Sun 081207 加藤周一、死去 知識人の「雑種」とツキノワグマの「雑然」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 081207 加藤周一、死去 知識人の「雑種」とツキノワグマの「雑然」

 中学2年のときに何かのハズミで「オレは国語が得意」と思い込んで以来、高校3年になるまで国語については絶対の自信をもち、「教師以上である」「模試の国語でオレと解答例が違っていたら、それは模試の問題の質が低いから、または解答例が間違っているから」と豪語し、周囲にそそのかされて小説を書きまくり、しかもその小説に登場するのが巨大な岩だったり神だったり、神と岩が戦争したり融合したり、神の絶対性と岩の質量が融合した結果、岩が無限に成長し、ついには宇宙を埋め尽くす話だったり、または登場人物が皆無である小説だったり、私はもともとそういう困った人間であったし、それを思うと少年時代などというものは後から振り返ってはならないもので、誤って一度でも振り返ったりしたら、何度舌をかんで死んでしまっても死に足りないほど恥ずかしいものなのだと実感する。
 

 そういう時代には、実におかしな読書をするもので、100冊近くある世界文学全集を第1巻から順番に読破しなければならないという焦燥に取り憑かれ、「古代オリエント文学」と名付けられたその第1巻で、メソポタミアの粘土板に楔形文字で彫られていた神話が、3段組みの活字でギッシリ印刷された驚くべき全集本を抱え込んで、途方に暮れながらも受験勉強そっちのけで読んでいたのもあの当時である。友人どうし読書のスピードを競い合うなどというのも、少年時代にはよくある話である。全集本1冊を「1日1冊主義」で読破したとか、岩波新書なら1時間で1冊読めるとか、そういうことで自慢しあう友人が(これは大学1年の時だが)たくさんいた。いま考えればバカげた話で、読書のスピードなんか、本来何の自慢にもならないはずなのだが、子供のうちはそんなことで競い合う仲間もいるのである。
 

 ところが、何が起こるかわからないもので、ちょっとしたハズミで突然本が読めなくなったことがあった。高校3年の春、誰だったか忘れてしまったが、有名な文学評論家の本の一節で「厳しく読み込めば、わずか1行でも無限の広がりをもつものだ」といった意味のことを読み、若気の至りでその「厳しい読み」を実践してしまったのである。
 

 すると、その日から、もう全く進めなくなってしまった。2時間もかからずに読みとばしていた小説でも、夕暮れの金沢で男女が出会っただけで「なぜこの2人は京都ではなく金沢で出会わなければならなかったか、なぜ朝ではなくて夕暮れなのか」を30分でも1時間でも考え込むようになってしまった。その2人が寿司屋に入れば「なぜ寿司屋を選んだのか、なぜバーではダメなのか」、コハダの寿司を注文すれば「なぜ作家はこの男にコハダを注文させたのか、なぜマグロやイカでないのか、なぜ女が先に注文しなかったのか、なぜ寿司屋は『ヘイ』ではなく『ハイ』と答えたのか」。なるほど、「厳しく読めば無限」だが、「無限の苦しみ」が待っているとは思わなかったのである。
 

 こういう状況で、それなりに苦しんでいたときに出会ったのが加藤周一である。加藤周一と出会うとき、偉いヒトたちは「羊の歌」か「日本文学史序説」などで出会うのであるが、私はそういう「オバカもいいところ」という悩みの真っ最中に出会ってしまったから、恥ずかしいことに、出会いはカッパブックスの「読書術」(光文社)である。さらに恥ずかしいことに、当時は加藤周一の存在さえほとんど知らず、東京大学医学部を卒業した医師で、ドイツ語とフランス語と英語を自在に操り、ラテン語や古代ギリシャ語にも通じ、現代音楽を魔法のように解説し、現代演劇にも古典演劇にも日本古典文学にも通暁し、フランスに住み、ドイツ人と付き合い、専門は血液学なのに政治についても発言し、医師なのに「現代ヨーロッパ思想註釈」「近代日本の文明史的位置」を書き、アカデミズムの外側から内側に入り込み、むしろアカデミズムの対象として研究される側になりつつある知識人の、書物や論文に感動したのではなかった。「読書術」の裏表紙に掲載された写真の、余りに鋭い表情、特にその視線の鋭さに感動したのである。加藤周一、というと新聞でも雑誌でも老境に至った最近の表情しか見ることができないが、若い時の激しく鋭い眼差しはこのようなものである。

 

0913
(加藤周一。光文社カッパブックス「読書術」の裏表紙より)


 加藤周一の突然の死に際し、彼の「読書術」への言及は、マスコミではおそらく皆無であろう。しかし、現在受験生である年齢層に、どうしても読んでもらいたいと私が思うのは、何と言っても「読書術」である。昨日のブログで触れた桑原先生と宮本武蔵の「観の目、見の目」と同様の言及が本全体のテーマになっているし、加藤周一の生き方それ自体をごくわかりやすい形で読むことができる。昭和37年に初版が出ていて、私が購入したのはその48刷であるから、書かれたより遥か後の時代。いまどこの出版社から出ているかわからないが、少なくとも彼の著作集(平凡社)には入っていない。彼としても、正式の著作とは考えていなかったのであろう。しかし、今パラパラめくってみると、東京大学でも京都大学でも日本を代表する経済学者のほとんどがマルクス経済学を講じていた時代に、彼は「マルクスを知らなくては、社会学は理解できないでしょう」と書き、経済学とは一言もいっていない。さすが、ということをすぐにでも感じることができる。

 

0914
(加藤周一「読書術」光文社カッパブックスより)


 ついでに一言恥ずかしいことを言っておけば、平凡社「加藤周一著作集8」に掲載されていた加藤周一の医師時代の写真を見て、「こりゃ、医者にならなきゃいかん」と考え、高校3年の春になってそれまでの文学部志望が医学部志望に変わり、その結果、あの当時の人生設計を変えることになり、最終的には人生そのものも相当狂ってしまったが、その写真が下である。医学部志望の諸君には、ぜひこの表情を学んでほしい。

 

0915
(加藤周一。平凡社「加藤周一著作集8」より)


 日本文化の「雑種性」についての言及も、加藤周一。「近代日本の文明史的位置」「ある旅行者の思想」である。そういう本を生半可に読み散らした私が、専門性を持たないクマみたいな変なヤツになってしまったのも、加藤周一へのある種の信仰のせいかもしれない。ツキノワグマは恐るべき雑食性で、シャケもドングリも食べるかと思えば、民家に上がり込んで冷蔵庫を開け、コーラやビールを飲んで意気揚々と、悠然と帰っていったりする。私もクマのマネをして、どんな音楽でも聞くし、どんな本でも読み散らすし、ヨーロッパのどんな小さな田舎町でものし歩いて、豚の丸焼きを食い散らかし、安いワインとオリーブでお腹パンパンである。


 まさかこういう生活が加藤周一への憧れからスタートしているとは、自分でも信じがたいのだが、加藤周一が言ったのは「雑種性」、私は「雑食性」。オバカは、結局全くの別物になってしまった。雑種と、雑然・雑踏・雑食との間には、信じがたいほどの距離がある。昨日所用で新宿を歩いたが、新宿の雑踏など、まさに私の頭の中とそっくりの雑然ぶりで、なつかしいクマのネグラの匂いがする。クマのネグラでなかったら、乱れきった深夜の居酒屋である。

 

0916
(新宿西口、京王新線改札近くの雑踏の中で。和服「鈴乃屋」ディスプレイ)


 「その違いは何か」を求めて「読書術」をめくると、「経験の蓄積には、おのずから秩序があるでしょう」という記述があって、簡単に突き放されてしまう。経験に秩序と方法を加えれば、かけがえのない知性が生まれる。クマの雑食に秩序を与えないと、祝祭的な豊かさはあっても、知性は発生しない。飲んだ酒と食べたものの反吐の匂いが満ちた深夜の居酒屋みたいな頭ができるだけである。ツキノワさんとしては、「お腹の中でチーズやワインや生ハムみたいに、自然に発酵して旨味が増せば、おいしい知性が発生する」という楽観(「理科と社会を暗記科目と考えるな」 081124参照)があって、それで今まで秩序と方法の導入を怠ってきたわけであるが、どうもそんな怠惰で都合のいい発酵などというものはこの世に存在しないらしいのである。