Fri090206サトイモ、キウイ、ダルマさん。下北沢から赤坂まで 原稿を書かなければならない | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri090206サトイモ、キウイ、ダルマさん。下北沢から赤坂まで 原稿を書かなければならない

 よく晴れてはいたが「冬型の気圧配置」で強風が吹き荒れて寒くなった。体感温度がぐんぐん下がる中、よせばいいのに床屋に行って、またまたあいもかわらぬ6mmの丸刈り。最初の丸刈りが1999年3月13日だから、これでこの髪型(と言えるほどのものではないが)のまま丸々10年を過ごすことになる。床屋を出たのが夕方、すでに陽は翳り、北風は吹き荒れ、花粉と埃ともしかしたら黄砂(中国内陸部は歴史に残るほどの旱魃なのだから)の混じった早春(立春は過ぎたわけだから)の風が、サトイモによく似た丸刈りの頭を冷やし放題に冷やす。しかし、逆境に強いサトイモ君は、この際、一気に赤坂まで歩くウォーキングを決意。コースは、下北沢→駒場公園→駒場東大前→松濤→観世能楽堂→NHK→原宿→表参道→青山→赤坂である。


 歩き出したのが5時、赤坂到着が7時。タクシー乗れば20分から30分ぐらい、3000円はとられる長距離を相当のスピードで歩き通した。駒場東大前あたりで陽はとっぷり暮れて、風はいっそう冷たくなり、サトイモみたいな頭の毛はさらに短く緑色に変わり、「サトイモ変じてキウイとなる」とでも言いたくなるほどの冷たい夜になったが、さすがにこれだけ歩けば身体も頭も熱くなってくる。たっぷり溜まった皮下脂肪もボンボンメラメラ燃え出して、原宿から表参道に上がっていく道を歩きながら、「おお、脂肪はちゃんとエネルギーに代わるんだ」と実感。ここからはいくらスピードを出しても疲労しないし、歩けば歩くほどもっと歩きたくなる、気分もどんどん陽気にかわって、向こうから坂を降りてくる若い人たち皆に「もっと元気だしなさい」と声をかけたくなる、そういうたいへん危険な中年オヤジに変貌していった。


 ただし、6時半ごろ青山通り「外苑前」を通過したあたりから、季節風の強さが限度を超えて、通行人がみんな楽しそうな悲鳴を上げるほどになった。試しに青山ツインタワーの横でピョンピョン跳ねてみたら、後ろからの風に煽られ風に乗って、帆掛け船みたいにどんどん前進してしまう。もちろんこれは楽しいことこの上ないから、同じ方向に歩いていく若い(かどうかは厳密にはわからないが)男女が、マネをして(かどうかも厳密ではないが)ピョンピョン跳ねながら追い越していく。その姿を後ろから眺めていると、昔の運動部がよくやっていた「ももあげ走」のようでこれまた楽しそうである。夜7時ちょうど、まさに計ったように赤坂一ツ木通りに到着。さすがに2時間のウォーキングは疲れた。ここが限界だろう。

 

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(筆者との酷似。蕎麦屋「長寿庵」のメニューより)


 不況で不景気で日本経済は沈没寸前で、とにかくテレビのニュースを見ていると大恐慌を凌ぐぐらいのたいへんなことになっているのだが、赤坂の飲み屋をのぞいて見る限り、つい半年前までの長い「かげろう景気」の時代と比較して大きく変わった様子はない。みんな元気に焼き鳥を頬張っているし、みんな元気にビールや焼酎を注文しているし、店の中を見回してみると、いけないオジサンたちは一目で「おお、同伴出勤か」と解ってしまうような、明らかに不釣り合いな年齢の(かつ微妙に派手すぎるメイク&バッグ&小物)の若い(かどうか厳密にはわからないが)感じの女性を1名連れている。


 赤坂の焼き鳥屋のカウンターの一番右端の席に陣取って、こういう元気そうな人々を眺めているのは楽しいものである。少なくとも、テレビのニュースで「正社員を含めた人員削減」「不動産会社の経営破綻」「企業の身売り」その他悲惨なニュースばかり20分見せられる(これはほとんど「フケーキ真理教」みたいなものの洗脳のようである)のと比較したら、気分の爽快さは格段に違う。サントリー本社の1階にヴィクトリア何とかという名前のパブがあるが、いつ覗いてみても元気でいけないオジサン連が立錐の余地もないほどタムロしていて、あの店も悪くなさそうである。


 では、私自身赤坂の焼き鳥屋でのんびり日本酒なんか飲んでいてもいいのかということになるが、残念ながら、本当は今頃、参考書の原稿をどんどん書いていなければならない立場なのである。まあ、「こういう、いい意味でムダな夜があるから、逆に本の原稿の方もどんどん進むのだ」とか、そういうカッコいいことを言いたいのであるが、いくら「いい意味で」ムダな夜を過ごしても「逆に」原稿がどんどん捗るなどといううまい話はなかなかないのであって、原稿はサッパリ進まない。もっと気分が鬱屈してくると「いい意味でムダな」ヨーロッパ旅行に2週間ぐらい「ブラリと」出かけて「逆に」どんどん原稿を仕上げる、そういうことに憧れてしまうのだが「逆」だったり「いい意味」だったりすることはまず期待しない方がよくて、いくらでもムダをして、いくらでも悪い方へ悪い方へと進んでいく。


 飲み屋で「逆に」「逆に」と連発するオジサンの発言をいくら我慢して聞いていても、実際には全然「逆」でも何でもないわけだし、タレントなりOLなりが「いい意味でエ」と言っても、厳密には全然「いい意味」でも何でもない、あれと同じことである。「要するにイ、例えばア」という恐るべき発言と同じで、やっぱり支離滅裂。原稿を捗らせたかったら、「いい意味」も「逆」も一切なしにして、ひたすら閉じこもり、ひたすらPCに向かい、1行でも2行でも書き進める方がはるかに効率的なのである。読書でも受験勉強でも同じことで「ちょっと気晴らしした方が」「たまには思いっきりハメをはずして」「気分転換しないと」などというのは、ただの言い訳に過ぎない。余程の天才でもない限り、まず確実に失敗と引き延ばしと崩壊につながる。

 

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(一ツ木通り、赤坂不動尊)


 実際、「今年は7冊出します」と宣言して、早速まもなく1冊書店に並びそうなのはいいとしても、2の矢3の矢が続かない。1週間ぐらい集中すればすぐに仕上がりそうな原稿もあるのだが、3/28つまり1/9弱が出来たところで気が緩み、もう10日近く怠け続けている。少し言い訳すれば、鹿児島・佐賀・平塚と続けざまに講演会があったことが原因になっているのだが、ごく普通に考えて、この程度の労働は日本中の中年男性がもう何十年も連日耐え忍んできた労働なのだし、疲労度だって別に取り立てていうほどのものではない。少なくとも、若い受験生諸君に偉そうにいろいろアドバイスを送るからには、こういう気の緩み方は自分に許すべきではないのだ。10日から、大阪・宮崎・大阪・横浜と4連続の講演会になるが、ま、空き時間でも移動時間でも出来る限りPC(アップルですが)を開いて、「1行でも2行でも書く」姿勢を貫かなければならない。既に2月6日、1年の1/9が過ぎようとしているのに、執筆は予定の1/7しか終わっていないのだ。


 おお。これは立派な決意である。受験生諸君は、こういう真摯な態度を学びたまえ。書く者は「1行でも2行でも進む」、読む者も「1ページでも2ページでも進む」、学ぶ者は「1問でも2問でも解く」、働く者は「1本でも2本でも電話かけをする」。遠大な目標より、手近な1つ2つの手数(てかず)の勝負なのである。おお、自分に出来ないことほど、その分、切実なアドバイスにつながるものである。

1E(Cd) Alban Berg Quartett:HAYDN/STREICHQUARTETTE Op. 76, Nr. 2-4
2E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
3E(Cd) Fischer & Budapest:MENDELSSOHN/A MIDSUMMER NIGHT’S DREAM
4E(Cd) Coombs & Munro:MENDELSSOHN/THE CONCERTOS FOR 2 PIANOS
7D(DvMv) BASIC INSTINCT
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