Mon 081201 国語の苦手な子になるな 「いい子」に育てるな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 081201 国語の苦手な子になるな 「いい子」に育てるな

 予備校での私の担当科目は英語であって、担当以外の科目にシロートがあまり口出しするのはよくないのだろうが、国語という科目についてだけは、ほんの一言だけ発言する資格があるかもしれない。あくまでシロート、あくまで「下手の横好き」という範囲に留めるが、もともと自分が受験生だった頃から、英語より国語がはるかに得意。ブログを読んでいても、そのタイプの人だろうと察しがつくと思うのだが、現代文でも古典でも、いつでも英語より自信があった。
 

 だいたい、予備校や塾や高校で教えるのには、得意科目よりも苦手科目の方がうまくいく。得意科目だと、「生徒がどこがわからないのか」「相手がどこで苦労しているのか」がサッパリわからない。コーチ役の教師が、生徒の弱点や苦手範囲を把握できないのでは、教えにくいことこの上ないのだ。「いったい何がわからないんだ」「こんなことがわからないはずがない」と絶叫する先生などというのは、生徒としても願い下げだろう。「答えは3だ。オレがそう思うからだ」と断言されても、生徒の学力向上は望めない。
 

 別に自慢するわけだが、私の国語がまさにそれである。例えば早稲田大学の政経学部や法学部の国語なら、今でも満点をとる自信があって、たとえ赤本や青本の解答に「正解は3」と書かれていても、私が「正解は4」と言ったら、おそらく正解は4である。いや、たとえ大学側の問題制作者本人が「正解は3」と断言しても、それでも私が4と言ったら、4が正解。自分自身が受験生だった大昔、そのぐらいの自信をもって試験に臨んでいたので、おそらくいつでも満点だったのだ。いや、国語に関する限り、私が満点だといったら、意地でも満点である。うにゃうにゃ。


 だから、私は国語を教えることはできない。むかしむかし、おおむかし、小さな塾で国語を担当したことがあったが、これがまさに最悪だった。あのとき、私のせいで国語がキライになった生徒もたくさんいただろうし、少なくとも私のお蔭で国語が得意になったりスキになったりした生徒は誰一人いなかったと思う。本当に悪いことをした。「得意だから教えられる」と思い込み、生徒の頭の中をぐちゃぐちゃにしてしまうのは、「どれ、みせてみろ」と言って子供の勉強に介入し、結局子供を泣かせてしまう父親と同じことである(081120参照)
 

 「教えるのには、苦手科目がベスト」という鉄則をつかんだのもあのときだった。自分にとっての苦手科目なら、生徒がどこで苦労し、何がわからなくて困っているのかが手に取るように把握できるし、だからどこをどう解決し、どう努力すればよくなるのかがよくわかる。名選手が必ずしも名コーチになるとは限らず、選手時代に3流だった人が監督として花開くのと同じことである。私は日本人だから、英語が国語より苦手なのは当たり前。「英語の方が得意」だとすれば、その方がおかしい。どうして英語が苦手なのか、生徒が何で苦労しているのか、そういうことがわかる教師は大きなアドバンテージを持つことになる。

 

0895
(違和感:いつもと違う相棒)


 さて、話がそれてしまったが、そのぐらい国語が得意だから、半ば公(おおやけ)と言ってもいい場所で国語について発言しても、まあ許してもらえるだろう。「国語が出来るヤツ」になるには秘訣があるのに、それを実践している生徒は少ないし、「国語が出来る子」に育てるのにも秘訣があるのに、多くの家庭では秘訣は知られず、実行されることももちろん非常に少ないのである。これは残念なことだ。せいぜいで「たくさん本を読みなさい」だったり、親がたくさん本を買ってきて「環境を整えた」つもりになったり、中高生になると新聞の社説やコラムを読んだりして懸命に頑張るのだが、そういう努力は空回りに終わることが多い。
 

 国語は、配点の面でも算数や数学と全く同じ比重を持っているのに、中学受験でも高校受験でも何となく軽視されがち。国語が出来る子は、算数が出来る子ほど尊敬されないし、中学生になると「ちょっと変わった子」扱いされ、高校生になると尊敬されるより、むしろ「つきあいにくいヤツ」として敬遠されるほうが多い。国語が出来るヤツと話していると、何だか心の底でニヤニヤ馬鹿にされているような感覚があって、腰が落ち着かなくなってくる。自分が子供っぽく、相手が妙に大人っぽく感じられるのが原因だと思う。
 

 「国語の得意なヤツ」というのは、むかしから同じイメージであって、高校生なら授業をサボって喫茶店で文庫本をむさぼり読んでいるタイプ。少なくとも優等生タイプは少なくて、数学がどれほど出来ないか自慢しているタイプも多かった。教師に好かれるより、むしろ教師に敬遠されるようなヤツが多くて、反抗したり、大人っぽい発言をして授業を混乱させたりする。一言で言えば「ワル」なのだが、そのワルさは校内暴力に走ったり警察沙汰になったりするワルさではなくて、1枚上手というか、1枚大人っぽいのである。
 

 つまり、あくまでタイプ分けの話としては、国語が得意な子というのは「ちょいワル」なのだ。ひとむかし前に中年男性雑誌で流行した「ちょいワル」も今では死語になりつつあるが、受験の世界ではこれから大流行するかもしれない。国語が得意なタイプとは男子でも女子でも、「ちょいワル」が多いのである。「グー」や「アラフォー」になっても何の得にもならないが、「ちょいワル」なら、国語が得意になりやすい。ちょっと考えてみればわかる話で、国語で我々が相手にする文章の筆者は、その多くがちょいワルなのだ。ちょいワルが書いた文章につきあうのに、読者が品行方正の優等生ではうまくいくはずがない。こちらもちょいワルになるにかぎる。ちょいワルになって、ちょいワル筆者たちとじゃれあい、ちょいワル友人同士の付き合いを楽しむのが、国語の得意な子になる秘訣の第1と言ってもいい。

 

0896
(安堵:いつもと同じ相棒)


 25年まえ「欽ちゃんのどこまでやるの」略して「欽どこ」に「いい子悪い子普通の子」のコーナーがあった(高校生はパパかママに聞くこと)が、現代文でも古文でも、日本の文章の筆者というものの多くが「悪い子」だったので、「いい子」と「普通の子」は文章とつきあいにくいと感じて当然なのである。谷崎潤一郎も川端康成も小林秀雄も、みんな悪い子。日本では「いい子」はエリート官僚になってせっせと事務的な仕事に励むことになっているので、文章の書き手になった段階で、もう悪い子なのである。
 

 三島由紀夫は? 東大を出て大蔵省に入ったまでは、いい子の代表。でも中学生の頃から小説や戯曲を書いて、女性関係でも男性関係でもいろいろあったらしい段階で、とても悪い子。太宰治なんて、坂口安吾なんて、もう、すっごくイケナイ子。加藤周一は? 東大医学部を卒業して血液学が専門、そこまではいい子。でも、福永武彦とか中村真一郎とか、そういうイケナイ仲間とつきあって、文学評論書いて、それは日本的感覚からいったら、いけませんねえ、ホント、悪い子。森鴎外? 医者で軍人で、いい子だったのに、小説書いたり、ドイツ人の女の子が日本まで追いかけてきたり、なんとかセクスアリスとか書いて、イケナイ子。紫式部、吉田兼好、清少納言、みんなエリート官僚としてコツコツ事務処理をこなし、着々と成功の道をのぼりつめることができなかった、または成功できたのにそれを拒んだ、超イケナイ子ばかりである。
 

 そういう子たちがニヤニヤ笑いながら書いた文章を相手にするのに「いい子」「普通の子」が苦労するのは当たり前。国語の授業がどことなく滑稽な感じがするのは、ちょいワルがニヤニヤ笑いながら書き、仲間内で回し読みし、暗い喫茶店や飲み屋で笑い転げて楽しんでいた文章を、白昼の教室に引っぱりだして、難しい顔をして一語一語「この表現は、こんな意味じゃないか」と解釈を重ね、辞書をこまめに引き、板書に内容をまとめ、板書を写し、「筆者は何を言いたいのか」などとマジメに論じているからである。書いた側だって、真夜中に半分酔っ払って書いたものを、全国の高校生が白昼の教室で先生と向き合い真面目な顔をして「主題は何だろう」とか話し合われたら、気持ち悪いと感じるのではないだろうか。

 

0897
(しかし、相棒はデカイ)


 まず、国語の時間だけ、ちょいワルになりたまえ。「いい子は、国語が苦手」なのだ。いい子とは、思考が直線的で、価値観が一つに統一されている人間である。直線的な思考の持ち主は、イタズラと道草の価値を認めない。直線で進むには、ムダだからである。しかし「ムダを省く」「道草をしない」のが素晴らしいのは、直線的に進もうとするときだけであって、旅を楽しむときや酒を飲んで仲間と語り合うときにはムダと道草ほど楽しいことはない。文章の書き手の多くが、旅と酒と仲間について書いているのを考えれば、ムダと道草を嫌悪する精神の持ち主が、文章の妙味を理解できるとは思えない。
 

 もちろん、算数や数学の時間には、思考は直線的でなければならない。スーツをキチンと着て、黒い革靴を履いて、分厚いおっきなメガネをかけて、無遅刻無欠勤でなければエリート官僚として成功できるいい子になれないのと同じで、そこらへんのチンピラちょいワルみたいに、ネクタイをスカーフに変えたり、ゼンマイオヤジとかジュエリーオヤジになったり、そういう道草を食っているようでは、算数や数学は決して得意にはならない。ぜひ「いい子」を貫きたまえ。「2つの三角形が合同であることを証明せよ」とい言われたら、いい子は「2辺の長さとそのはさむ角が等しい」、悪い子は「ハサミで切り取って重ねてみればいいんじゃないか」。いい子以外にマルはもらえない。
 なお、この議論はこれから2~3日継続する。私の精神がたいへんダラしなくできているので、いったんスキなことを書き始めると「簡潔に」などというつまらない規制を自らに課すことができないからである。

1E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3
2E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 2/3
3E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 3/3
4E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1
7D(DvMv) THE BRIDGES OF MADISON COUNTY
10D(DvMv) THE SIEGE
total m10 y1989 d1989