもまたずいぶんいい加減で申し訳ないが)で見たことがある。


 場面は日本のどこだかよく解らないが、「ギターを抱いた」「宿無しの」「マドロス」だの、「波止場」で「別れのテープ」を握って涙する「カワイコちゃん」だの、「組の用心棒」に身を落とした「拳闘選手」だの、たっぷり注や解説を付けてあげても、10代や20代の人間が見て、素直に理解できるようなものではない。その同時代の日本映画というものは、ウマにまたがった青年が、どこから手に入れたか解らない拳銃をバンバン使用し、どこで練習したのか知らないがこれがまたジョン・ウェイン顔負けの拳銃の名手だったりする、恐るべきものが多い。ある意味、常識で理解できる分、枕草子や徒然草の方がまだマシかもしれないのだ。