Mon 081229 予備校講師のみる悪夢 受験生のみる悪夢 「行けるところまで行く」という解決 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 081229 予備校講師のみる悪夢 受験生のみる悪夢 「行けるところまで行く」という解決

 予備校講師がよく見る悪夢があって、新人からベテランまでほとんど区別なく、おそらく3~4ヶ月に一回は見るのではないと思われるのが、「授業がうまくいかない」というシーンである。自分の18番だと信じている分野の授業で、大いに張り切って教室に入るのだが、どうも今日だけ様子が違う。いつもなら大ウケするはずのギャグから入っても、誰も笑ってくれないし、大教室に半分ぐらいしか出席していない生徒の一人一人が、何だか非常に不満げである。こんなはずはないと思いながら、もう2つか3つ冗談を続けて口に出してみるが、反発の雰囲気が強くなるだけである。露骨に後ろを向いて友人とふざけあう者、教室内を立って歩き回る者、ケータイで話し始める者、ゲーム機でゲームに興じる者。いつもなら皆真剣に授業に取り組むのに、教室内が学級崩壊状態、そういう悪夢である。


 自分がギャグや冗談や雑談を続けているせいだろう、授業本体に入れば、きっと生徒はみんなこちらを向いてノートを取り始めるだろう、何しろ今日は自分の得意な分野だ、生徒たちはみんなウットリするほど夢中になって聞いてくれるだろう、そう思って黒板に向かうのだが、それも一向に効果を示さない。教室内は崩壊したまま、騒ぎはますます激しくなっていく。しかも、焦れば焦るほど、授業もうまくいかない。得意な仮定法の(または関係代名詞の、整序英作文の、比較の、長文読解の、など何でもいいのだが)授業なのに、なかなかエンジンがかからない。そういうときに限ってやたらにチョークが折れてばかりで、板書もうまくはかどらない。


 業を煮やした最前列の生徒が、「先生、チャンと授業を進めてください」と立ち上がって発言し、周囲の生徒たちが一斉に頷いて、「こんな授業に出ても意味ナクナイ?」と言い合う。「まあ待ちなさい、ここからがこの授業の面白いところだから」と彼らを引き止め、また黒板に何か書こうとするのだが、またチョークが折れ、また書き間違い、消して書いては書き間違い、それを何度も繰り返すうちに、学級崩壊はどんどん激しくなって、もう収拾がつかない。あれを言えば収まるだろう、あれを説明し始めれば皆席に着くだろう、そう思って必死になるのだが、その「あれ」が何だったか思い出せない。「静かにしなさい」「座って聞きなさい」と言っても、もう誰も言うことを聞かない。


 とうとう最前列の生徒たちも、呆れ返って教室を立ち去り始める。他の生徒たちもどんどん席を立って、その流れを食い止められない。面白いことならいくらでも言えるし、それで生徒をつなぎ止める自信もあるのだが、今回に限って全く口が回らない。まあ、そういう悪夢である。教師によっていろいろなバリエーションもあるが、酒を飲みながら話しあってみると、似たような悪夢に予備校講師たちはほぼ共通して(どんな人気講師でも)悩まされている。むしろ、このタイプの悪夢に悩まされるようになって初めて、講師として本気になってきた証拠なのかもしれない。

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(真夜中のニャゴロワ)


 では、生徒はどうなのかと言えば、彼らも決してお気楽極楽に毎晩眠りこけているのではない。彼らの見る悪夢も昔から一定であって、全然勉強が進まないのに試験がどんどん迫ってくる悪夢には誰でも悩まされるものである。数学と物理と化学に、全く手をつけていない。試験本番まで、あと2週間である。単純計算して、数学1週間、物理3日、化学3日。まず学校の教科書を一気に復習して、それから問題集で力を定着させるとすると、教科書1冊1日で読破しなければイケナイし、問題集1冊1日で仕上げなくてはならない。やる気はなくしていないのだが、分量が重たすぎてなかなか腰を上げることができない。時間が過ぎていくばかりで、気がつくとまた1日が経過している。


 悪夢というより、受験生時代に実際に似たような場面を経験した私は、今でも同じ夢を見ることがある。トラウマはそれほどに深く重いものである。私にもかつて大昔に受験生時代があったとしても、それは古代エジプトや日本の縄文時代ほどに遥かな昔である。それでも、いまだにそういう夢を見て、午前4時頃にイヤな目覚め方をする。ついこの間みた夢では、何故かセンター試験の朝、青森から弘前方面に向かう各駅停車の列車に乗った。北海道旅行の帰りで、しかしセンター試験をその日に受験しなければならなくて、物理と数学と化学にまだ手をつけていなくて、試験会場が弘前だから、弘前までの電車の中で一気にやってしまおう、と考えている。


 しかし弁当を買うか、駅の立ち食い蕎麦を食うか、そういうことで散々迷っているうちに各駅停車は発車してしまい、ガラガラの列車の車内には賢そうな受験生が2組、全部で10人ぐらい席を占めている。みんな物理と化学を勉強中で、公式でも化学式でも、問題を出し合っては即座に答えを言いあって、どうも自信満々のようである。その様子を見ているうちに、まあいいか、やってもやらなくても同じだろう、と思いはじめ、弘前で受験生たちは列車を降りていき、しかし私の受験会場は何故か突然その隣の隣の大鰐駅で下車すればいいことに変更になり、10分で大鰐に到着。まあ何とかなるだろう、何とかならなくても何とかするまでだ、そう思って下車したところで目が覚めた。


 こういう悪夢に共通するのは焦りであり、精神分析医に診せればおそらく立ち所に、深く大きな焦燥感を指摘するだろう。弁当や蕎麦屋を探したり、弘前ではなくて大鰐に会場が変更になったりするあたりには、その都度うまく立ち回って切り抜けてきたことへの罪悪感のようなものを指摘されるかもしれない。

 

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(真夜中のナデシコ)


 しかし、私自身のことなど、この際どうでもいいことであって、やはり考えるのは受験生諸君のことである。今年も非常に多くの受験生が私の授業を受講してくれたわけであるが、彼らや彼女たちの多くが今頃同じような悪夢に悩まされていること、入試が終わってからも変わらない焦燥感に悩まされ続けることを考えると、人間の多くが苦しめられ続けた悩みではあっても、可哀想でならない。どんなことにでもいつでも準備の整った優等生の人生ならこんな焦燥に苦しむことはないのだろうが、準備も予習も試験勉強もみんな怠け放題に怠けて、最後に何とか間に合わせる少しダラしない人間や生徒の方が何となく好きだし、好きなら、可哀想に思うのも当然である。


 ここまで試験が迫って、それで「焦ってはいけない」「落ち着いて全力を尽くしたまえ」などとアドバイスするのは何の役にも立たない。焦って浮き足立つのがむしろ当たり前の時期である。ここで受験生に言えることは、「とにかく行けるところまで行ってみなさい」の一言である。焦るのは、ゴールというものを設定して、何km先だか何十km先だかわからないそのゴールに到達しなければ合格できない、と自分で勝手に決めてしまうせいである。このレースには、ゴールは存在しないのだ。ゴールはないけれども道だけがあって、選手たちはその道の上をとにかく最後まで諦めずに走って、走れるところまで走って、1月何日だか2月何日だかに試合終了の笛が鳴ったら立ち止まって、その笛までに走り抜いた距離が長い者から順番に祝福を受ける、そういうレースである。そういうレースなら「ゴールまでたどり着けない」という焦燥は無意味である。まあ、とにかく走れるところまで行ってみよう、というある種の諦めの中で、最後の笛まで粘り強く走る姿勢さえあれば、祝福は必ず訪れるはずである。

1E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET
2E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
3E(Cd) Harnoncourt:BEETHOVEN/OVERTURES
4E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
7D(DvMv) ERIN BROCKOVICH
10D(DvMv) GIA
total m109 y2088 d2088