Fri 090130 講演会で鹿児島へ いろいろな訛と「乗り鉄」田中眞紀子議員の国会質問について | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 090130 講演会で鹿児島へ いろいろな訛と「乗り鉄」田中眞紀子議員の国会質問について

 これを書いている段階で1月31日土曜日、午後4時半。講演会ラッシュが今日からスタートして、今は鹿児島、このあと19時過ぎから講演会の予定になっている。昨日から東京は強い雨になり、昨日の午後からは雨風ともに強まって千葉県北東部には暴風警報も出た。いつも通り、天気予報というものはやたらに大袈裟だから「雷を伴った暴風雨に注意」ということになって、ちゃんと飛行機が飛んで鹿児島入りできるかどうか不安になるほどだった。雨は今朝まで降っていたが、ピークは昨夕ぐらい。「雷を伴う」こともなくて、今朝10時頃には雨も風も止んでいた。私はバカだから、雷とか暴風雨とか大雪とか吹雪とかが(もちろん被害が出るのは困るが)大好き。注意報とか警報が出ている中を出歩くと、何だかヒーロー気分の華やかさがあって浮かれてくるぐらいだから、雨も風もおさまった後の東京はキライである。華やかな風も雨も雪もない、冬の曇り空の東京は侘しいだけなのだ。


 ま、その侘しい東京の街を横切って、千代田線で二重橋前。東京駅までちょっと歩いて、京浜東北線快速で浜松町、浜松町からモノレールの「空港快速」で羽田。「華やかさ」とか「派手な気分」が大好きな私としては、国内線の飛行機に乗るにも、どうしてもモノレールがいい。始発の浜松町でスッキリ誰も乗っていないモノレールの中に踏み込んで、「さて、これから空を飛んでいくぞ」としみじみ思うのは、なかなか贅沢な瞬間である。それに比べて、品川から京急線で羽田に行くのはキライである。始発ではないから、もういろいろな人がそこいら中に無秩序に座っている(当たり前だが)から「さあ、飛行機だ」という張り切った気分になりにくいし、青物横丁とか蒲田とか、途中で他の客がどんどん降りていくのも、何だか裏切られたような感じでイヤなのだ。


 モノレールの「空港快速」は羽田空港まで1つも停車しないから「おお、みんな羽田まで行くんだな、羽田から飛行機で行くんだな(出迎えの人もいるだろうが、そこまで難しいことは言いっこなしにして)」と考え、オジサンやオバさんやお姉さんやお兄さんの様子を見ながら「何しにどこまで行くのかな」を想像していれば、退屈しないどころか、むしろ読書なんかしているよりもずっと楽しいのだ(車内アナウンスがうるさすぎて、読書どころではないことも確かだが)。中には訛り丸出しのおじいさんとかおばあさんとかそういう人もいて、「訛りや方言のことなら何でもお任せあれ、何でも真似てみせますよ」の私としては、同乗の客が方言丸出しで訛っている状況以上に嬉しいことはない。

 

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(鹿児島・城山公園からの桜島)


 こういう私の趣味を聞いて「乗り鉄」と評した怪しからん人間がいる。「鉄道オタク」と呼ばれる人種には2種類あって、
(1)機関車・客車・貨車・レールや運行システムなどに驚異的に詳しい人々
(2)世界中の鉄道に乗って、とにかく乗ることに快感を覚える人々
このうち後者(2)を「乗って楽しむ鉄道オタク」と考え、略して「乗り鉄」というのだそうである。私の場合、まず父が理科工科系の国鉄職員であって、彼は(1)のタイプ、というか完全に本職である。国鉄土崎工場のディーゼル職場助役・貨車職場長・客車職場長、国鉄大宮工場と国鉄盛岡工場の客貨車職場長その他を歴任しているから、済みませんがオタク等というものではなくて、これ以上考えられないぐらいの本職である。


 しかし、だからと言って人を「乗り鉄」呼ばわりすることはないと思う。確かに、昨年このブログで書き続けたイタリア旅行記を読み返してみると、コモ湖&北イタリア紀行もボローニャ紀行もマッジョーレ紀行も、どれを読んでも電車の旅の話が多い。昨年11月のスペイン旅行なんか、マドリードからあるときはトレドへ、あるときはセゴビアへ、コルドバへ、セビーリャへ、来る日も来る日も新幹線AVEで往復する日々であって、そういうことを素直に反省すると、「乗り鉄」と総括されても異議を差し挟む余地はないのかもしれない。しかし、私が本当に好きなのは、こうやって電車にのんびり乗っていて、同乗の客の境遇や性格や、旅の目的や、旅先で待っている人間との関係や、その他いろいろなことに考えを巡らすことなのである。


 中でも、方言のマネは大好き。私自身、おそらく日本でトップクラスの秋田弁の使い手であって、たとえ現役バリバリの秋田県人と勝負しても秋田弁コンクールで負ける気はしない。30年ほど前に秋田を離れたからこそ、その当時の秋田弁がしっかりとDNAに組み込まれているのであって、その後の30年間ですっかり標準語に馴染んでしまった今の若者たちの軟弱な秋田弁なんかに決してヒケをとるものではない。父の故郷は山形県で、父のマネをしているうちに酒田方言・米沢方言とも既にマスターしている。仙台の人が、どれほど訛っていないつもりで都会人気取りになっていても、私が聞けば、わずか10秒もあれば、その人の口に残っている東北弁の名残を次々と指摘してあげられる。栃木・茨城・福島の無アクセント地帯の方言もお手のものだし、完全に東京と一体化したつもりの埼玉県人でも、埼玉独特(特に東部地域)の方言なら、指摘することは困難ではない。フアッホ、フアッホ。関西の言葉も得意ですよん。

 

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(桜島・遠景)


 こういうふうで、瞬間的に特徴をつかんでマネすることは私の得意ワザ。東進で講演会に出たことのある人なら、私が突然「田中眞紀子」になるのを目撃しただろう。政治家のモノマネというのは、最も痛烈な政治批判のうちの一つだから、高校生の頃から大好き。田中角栄・大平正芳・福田赳夫(敬称略)などはその頃からの持ちネタだし、田中眞紀子(敬称略)については、もしかすると田中眞紀子本人よりも、ずっと田中眞紀子に似ているかもしれない。


 そんなふうに言うと冗談に思えるかもしれないが、一昨日国会で代表質問に立った田中眞紀子は、あれはホンモノの田中眞紀子ではない。正確には「田中眞紀子のヌケガラ」である。ほんの7~8年前の田中眞紀子と比較すれば、迫力もないし、話の面白さも格段に落ちた。あんな原稿棒読みでは、田中眞紀子の名前が泣くし、せっかくの冗談冗句のキレも感じられない。ヤジだらけでよく聞こえない状況が可哀想だったが、昔の田中眞紀子なら、例え議長から不規則発言の注意を受けたとしても、毅然と原稿を投げ捨て、ヤジるオジサン議員を真正面から見据え、激しい啖呵を切りながら、ヤジの一つ一つに反駁するような迫力があったと思う。


 テレビ各社の報道では、例外なく「真紀子節、復活」「真紀子節、炸裂」ということになっていたが、昔を知る人間から見れば、復活もしていなければ、炸裂もしていない。「いろいろ苦労したんだな」「人間が丸くなったな」「何だか、ヌケガラみたいだな」というのが正直な感想。「炸裂」「復活」という見出しのメディアは、マジメに考えていないか、事前に書いた原稿を無批判に流用しているか、学部を卒業したばかりで昔のホンモノの田中眞紀子を知らない記者がバラエティ気分で書いているか、そのどれかである。


 「麻生首相」というのも、もちろんモノマネの対象。私は麻生氏が総務大臣時代からの大ファン(モノマネの対象として)で、田中眞紀子vs麻生首相の論戦を1人で出来るぐらいだが、この人も首相になったとたんに原稿の棒読みばかりで詰まらなくなった。私の講演会では、迫力満点の2人の論戦、2人とも原稿を見ずに本音をぶちまけあう様子を再現する(もちろん英語教師の「公開授業」という形をとっているから、ほんの2~3分だけ)。「鶴とダチョウ」「台風が近づく山の、竹と杉」など、他の持ちネタもお楽しみに。