Sat 081122 算数数学英語にこだわりすぎるな …なんかよくても何にもならない、と言うな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 081122 算数数学英語にこだわりすぎるな …なんかよくても何にもならない、と言うな

 模擬試験の成績表が返却されて、多くの子供がまず考えることは「親が喜んでくれるだろうか」ということである。12歳になっても、いや、15歳18歳になってさえも、子供は親の喜ぶ顔が見たいし、親が手放しで喜んでいる姿を見ればそれ以上の幸せはなかなか考えられない。子供というものは、親が期待する以上に親の笑顔が見たいと願っているのである。「いや、ウチの子はそんなに可愛げのある存在ではない」と思っている親がいるとすれば、それこそまさに親の責任であることが多い。つまり、親の側でそういうヒガミでいっぱいになっているから、子供がすり寄って来られないのだ。一度でいいから、手放しで喜んであげるといい。無邪気に喜んでいる親の顔を見ながら子供が笑顔を浮かべる瞬間、子供はまるで赤ん坊の顔を覗き込む親のような表情をしている。親の笑顔以上に子供にとって嬉しいものはなかなか考えられないし、子供が懸命に努力する大きな理由の一つには、親を喜ばせたいという素直な願望が含まれている。
 

 「第一志望校に合格しました」と報告に来てくれたとき、予備校講師として一番嬉しいのは、生徒の父親が涙を流さんばかりになっている表情である。私が15年にわたって教えてきたのは大学受験の予備校であって、娘も息子もすでに18歳の立派な大人になっているから、合格してもパパが一緒に報告に来てくれることは稀であるが、目の前でパパが声を詰まらせて「ありがとうございました」などという滅多にないケースには、私自身ありえないぐらい涙もろい方だから(渋谷のハチ公を見ただけでウルウルするし「マリリンに会いたい」「いつでも会える」「火垂るの墓」などについてはすでにこのブログで書いたことがある)、報告に来てくれた女子生徒とそのパパの前で完全に感動してしまって一言も言えなくなってしまったことがある。

 

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(ナデシコも、もうお手上げ)


 だから、子供にとって余りにも切ないのは、喜んでくれると確信した模試の成績を見て、親がすげなくする瞬間である。パパやママの中には、模擬試験の成績について非常に気難しい方も多くいらっしゃって、教育雑誌であれほど「ほめて育てる」「ほめれば子供はいくらでも伸びる」という特集を組んでいるのに、うまくほめてあげられない人が少なくないのだ。「ほめましょう」というのは、「モンスターペアレントになりなさい」というススメではない。よその大人が自分の子供を叱ったり自分の子供に不利なことが一つでもあると声も態度も大いに荒げるのに、自分で自分の子供に可哀想なほどすげなくする親も、決して少なくない。
 

 その典型が、算数・数学・英語へのこだわりすぎである。中学受験なら「国語や社会がいくらよくても、算数が悪いんじゃ、何にもならない」。高校受験では「理科や社会の成績が上がっても、肝腎の英語と数学が全然よくなってないじゃないの。」大学受験では「お前は医学部志望だろ。日本史だの古典だの、関係ない科目ばっかりよくても、数学が伸びてないな。英語もダメだ。これじゃ本末転倒だ」。
 

 こういう言葉で子供がどれほど傷つくか、大人はしっかり考えてあげるべきである。パパとして、ママとして、こういう発言で子供をガッカリさせていないか。残念ながら、電車の中やファミリーレストランのテーブルでさえ、こういう親子の会話を頻繁に耳にする。涙もろい以上に、私はよその親子の問題に口をはさみたいタイプの人間だから、思わず「そんなこと、言っちゃダメですよ」と助言してあげたくなる。

 

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(ナデシコ、お手上げの図2。手の向きが微妙に違う)


 いや、一番気をつけなければならないのは、塾や予備校で生徒の面談にあたる先生方である。せっかく理科や社会の成績が上がったのに、そこには目もくれないで「ああー、算数が相変わらずダメだねえ」。そういう面談で、小学生が奮起することは考えられない。子供は、親を喜ばせたいと同じぐらいに、先生を喜ばせたいのだ。好きな先生なら、1回ほめてもらえただけで3年も嬉しいままでいられるぐらいである。模試で社会がすごく上がって、前回より偏差値が15以上もいい。社会のことを言ってほしい、社会が上がったね、よかったね、すごいじゃん、とニッコリしてほしい。すごくほめてもらった後なら、ダメだった算数のことに触れられても仕方ない、とさえ思っている。でも、それも「この調子で算数も上がるといいね、社会が上がったんだから、算数だっていけるかもよ。次が楽しみだね」という触れられ方がいいな、なのである。
 

 しかし、親も先生もなかなかそういう順番で言ってくれない。「算数がダメだ」「数学がダメだ」「英語が伸びていない」から攻めてくる。国語の偏差値が70に届きそう、社会も前回と比べると30点も上がった、理科だって、と思って期待しているところに、そんな反応をされると、子供としては正直ビックリして声も出ない。「暗記科目だけよくても」「主要教科がダメなんじゃ」で、最後には判で押したように「本末転倒だ」で締めくくられる。
 

 中学3年生の息子に向かって「国語なんかがよくても何にもならない。数学がダメなのは頭が悪い証拠だ。ママは恥ずかしい」という恐るべき発言をしたママがいたが、これで子供が不信感をいだかなかったら、その子は聖人君子である。国語100点満点、数学80点、英語100点満点。3教科280点で優秀者(全県5位)として表彰された直後の出来事である。
 

 特に、成績優秀な男子が、こういう親や教師の態度で傷つきやすい。ただでさえ「男子のクセに国語ができる」ことには、迷信または偏見があって、国語の時間に変に目立ったり変にたくさん発言したりすると、昔は変人扱いされかねなかった。国語が苦手な人がどうすればいいかは近いうちにこのブログで書くとして、「男は数学」「男のクセに国語なんか出来たって」という発想は、「男は武道」「男のクセにダンスとかシンクロとかやって」といういかにも19世紀的偏見とともに、いまだになくなってはいないのである。

 

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(ナデシコ。肉球も黒い)


 パパもママも先生方も、算数数学ばかりに気をとられ、そのことばかり指摘するのは、すぐにヤメにした方がいい。国語や社会は、いったん安定して高得点をとり始めたら、もう滅多なことで成績が下がることはない、それをしっかり理解して、いくらでもほめてあげてほしいし、受験生本人はそれを大いに誇りにして、いくらでも自信をもち、いくらでも自慢していい。そうでないと、算数数学は上がらない。「他で稼ぐから、失敗しても大丈夫」と思ったときの算数数学は、意外なほどの高得点がとれる。「ここが勝負だ」とカッカした場合の算数数学は、大きな減点につながるミスを連発するものである。


 いくらかでもスポーツをやったことがある人ならすぐにわかるだろうが、「こんなに力んでいたんじゃ、いくらラミレスでも打てません」「こんなに力が入っていたら、ダルビッシュだってタマが走りませんよ」である。算数数学は、いくら「論理的思考が大切」と先生方が主張しても、どうしても動物的直観が不可欠になる場面があって、「ここで一発」「ここで逆転」とか余計な力が入れば入るほど、両足から大地にしっかり根っこが生えて、身動きできない植物的な思考しか出来なくなるものなのである。

1E(Cd) Coombs & Munro:MENDELSSOHN/THE CONCERTS FOR 2 PIANOS
2E(Cd) Billy Joel:GREATEST HITS 1/2
3E(Cd) Billy Joel:GREATEST HITS 2/2
4E(Cd) Akiko Suwanai:BRUCH/CONCERTO No.1 SCOTTISH FANTASY
5E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
6E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK, JANÁĈEK, and BRAHMS
11A(α) 倉橋由美子:夢幻の宴:講談社
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