Sun 081228 医師になりたくないなら、安易に医学部を志望するな(3/3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 081228 医師になりたくないなら、安易に医学部を志望するな(3/3)

 医師になりたい訳ではないのに、「優秀な子は医学部へ」の風潮に乗って何となく医学部を志望する。しかもそういう子供たちを社会が(というより学校や予備校が)こぞって甘やかし、へつらい、おだて、安易に医学部に入れてしまう。

 その結果、医師になりたいと本気で考えているマジメな受験生が医学部をあきらめざるを得ない。一昨日と昨日述べてきたこういう風潮の中で、医学部受験者が、「もし本当に医師になってしまったら、そういう一生になるか」すら、しっかり考えていないことが多い。まさか、毎日毎日CAが「どなたか、お医者さまは搭乗していらっしゃいませんかア」とは叫んでくれないのである。

 山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」を、NHKがドラマ化したことがあって、小石川養生所の名医赤ひげ先生を小林桂樹、赤ひげに惹かれながらも反発する若い医師保本(やすもと)をあおい輝彦が演じていた。仁科明子も出ていたかもしれない。

 もう30年以上昔のドラマだから、NHKアーカイブスにも残っているかどうかわからないが、江戸中期の小石川養生所を描いた、いいドラマだった。もちろん山本周五郎の原作を読めばいいのだが、あいにく手もとに原作がない。

 ドラマの中にはあって、原作にはないのかもしれないが、子供時代に見て記憶に残ったシーンがある。深夜に養生所の門を激しくたたく音がして、子供が急病だ、助けてほしい、というのである。その声に起こされた保本が門の前まで出て「医者だって人間だ、少しは寝かせろ」と答える。

 確かにその前日の小石川養生所は戦場のような激務が続き、ようやく眠りについた直後だったわけだから、保本の言い分もわからなくはない。門は開かれず、熱にうなされた子供を抱きかかえて町人は帰っていく。

 その保本を叱りつけながら、赤ひげは「医者は人間ではない。少なくとも患者にとって、医者は人間ではない」と言う。「では医者は神なのか、それは医者の思い上がりではないのか」と問う保本に対して、「神ではない。しかし患者にとって医者は、少なくとも人間ではない」と吐き捨てる。

「もし医師になってしまったら、どういう一生になるか」とは、こういう話なのかもしれない。「地域医療」「国際貢献」「弱い人々のために尽くす」という一言でくくれるのは面接試験の場までであって、貢献とか尽くすとかいうのは、「オレだって人間だ」という捨て台詞を決して言わない決意、しかも年をとって引退するまで40年でも50年でもその決意を継続すること、そういう覚悟のことである。

 まあ、私にそういうことを言う資格があるかどうかは甚だ疑わしいのであって、医学部を受験する遥か手前で、数学と物理と化学の成績が伸びずにドロップアウトした程度のアホが偉そうな発言をしてはいけないような気もする。

 しかし、さすがにある程度年齢を重ね、いろいろな医者に会い、9月ごろに書いた湊内科小児科医院の湊先生(Sun 080824参照)のような尊敬できる医師にも出会い、また日々医学部受験生たちと向き合っている予備校講師としては、医師のあるべき姿について考えることは少なくないのである。

 

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(陰陽猫 1)


 「オレだって人間だ」という捨て台詞には2つの意味があって、一つには保本が言った「少しは休ませろ」「少しは寝かせろ」であり、もう1つには「人間なんだから、失敗もする」「間違いをおかすこともある」である。

 前者については、言わば「最も過酷な接客業」に該当するのだから、世界中の全ての医師が日々耐え忍んでいる労苦だろう。泌尿器科の医師は、まともに休暇さえとれずに、引退までずっと泌尿器を相手に奮闘しなければならない。

 耳鼻咽喉科の医師は、おじいちゃんになって現役を退くまで一生、患者さんの耳と鼻と喉を相手に全力を尽くさなければならない。30歳で歯科医になれば、70歳で引退するまで40年、480ヶ月、2080週間、ほぼ毎日1日8時間でも10時間でも、そこに患者がいる限り、人間の口の中の修理にいそしまなければならない。

 国際医療とか、地域医療とか、入試面接の際に口にする抽象的な言葉に彩られた華々しい話は、そういう40年を総括して初めて実現することなのである。来る日も来る日も訪れる患者さんたちに、イヤな顔一つせずに向き合い、会話し、人体に無数に空いた暗い穴を覗き込み、その修理修繕に励む40年が、医学部受験生の前には横たわっているのだが、果たして彼らにそういう覚悟があるのかどうか、甚だ心もとないのである。

 シュバイツァーにしても野口英世にしても、医師に憧れ、医学部を目指す受験生諸君が子供時代に読んだ偉人伝の中の登場人物としては200ページかそこらの記述にすぎず、読書の速い子供なら2時間か3時間の活躍で終わってしまう。

 しかし彼らの国際貢献なり人類に対する貢献の本質は、40年間来る日も来る日も朝から晩まで、眠った後で叩き起こされても、それでも人間の暗い穴を覗き、そこに溜まった膿を洗い流しつづけること、しかもその患者に向かって決してイヤな顔や不機嫌な様子を見せずに、会話や態度によっても患者を勇気づけ続けることで成り立っていたはずである。

 「オレだって人間だ」という捨て台詞の後者の意味になると、カフェテリア付きのヌクヌク予備校でいちいちムクれている医学部受験生が果たして理解できるかどうか、望み薄のような気もする。「間違いをおかすこともある」「失敗するから人間らしい」というセリフは、医師になったその時点から、もう決して許されないのである。

 赤ひげが言った通り、「医者は、患者にとっては人間ではない」。医師の前に座った患者は、必ず救われると信じ、医師が間違いを犯す可能性を忘れている。もし万が一間違いを犯せば、それは医療事故であって、当然処罰の対象である。

 

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(陰陽猫 2)


 だから、浪人生対象の予備校で、医学部進学クラスの担当になった場合、4月の最初の授業でどう挨拶していいものか途方に暮れたものである。「君たちは、残念ながら浪人してしまった。しかし、人間なんだから失敗もする。

 この失敗を契機に、人生を見直して、これから1年間しっかり勉強してください」みたいなことは、東大クラスや早稲田慶応クラスでは言えても、医学部クラスではなかなか言えないのである。「人間なんだから失敗もする」ではいけないワケだし、失敗を契機に人生を見直すなら、医師になる道を考え直すことになりかねない。

 これから40年間、間違いを一切おかさず、常に100点満点をとり続けなければならないのが医者。1カ所ケアレスミスをして「うーん、ケアレスミスだから仕方がないけど、注意しようね」と笑って許してもらえるわけにはいかないのが医師。目の前にそれを目指す200人もの若者が並んだ光景は、さすがに他のクラスとは違う。

 もし厳しいことをしっかり言えるような教師なら「100点満点とり続ける厳しい努力がイヤな人は、医学部なんかあきらめなさい」と言わなければならないのだ。「考え方は合ってたんだけど、途中で積分の計算ミスっちゃって」とか「ヤベ、三単現のs忘れた」などというのは、「げろ、ケアレスミスで、胃に穴開けちゃった」「うわ、血管切っちゃった」「あ、大腸にハサミ忘れた」「内緒だけど、左右に神経、反対につないじゃったんだ」「いけね、麻酔かけすぎた、ねえ、起きてよお。これって、ヤバくない?」というのと変わらない。

「医者だって人間だ」の捨て台詞を吐かずに、常に100点満点をとり続ける40年を送る覚悟のない人が、単に成績優秀というだけで覚悟もなしに医学部を目指してはいけない、とは、以上のような意味である。ま、だらしなく努力もしない私のような人間が医者にならなかったのは幸いなことだったということでしょうな。