Fri 081128 「…コース」を申し込むな 正月でもないのに福袋を買うな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 081128 「…コース」を申し込むな 正月でもないのに福袋を買うな

 「どこの店でも同じ品質」は全国的チェーン展開を目指す企業ではごく当たり前のことで、マックでも吉野家でもミスドでも、店舗によって味が違うのでは消費者の信用は得られない。ついこの間も、確かカフェ・ヴェローチェだったと思うが、「店舗によってコーヒーの味やいれ方が違う」とどこかの雑誌に書かれて、訴訟沙汰になっていたはずだ。そういうことはチェーンストア運営の基本であって、かつて急速展開を試みた新興の塾は、テキスト・模擬試験から校舎規模まで、出来る限りの平準化を目指したものである。250(ニーゴーマル)とか350(サンゴーマル)とか、校舎の面積を坪数で示した同じような塾の建物が駅前に乱立しているのは、20年ぐらい前に全盛を迎えていた塾バブルの名残である。首都圏なら、町田・藤沢・川越・春日部・南浦和。関西圏なら、大和西大寺・堺東・伏見桃山・枚方・西宮など。驚くかもしれないが、そういう塾では、校舎に配置するジュースの自動販売機から、自社ビルの階段まで平準化したものだ。どの校舎でも同じメーカーの同じジュースを置き、階段の「蹴上げ」(1段1段の高さ)「踏みしろ」(一段の面積)まで規格化する。そこまでの平準化を目指して、徹底した努力を重ねたものなのである。


 しかし、「店舗や商品を平準化する」と言っても、ソフト面になると平準化は容易なことではない。特にサービスを平準化しようとするときは、よほど注意してかからないと、企業としての停滞なり下降線なり、大きな危機に直面しやすい。「どの店舗でも同じ」を実現するためには、「ある店舗だけが突出してサービスがいい」状況を作ってはいけないわけだから、「スマイル0円」みたいなものにしても「他の店とあんまり差がでないように、ほどほどのスマイルにしておくこと」という指示書が回ることになりかねないのである。例えば吉祥寺北口店のスマイルと吉祥寺南口店のスマイルに差があって、より丁寧なスマイルの方に客が詰めかける状況は「チェーンストア・オペレーション」の観点からして非常にマズいから、指示書では「ほどほどのスマイルに留めるように」と指示されることになる。「適切かつ適度なスマイル」がモデル写真付きのメールで全店舗に送信され「この範囲を逸脱しないこと」などという指示が回ったら、それはまあなかなか楽しい企業だが、そこからサービスの停滞が始まり、顧客満足度の停滞、売り上げの停滞、従業員のモラルの低下、そういう危機に直面するのである。

 

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(たまには、ネコらしく1)


 塾バブルが崩壊して、ターミナル駅の駅前が生徒のあまり通っていない美しくないビルで占拠されてしまったのは、決して少子化のせいばかりではないのだ。「どの生徒も同じサービスが受けられるように」という、モノを売る企業理念からすれば正しい方向性が、サービスを売る企業にとっては異質だったせいでもあるのだ。


 マジメな教師なら、誰でも授業の質の向上に努めるものである。しかし才能というものには当然個人差があるから、ある教師の授業はいい評判が突出し、顧客である生徒もその父兄もクチコミで盛んに情報交換するから、他の講師の評価はどんどん下がっていく。すると「みんな同じサービスが受けられる」という自らの宣伝広告と齟齬が生じるのはマズいから、「スマイル0円」と同じことがすぐに起こる。「サービス平準化」は「この程度にしておけ」「あんまり頑張るな」という指示に変質し、具体的には「独自のプリントを作るな」「テキスト以外の教材は使用禁止」「授業延長は禁止」などの形で現れる。つまり、教師の腕の見せ所を奪って、そのことによって「同じサービスの質」を確保しようと動くのだ。顧客から見ればサービスの低下だし、教師たちも腕の見せ所をなくされればもちろんやる気を失う。モラルの低下から、生徒との関係などにいろいろ面白くない逸脱があったり、クレームや事件の発生するきっかけになったりする。

 

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(たまには、ネコらしく2)


 その最たるものが「 … コース」である。担当する講師の名前は事前に明かされることなく、誰が何を教えるのかわからないが、とりあえず中学名や高校名や大学名を冠にして「早慶上智大コース」「国公立大コース」「早慶系列高校コース」「開成麻布中コース」というふうにパンフレットを飾る。「クラス」ということもあるし、「めざせ」「突破」などの掛け声がコースの名称にくっついたものもある。講師名がわからないのは「どの校舎でも同じ内容・レベル」だからで、講師名によってお隣りの校舎どうしで格差が生まれてはマズいからである。ということは、当然サービスについて「低い方への平準化」が起こるから、どの校舎で受講しても品質はあまり期待しない方がいい。
 

 私が目撃してきた限りにおいて、こういう「コース」は福袋のようなものであって、お買得品に偶然あたることも稀に起こるが、ほとんどの場合は買って帰ってガッカリさせられて終わり、なのである。たとえ品質がよくても、自分のサイズに合わなかったり、せっかくブランド物が入っていても自分の好みと違っていたり、結局知人友人に譲ることになったり、まあそれと同じことが「予備校の福袋」=「 … コース」でも起こることは覚悟しておいた方がいい。


 福袋というのは「じっくり考えてしっかり消費する」という正しい消費行動を促すものではなくて、「おめでたいから景気づけに思い切って無駄遣いする」といういい加減な行動の象徴である。お正月に行列を作って福袋を買うなら、初詣同様おめでたくてたいへん素晴らしいが、のべつ幕無し1年通して福袋を買うのは異常である。まして、結婚指輪を福袋で買う、進学先を福袋で決める、就職先の入った福袋、そういうのが生き方として無責任なのは言うまでもない。「コース」で塾を選んでしまうのは、塾の選択についてちゃんと考えていないということであり、塾や予備校の選択が進学の成否の大きな影響を与えることを考えれば、自分や子供の将来についてマジメに考えていない証拠である。
 

 福袋には、「あまり売れない商品を混ぜて売っちゃえ」という店の姿勢が出てしまうものである。同じ高級衣料品でも、ショッキングピンクとかド派手なムラサキとか、控えめなヒトなら二の足を踏むようなものも一緒に袋に詰め込んで、在庫処分を兼ねて売ってしまう。「コース」には、その類いの講師を混ぜて売るのが普通。少なくとも、名前だけで生徒をたくさん集められる看板講師が福袋の中に詰め込まれていることはまず期待できない。

 

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(たまには、ネコらしく3)


 そういう看板講師、芸能界ふうに言えば「ピンでやっていけるヒト」は、ピンの講座で売るのが当たり前。そういうピン講座は、予備校では「単科ゼミ」「特設単科」などの名前で呼ばれ、講師たちは「単科講座」をいくつ担当しているかで競い合う。横綱大関クラスなら3~4講座。このレベルが「コース」担当になることは、なかなか起こらない。新鋭の関脇小結クラスで1~2講座。福袋コースに入っているごくわずかなお買得講師は、このあたりである。一流レストランのコース料理なら高級感があるが、塾や予備校では話が違うのだ。
 

 ただし、それも本部校舎の高3&浪人向けコースのみ。地方校舎、特にその高1高2コースとなると、経験の少ない1~2年目の新人や中堅の不人気講師を袋に詰め込んでまとめて売りさばく。またはそういう講師を育てる舞台と位置づけていることが多い。生徒の立場で言うと、何だか実験台か研究材料に使われているようで気持ち悪いが、マジメに塾選びをしないとそういう立場に追い込まれてガッカリさせられるのだ。
 

 こういうのは、昔は大学受験に限った話だったが、今では中学受験から司法試験まで、人の一生がかかっている多くの試験で同じことが言えるようなった。司法試験予備校で、講師名を明らかにせずに講座をとらせることは今はほとんどないし、中学受験の個別指導でさえ、評判のいい先生はキチンとランクづけし、ハッキリ名前を出して受講の申し込みをさせることが多くなった。こういう流れが一般化するのは、少なくとも消費者にとっては素晴らしいことである。

3D(DvMv) WILD ORCHID
6D(DvMv) COURAGE UNDER FIRE
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