Sat 090110 早大と東大で撮影 モジモジ君やモジモジさん「三品食堂」と「ボンマルシェ」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 090110 早大と東大で撮影 モジモジ君やモジモジさん「三品食堂」と「ボンマルシェ」

 「雪になる、雪が積もる、交通障害が発生する」、そういう天気予報でさんざん心配させられた挙げ句、一晩中激しく降ったのは結局雨ばかりである。要するにハズレたのであるが、朝の天気予報を見ても、ハズレたことに対する謝罪の言葉は一つも聞こえてこない。「明け方に、東京大手町でも初雪を観測しました」ということだけが手短に述べられ、それ終わりである。これからは、中学受験が本格化、大学受験だってまもなくセンター試験である。それなのに、こういう天気予報のあり方では困るのだ。雪だと言われれば、本人も両親もそれを心配して八方手を尽くす。ハズレそうな話を大袈裟に繰り返すのは、何も言わずに何かが起こってしまった時の非難の声が大きいからだろうが、もともと可能性の低いことを繰り返していたずらに人の警戒心を高めるのも同じぐらいの罪である。せめて、ハズレたら知らん顔をせずに謝罪するぐらいのことはしたほうがいい。


 雪の降らない雪雲が関東上空から去った後は、天気予報では快晴になるはずで、雪雲が抜ければ西高東低の気圧配置で関東は快晴になるのが普通なのだが、今日は昼近くなっても厚い雲が切れ切れになりながら空を覆っていた。実際に快晴になったのは昼過ぎ、それでも北関東の山々を飛び越えてくる厚い雪雲の切れ端が空を走って、今回の冬型は相当強烈なものであるらしい。強い北風が吹きつのる中、スーツを着て早稲田に向かった。


 なぜ早稲田なんかに向かったのかと言えば、新刊書の写真を撮らなければならなかったからで、今年はおそらく新刊を7冊出版するから、こういう機会も増える。カメラマンも同行。早稲田では大隈講堂と演劇博物館前で、その後東大にも出かけて、安田講堂前で撮影。「撮影」というほどの大袈裟なものではなかったが、この年齢になって大学構内で写真などを撮っていると、どうも入学式についてきて盛り上がっている父兄の風情があっていけない。というか、客観的にみて確かに「おお、オヤジが盛り上がっている」である。

 

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(早稲田大隈通り「浅野屋」。明日のブログで詳述)


 しかも、そういう様子を目撃してしまう「元生徒」というのが必ずいるものである。早稲田の男子学生3名が明らかに「お、今井だ」と気づいてニヤニヤしながら近寄ってくる。ただし、最近の学生たちは概して控えめである。「今井先生ですか?」と素直に聞けばいいものを、「今井じゃネ?」「こんなところにいるわけネグネ?」「スッゲ、似た人ナンじゃね?」とか言って、いつまでもつつきあってモジモジしているだけである。面倒なので、サッサと退散することにした。


 こういうモジモジ君とモジモジさんが多くなってきた。ついこの間も、ロンドンから帰国して成田空港から新宿駅行のリムジンバスに乗ったのだが、既に車内にいた大学1年か2年と思われる女子が二人でこっちをガンミしている。肩を叩きながら「ヤバいよ」「ヤバいよ」「チョーヤバい」と言いながら笑い転げているのだ。何がどうチョーヤバいのか、わかっている人ならいいが、成田空港からのバスは外国人だらけである。クマみたいなデカイ中年男を指差しながら「ヤバくない?」と言って笑い転げていれば、彼らの視線は自然にこちらに向けられ、怪訝そうな外国人ガンミの嵐になる。ぜひ、素直に「今井先生ですか」と声をかけてくれたまえ。第一、そうやって盛り上がった挙げ句、結局声もかけずに新宿まで1時間半バスの中で沈黙しているのは、双方肩が凝って仕方がない。おお、そういえば講演会のあと奈良から京都に向かう電車の中でも同じようなことがあったし、京王線でガンミしてるヤツ、小田急線でガンミ、1日1回ガンミに耐えるというのが、まあ平均値か。

 

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(西早稲田・三品食堂)


 せっかく早稲田まで行ったのだから、いろいろ懐かしい場所を回ってみることにして、西早稲田から昔馴染みの飲食店を見て回る。まず西早稲田の三品食堂(上の写真)、これは「サンピン」と読むのだと当時から確信しているのだが、もし違ったらもう30年近く誤解していたことになる。メニューが名物牛メシなど3つしかないから「三品」。大学1年の春5月から初夏6月までほぼ毎日通った店である。西早稲田の名店で、タウン紹介誌の草分け「angle」などにも紹介されたことがあるはずだ。


 というか、すでに雑誌「angle」自体が詳しい説明が必要になっているかも知れない。「ぐるなび」+「アド街ック天国」の雑誌版という感じの月刊誌で、毎月1つのタウンを特集して飲食店を中心に紹介するもの。20~30年ほど前の東京では、まだケータイもパソコンもネットも何にもなかった中で、「ぴあ」「シティロード」「angle」の3冊が田舎から出てきた大学生たちの心強い案内役になってくれたものである。
 

 ちょっと早稲田の学生生協で買い物をした後で、大隈通りに向かう。ほんの6~7年までしぶとく残っていた「ボンマルシェ」、略称「ボンマル」がとうとう閉店してしまっていた。あまり旨くない店で、当時学生数に対して食堂の席の数が圧倒的に不足し、「昼食難民」などというものもたくさん発生していた早稲田周辺で、他が空いていなければ仕方なくて入る「最後の選択肢」がこの「ボンマルシェ」か「松」だった。

 

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(早稲田大隈通り「ボンマルシェ」が看板をつけかえた理容店「まるしん」)

 万が一ここも空いていなかったら(今はどうかわからないが)学食か生協食堂に行くしかない。白い長靴のオバちゃんが、何度蒸し返したかわからない半分モチのように固まったメシをプラスティックの皿にたたきつけるようにして出すのが「学食」。反吐のような色のドレッシングがたくさんテーブルに置かれ、オレンジ色のトレーにマズいサラダを並べてモグモグやっているうちに「オレって牛か?」と思わざるをえないのが「生協食堂」。その2つの「最悪の選択肢」をギリギリの最後で阻むのが「ボンマルシェ」。ここに座れれば、「ゴハンを食べた」までは行かなくても、まあ「メシを食った」ぐらいのいい気持ちで午後の授業でゆっくり幸せに眠ることができた。


 ところが、その「ボンマルシェ」が閉店である。店構えは全くそのままに、古風な床屋になってしまっている。床屋の屋号は「まるしん」。看板さえ付け替えずに、「ボンマルシェ」の文字を上から塗り消して「まるしん」と平仮名で書き直した看板である。窓枠も昔のまま。よく見てみると、さすがに古い。私が大学生の頃にすでに「おお、古い店だ」と実感するほどの古さだったのだから、もしかすると戦後直後の建築物なのかもしれないほどである。これからも床屋として長く繁盛することを願うばかりだ。

1E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1
2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4
3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4
6D(DvMv) GLADIATOR
9D(DvMv) THE SILENCE OF THE LAMBS
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