Thu 081211 三角食べを強要するな 「全部でなければ意味がない」と言うな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 081211 三角食べを強要するな 「全部でなければ意味がない」と言うな

 今はそうでもなくなったらしいが、私が小学生の頃の給食というのは、なかなか激しいものだった。「三角食べ」が強要されていたし、食べ方についての密告が半ば奨励されていたように思う。「三角食べ」とはトレイの上に食べ物をほぼ正三角形に置き、向こう側の頂点に牛乳、底辺にあたる一辺の左にコッペパン(一週間に一回は食パン)、右側に「おかず」の入った食器を置いて、どれも決して一気食いや一気飲みをしてはならず、ちょうどトレイの上で三角形を描くように「パン→おかず→牛乳→パン→おかず→牛乳」の順番で食べていくという食べ方である。描いた三角形の数が多ければ多いほどほめられることになっていて、つまりそれぞれを出来る限り少量ずつ口に運べばほめられ、大口にゴクッと飲み干したり、デカイ口を開けてアングリ食らいついたりすると、たちまち叱られる対象になる。


 真夏の日、体育の時間の直後が給食で、目の前に冷たく冷えた牛乳が置かれて、喉が渇いている小学5年生や6年生の男子なら、それを一息に飲み干さない方がむしろ不思議だと思うのだが、そういうことをすると早速だれかが先生に密告する。「今井君が、牛乳を一気に飲んだ」という情報は、こちらを向いて監視しながら給食を食べていた先生にすぐに伝わり、その場で叱られるならまだいいが、わざわざ午後3時まで待って「帰りの反省会」で叱られるのである。
 

 さらにイヤらしいことに、ストレートに「今井君、牛乳の一気飲みはヤメなさい」と言われるのではないのだ。「ばっかり食べvs三角食べ」みたいな名前のついたプリントが配られ、ディスカッション形式だったり、ディベート形式だったり、要するに先生が一方的に押しつけるのではなくクラスの総意として、「一気飲みはダメだ」「ボクたちは健康なカラダづくりをしなければならない」「これからは必ず三角食べをしよう」という決議がなされるのである。決議に至る話し合いは「学級委員」を中心に各班ごとの討論を通じて進められ、決議は「保健係」によってモゾウ紙に大書され、「掲示物係」によって黒板の横に張り出される。そういう役割分担の中で、「牛乳一気飲み」をした今井君は、何度も何度もクラス全員の微笑みや嘲笑や優しい激励の対象になり、欲望に負けて一気のみした代償の大きさを思い知らされることになるのだ。

 

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(大漁1)


 以前このブログで書いたことがあるかもしれないが、貧しかった時代の日本には、この「三角食べ」が拷問になるような組み合わせがあって、「おかず」が「ぜんざい」だったときがそれである。「パン→ぜんざい→牛乳→パン→ぜんざい→牛乳」という恐るべき三角形を構成することになっても、三角食べは決して免除されない。先生が押しつけたのではなく、クラス全員の総意として、学級委員・各班・保健係・掲示物係、組織として運営される有機的なクラス全員の一致として「バッカリ食べはヤメよう」「三角たべをしよう」と黒板の横に黒々と張り出してしまったのだから、やむを得ないものはやむを得ない。ぜんざいの味と牛乳の味が口の中で混じりあうのを(もちろんそれが好きだというヤツもいたのであるが)、大急ぎでパンで洗い流すというたいへんな給食になった。


 ただ、やはり私は昔からおおいに強情であるから、たとえ先生が一方通行で押しつけたことでなくても、たとえクラスの総意で決まったことで「今井君も賛成したはずだ」と言われても、小学生なりに「ケース・バイ・ケース」ということを理解した秀才であるから♡、普通の味覚からすれば拷問にあたるこういう食べ方を、そのまま甘受する気は全くなかった。今日だけはバッカリ食べが許されていいのではないか、この組み合わせで三角食べが強要されるようなら、食べることを拒絶する、そのような意味のことを言い出して、もう一歩も引く気はなかった。
 

 「給食を食べない」ということになると、そこからは教師との戦いである。「別に食べなくてもいいが、それなら今井君は5時間目が始まっても給食」「6時間目が始まっても給食」「帰りの反省会の最中も給食」。「それでもいいのか」という脅迫があっても、もちろん今も昔も私の頑固さは変わらないから、「それでもかまわない」。すると、その「帰りの反省会」で、クラス討論になって「一人だけクラスの団結を乱して、給食を食べないという態度を取ることについて、どう考えるか」が延々と話し合われ、一人一人は意見を求められて、「やっぱり、クラスのみんなと同じように行動しないといけないと思います」と発言し、「12人の怒れる男」みたいに一人だけ味方になってくれるような男気や女気を発揮してくれるヤツは一人もいない。
 

 決議はまとまり、掲示物が作られ、張り出され、教室の掃除が始まり、終わり、下校時間になり、下校の音楽(なぜかベートーヴェン交響曲6番だったが)が流れ、みんな帰ってしまい、それでも教室に一人残って、目の前には結局口を付けなかった「パン→ぜんざい→牛乳」がそのまま残り、ぜんざいには教室の掃除のせいでホコリが無数に浮かび、それでも絶対に負けたくないから、机にかじりつき、下を向いたまま沈黙し、ピクリとも動かず、さて、困り果てたのは先生である。どうしてもそろそろ帰らせなければならないが、帰らせるきっかけがつかめない。妥協しなければならないが、安易な妥協は許されない。あのとき最終的にどんな解決に至ったのか記憶にないが、私の一方的な負けではなかったことは確かである。

 

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(大漁2)


 さて、こういうことは日本中で日常茶飯事だったらしく、「給食を残す」「決められた通りのやり方を拒絶する」という行動は、劣等生の特徴ということになってしまう。優等生は「指示された通りの順番で」「必ず全部食べる」。劣等生はその順番が守れず、全部平らげることも出来ずに、優等生の嘲笑と教師の叱責の対象になる。これを私は「給食文化」と呼ぶ。日本では、給食文化に従順な者が常に優等生として褒め讃えられることになっているから、優等生として生きることに慣れた人間は、本を読むにも、美術館で絵を見るにも、数学の問題を解くのにも、この「給食文化」以外のものを受け入れようとしない。高校生になっても大学生になっても社会人になっても、「指示通り」「全部」が彼らの信念で、それ以外は哀れむべき劣等生なのである。


 ところが、成長すればするほど「給食文化」以外の文化の存在にさらされることになる。「おでん屋文化」「居酒屋文化」「バー文化」「寿司屋のカウンター文化」などがそれであり、まとめれば「ちょいワル文化」である。そういう場所に頻繁に出入りするのはちょいワルばかりであって、小学校中学校と先生のお気に入りであり続けた優等生は、こういう場所に違和感と嫌悪感を感じる。寿司屋に入ってセット物しか注文できなかったり、居酒屋で「おすすめコース」にしてしまったり、おでん屋や焼き鳥屋で「竹セット」を頼んでしまったりするのが、このタイプ。


 ま、節約のためなら勿論それもいいのだが、何となくあてがいぶちの定食しか食べられないようになってしまっているのだ。まさか居酒屋で三角食べを継続してはいないだろうが、おでん屋でも寿司屋のカウンターでも、何があるか全体をザアーッと見渡して、ついでに店のオヤジとちょっと言葉を交わして、何が旨くて何が旨くなくて、何を食べたくて何を食べたくなくて、だから今日の腹の減り具合からして、どういう順番で何を食べ何を飲もうか、それを自分の判断と自分の責任で手際よく決めていくことが出来ないままの優等生というものは、決して少なくないのである。

 

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(大漁3)


 ずいぶん長い間「ちょいワル」について書いてきたのだが、「国語の得意なちょいワル」とは、給食文化に反発して、「早くおでん屋や寿司屋のカウンターに座りたいな」「食べるものと順番ぐらい、早く自分で決めたいな」と思ったヤツらなのである。だから彼らは、何を読むかを決めるとき、オススメ図書とか売れ筋ランキングとか、そういうものには一切こだわらず、本屋や図書館にブラリと入って何となく5~6冊決めて帰るのだし、読み方の順番も好き勝手なのだし、4冊も5冊も同時進行で読むのだ。


 美術館に入っても同じである。彼らは、定められた順番で、全部を平等に同じ時間をかけて見ようとは思わない。まずマクロに全体を一気にみて、時間をたっぷりかけたい絵と、通り過ぎるだけで済ませる絵を先に決め、しかし見ているうちに「通り過ぎるだけ」と決めた絵にも突然の関心をもち、最終的にはその絵が感動に残る1枚になったりする。寿司屋のカウンターで、まずどんな魚があるのかをざっと眺め、今日はあれとあれとあれとあれ、と決め、それらを堪能するうちに、職人に「そういうのが好きなら、これもきっとお好きですよ」と言われ、試し、おお、これはいいね、じゃあもう1貫、やっぱりもう1貫と追加していき、帰りがけに「今日はあれが旨かったね」と職人に一言言い残して帰る、それと同じことである。


 給食文化では信じがたいことだろうが、おでん屋文化では「たった1枚見るために美術館に入る」などという行動もありうるのだ。というか、美術館とは本来そういうものなのかもしれない。「せっかく入ったから、全部見なければ意味がない」とか、やたら張り切っているのは明らかに優等生の給食文化。しかし、その発想で出かけたら、ルーブルなんか、その存在だけでも既に拷問になってしまう。あの広大なルーブルにどう対処するかといえば、それはもうおでん屋的な楽しみ方から入るしかないだろうと思う。

1E(Cd) Rilling:MOZART/REQUIEM
2E(Cd) Jochum & Bavarian Radio:MOZART/THE CORONATION MASS
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10
4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10
7D(DvMv) A ROOM WITH A VIEW
10D(DvMv) GIRL, INTERRUPTED
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