Wed 081231 書き忘れたかもしれない手紙の返事 大晦日の新宿の賑わい | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 081231 書き忘れたかもしれない手紙の返事 大晦日の新宿の賑わい

 こんなふうにして、とうとう大晦日になってしまった。年末にあたり、今年は例年になく充実した1年だったことを実感する。コモ湖、マドリード、ロンドンも歩き回ってきた。まだ出版に至っていないが、書き上げた本が2冊。特に充実していたのがこのブログで、6月初めにおっかなびっくり始めてから、文庫本6冊分を(自分で言うのも恥ずかしいが)怒濤のように書きまくった。そのぶん読書量が大きく減ってしまったが、要するに今年は書く年だったということだろう。書く分量は来年も増えそうである。ブログはこれ以上増やさないが、出版する予定の本があと5冊ある。もっともっと勤勉に執筆を進めて、2009年上半期までに、予定のこの5冊の原稿を完成してしまいたい。
 

 ただし、ネコをお風呂に入れる以外に、まだやり残したことある。手紙の書き残しがあるのを何となく感じていたのだが、案の定、引き出しの奥深くに5~6通、もらったのに返事を出していなかったお手紙が隠れていた。というか、たくさんいただくお手紙にはできる限りキチンと返事を書いているのだが、「返事を書いたかどうか」を忘れてしまうこともある。生徒からのいろいろな悩みが書かれた手紙は、書く側としてはおそらく自分だけが抱える悩みを真剣に綿々と綴ったものなのだが、返事を書く講師の側からみると、毎年毎年、悩みの内容は繰り返し繰り返しほぼ同じものがほぼ同じ書き方でやってくるのだから、だんだん区別がつかなくなってくる(080813080814080815参照)。
 

 「また効果的な音読の方法についての質問か」「また志望校への効果的な勉強法についての質問か」「また今井先生の高校生時代の勉強法についての質問か」と思いながら2~3日ためらっていると、いつの間にか返事を書いたか書かなかったかが曖昧になって、もし既に返事を書いたのなら、「2度続けざまに同じ内容の手紙を書くのは失礼なんじゃないか」と思い、またためらっているうちにますます区別は曖昧になって、曖昧になるごとに手紙は引き出しの奥へ奥へと隠れてしまい、とうとうそのままになってしまう。


 こういうふうで、心の奥のそのまた奥のあたりに「もしかして返事を書かないままになっていないか」という罪悪感を残したまま、年末になってしまうのである。で、意を決して「もし、もう返事を出していたとすれば、誠に失礼なことで申し訳ないのですが」という断り書きとともに、返事を書く。それが5~6通、12月31日の消印で、3ヶ月も前にいただいた手紙の返事が年明け早々に届くことになる。しかも、同じ内容の返事を3ヶ月前に受け取っているかもしれないのだ。新年早々変な手紙で目を白黒させる生徒を思うと、誠に申し訳ないが、湯島天神の記念切手を貼ったり、早稲田大学志望の生徒には早稲田・大隈講堂の記念切手を貼ったりして罪滅ぼしのつもりにしている。

 

0977
(すっかり乾き、すっかり疲労)


 手紙を書き上げて、大晦日の夜が開ける。出来るだけ早く着くように郵便局前のポストから郵送するのであるが、ついでに新宿に出て、伊勢丹で買い物をすることにする。幡ヶ谷から京王線に乗って、都営新宿線への直通電車で朝10時前に新宿三丁目に着く。伊勢丹の開店は朝10時だが、9時50分の段階でもう店の前には長蛇の列が出来ている。大晦日に東京のデパートに行く、というのはこの年齢になって初めての経験だが、この長蛇の列にはさすがに驚かされた。私が見たのは地下鉄から地下の食品売り場(いわゆるデパ地下)に入る列。伊勢丹に入るには、本館1階にや新館1階にも他にいくつもの列があるのだから、まさに大繁盛である。ロンドンのハロッズ本店で、クリスマスの夕方の大盛況を目撃したばかりであるが、それに勝るとも劣らない大盛況と言っていい。


 マスコミによれば、世の中は大不況を通りこして既に世界恐慌なのだそうであるが、こういう大繁盛のありさまを見ると、心からほっとするものがある。余りの行列に驚いて自分自身はその列に並ばずに傍観していたけれども、みんな大いに楽しそうで、「さあ、大晦日なんだから、たくさん無駄遣いするぞ」という身構えである。同じようにクリスマスとクリスマスイブのニューヨークの買い物客の列に紛れ込んだのもつい最近のことだが、新宿伊勢丹の客の迫力は、ニューヨークにも負けてはいなかった。


 では、テレビニュースのキャスターが使い回しの原稿を読み上げて述べるように「不景気を反映して、消費者の財布のヒモはカタいようでした」かと言えば、私が見ていた実感では全く正反対、財布のヒモは大いに緩んでいる。開店と同時に店内になだれ込んだ買い物客は、既に目当ての品物をハッキリ決め、優先順位もしっかり決めて(と言うことは普段から伊勢丹デパ地下の常連ばかりということになるし、常連がこんなにたくさん存在するほど繁盛しているということにもなるのだが)、あっという間に売り場は超満員の大盛況、後からノコノコ着いていった私なんか、弾き飛ばされそうな大迫力である。


 見たところ、高価なものほどよく売れる。エビとか、タイとか、アワビとか、そういうものの売り場には本当に瞬きするうちに列が出来る。売り場の列だけではすぐに捌ききれなくなって、売り場から遥か離れた店の外に「この列にお並びください」のプラカードが現れ、「天一のエビ天の列、最後尾」などというのは、大袈裟にいえば、新宿だけでは足りなくて遠く四谷か赤坂まで列がのびそうな勢い。

 

0978
(疲労と、安堵)


 しかも、1匹300円のエビ天があるのに、みんな1匹500円の大海老天ばかり購入する。エビも、大きいヤツになると「海老」という歌舞伎風のものに変身するのだが、伊勢丹の客でカタカナのエビなんかに目をくれる人はいないのだ。この辺が、大阪の「安くてウマい」自慢の人たちに叱られるところなのかもしれない。500円の大海老2匹より、300円のエビ3匹の方が、確かに「安くてウマい」。しかし、大晦日で、さあ無駄遣いするぞと盛り上がっている新宿伊勢丹の客はいきなり「大海老20匹」などと言って周囲をアッと言わせるのが好き。まあ、よくも悪くも江戸っ子である。


 見ていると、なるほど威勢がいいし、気分も弾んでくる。気分が弾むと、自分もバンバン買ってみようか、という気分になる。「不景気からの脱却」「不況対策」などと言って難しい顔をしていなくても、政治家も銀行家も財界エリートも投資家の皆さんも、是非とも大晦日の伊勢丹に足を運べばいい。要するに「買ってみようか」「買っちゃおう」「買ったらきっと楽しいぞ」とお金持ちの皆さんが浮き足立ってくれれば、それでいいのかもしれない。


 20年前、バブル崩壊の最初の兆しは「価格破壊」という言葉の流行だった。私は経済にはシロートだが、中身の薄いものを異常に低い価格で売る者たちが現れ、消費者がそれに興味を示し、マスコミがそれをもてはやすときに、経済の危機が訪れるのを何となく経験で知っている。経済や金融の専門家が、暗い難しい顔をして「信用収縮」だの「消費意欲の減退」だの、そういう言葉を連発するからいけないのだ。しかも、世界同時不況の引き金を引いたのは金融の専門家たちである。彼らにちょっとの間黙っていただいて「買っちゃおっかな」「貸しちゃおっかな」「借りちゃおっかな」「楽しそうだな」「おっ、大海老ウマそうだな」「ちっこいエビより、大海老だよね」「何とかなるんじゃん、いいからどんどん消費、消費」というデパ地下気分になれば、不景気なんかすぐに終わりそうである。


 以上、大晦日にあたり、久しぶりに面白かった紅白を見ながら、シャンパンをあおり日本酒を際限なく飲み干して、少しずつ酔っ払っていったクマさんの、思考とすら名付けがたい思考である。気がつけば、「ゆく年来る年」も終わって、年はとっくに明けている。明けまして、おめでとうございます、というヤツである。

1E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
2E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
3E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
4E(Cd) George Duke:COOL
5E(Cd) Menuhin:BRAHMS/SEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2
6E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:
MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
7E(Cd) Coombs & Munro:MENDELSSOHN/THE CONCERTS FOR 2 PIANOS
10D(DvMv) THE DAY AFTER TOMORROW
140 London, Oxford, Cambridge, Canterbury 081216 081228
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