Fri 081121 食事の時にテレビを消すな いきなり「対話上級者」を目指すな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 081121 食事の時にテレビを消すな いきなり「対話上級者」を目指すな

 ジャーナリズムにそそのかされて、いきなり「親子の対話を増やそう」などというのは、正直言って簡単に出来ることではないが、雑誌や新聞でよく見かける「食事のときはテレビを消して親子のコミュニケーションを増やすべきだ」という主張に至っては、もう「噴飯もの」としか言いようがない。「ははあ、自分でやってみたことのない理想論を書いて、記事の締切に何とか間に合わせたな」と噴き出したくなるだけである。もし誰かに「テレビを消して親子の会話を増やしましょう」と言われたら、「あなた、できるなら、まず自分でやってみなさい」または「できるものなら、やってみろ」と答えておけばいい。
 

 子供が小学校高学年になれば、子供が話したいことと親が話したいことの間にはどんどん距離が開いて、共通の話題を見つけるのはそれほど簡単ではなくなってしまう。まして中学生高校生では、言葉遣いさえ親が聞いたこともない友人同士の話し言葉が多くなって、寂しいことではあるが、親子で夢中になれる話題など、よほど仲睦まじい親子でもない限り、次から次へ湧いて出てくることなんか考えられない。子供の成長とはそのようなことで、次に親子がいくらでも話せる関係になるのは、子供がもうワンランク成長し、立派に就職して、父親と同じような悩みを子供が共有するようになってからのことである。


 そういう状況で「食事の時にテレビを消し」たらどういうことになるか、理想論や机上の空論を振り回していないで、一度体験してみればいい。話題が続くのは、まあせいぜいで3日か4日ぐらい。それが過ぎれば、食卓を支配するのは、気まずい沈黙ばかりになる。努力して赤ちゃん時代や幼児時代の話を持ち出してみても「またその話? もう聞き飽きた」「ちょー、ウザグね?」「メンドイずえ」と一蹴されて終わり。後は、トンカツをサクッと噛み切る音、キャベツを咀嚼する音、味噌汁をすする音だけになる。


 「おかわり」「はい」「明日は、早いの?」「知らね」「勉強は、うまくいってるか?」「まあまあ」「何か、困ってることは?」「なんもねえ」「進学する学部のことは決めたのか」「まだ」「お父さんの若い頃はな」「かんけーネクネ?」「まず、就きたい職業を決めてだな」「 … 」「職業から学部を決めてだな」「 … 」「将来、何になりたいんだ」「知るカヨ」「考えてないのか」「 … 」「おかわり」「はい」「 … 」「 … 」「何で黙ってる」「うぜ」「夢とか、ないのか」「うっせーぜ。メシ食いながら話せっかよ」「それもそうだな、かあさん、キャベツ、まだあるか?」「もう、ありません」「そうか、じゃ、風呂入るか」「 … 」「 … 」「 … 」「 … 」

 

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(ニャゴロワ、もうお手上げ)


 というわけで、一風かわった地獄絵図。この、腫れ物に触るような地獄絵図を入試まで毎日続ける決意があるなら、ぜひ今夜のうちに「これからは、食事のときにテレビを消すぞ。家族のコミュニケーションが大切だ。食事の時間は親子でたっぷり会話を楽しもう」と宣言してみればいい。娘でも息子でも、「どうせ続くわけない」と内心ニヤニヤしながら、親子ゲンカが面倒くさいから、すぐに賛成してくれるはずだ。こうして「どうせ続けられない決意をする」「生まれかわって、すぐに挫折する」という、あまりよくない生き方の見本を、父親や母親が率先して子供に見せてしまう結果になるのだ。
 

 こういう失敗は、「単語と文法さえ知っていれば外国人とコミュニケーションが出来る」と誤解している外国語学習者と、ほぼ同じ種類の誤解から生じる。コミュニケーションは、複数の人間が同時に同じ事柄に興味をいだかないかぎり、発生しないのである。テレビを消した瞬間、家族一人一人がみんなで興味を向ける対象が消えてしまうのだ。深い問題としては「親子共通の関心の対象を作る努力を、なぜ長い間怠ってきたのか」という問題があるのだが、今さらそういうことを言い始めても、とりあえず当面の問題解決にはならない。
 

 「塾がなければ子供は幸せになる」「制限時間さえなければ子供はトコトン粘り強く考え抜く」「テレビがなければ家族の会話がはずむ」など、朝日新聞的お気楽極楽な発想は別として、当面の問題に最も手っ取り早い解決法は「食事の間テレビを消すな」である。手っ取り早くなければ意味がないのは、家族にとって子供の入試とは、時間との戦いだからである。ぜいたくを言ってはいけない。家族一緒に食事が出来るだけで、もう十分にぜいたくなのだ。部活や塾が忙しくなる中高生なら、「家族で食事ができる」の段階で、すでにたいへん素晴らしいことである。

 

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(綿花の収穫1)


 だから、せっかくの食事の時には、ぜひテレビをつけて、みんなでテレビを眺めて、遠慮なく大いに楽しく過ごせばいい。理想的にはニュース番組がいいが、野球でも、サッカーでも、フィギュアスケートでも、バラエティでも、きみまろでも、演歌番組でも、いい旅夢気分でも、ためしてガッテンでも、ドラマでも、警察24時でも、何でも構わない。ヨーロッパを旅行していると、スポーツパブでサッカーのテレビ中継を見ながら、みんなで絶叫し、歌い、肩を組み、罵りあい、酒を酌み交わし、天に(というか天井に)コブシを突き上げ、馴染み同士も見知らぬ同士も一緒に固まって、大いにコミュニケーションを高めている現場を見かけるが、要するにああいうふうであっていいのである。


 で、出来ればパパが、テレビに向かってちょっと変わったことを言ってみる。無理することはない、お父さんというものは一人でテレビを見ている時になら、ほぼ例外なしにテレビと会話しているものである。あれでいいのだ。最初は冷笑&失笑&嘲笑していた息子も娘も、やがて耐えきれなくなって必ず父親に反応してくる。「うるせぐネ」「チョー、ウゼエ」でもかまわない。コミュニケーションが常にプラスの方向性を持たなければならない、などと考えるのは、親の甘えに過ぎない。長い間コミュニケーションの努力を怠った報いなのだから、しばらくは我慢すること。もともと、子供はお父さんが心からキライなのではない。「いい加減にしてよ」「キモくない?」とか言っていても、「イタズラっぽいお父さん」を心から嫌悪しているのではないから、やがて必ず乗ってくる。


 その際、ちょっとだけ気をつけたいことは、出来れば「テレビで批判の対象になっている人をほめてみる」努力である。凡プレーをした野球選手、シュートを外したサッカー選手、批判ばかりされている首相、でっち上げだったかもしれないグルメ番組、暴れて逮捕されかけている酔っ払い、ちっとも笑えないお笑い、ドラマに出たが演技が下手すぎて凍りつきそうな芸人、いかにもウソっぽいCM、そういうものについて「少し無理かな」と思っても弁護し、プラス評価し、いいところを見つけて発言すると、なぜか食卓は活気づく。「日本の首相をほめる」などというのはたいへん珍しいから、話したがらない年頃の子供でも、すぐに父親に反論できるし、たやすく反論できる時には、誰でも反論を口にしたくなるものである。そうなれば、あとは親の余裕。ケンカにならないようにうまく子供をコントロールしながら、どんどんコミュニケーションを進めればいい。

 

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(綿花の収穫2)


 こういう食卓は、楽しい。テレビからコミュニケーションの題材を借りて、日々親子のコミュニケーションを高めていけばいいのだ。それが3ヶ月も4ヶ月も続いて、「そろそろ、大丈夫かな」と思った時に、「今日は、面白そうな番組がないから、テレビ消しちゃうか」と提案してみる。そこまで行けば、子供たちもニヤニヤしながら賛成してくれるはずだ。そうやって初めて「テレビを消して、親子の会話を増やしましょう」が実現する。要するに、マスコミやジャーナリズムの世界で言われる「会話をふやせ」は、あまりに性急すぎるのだ。初心者をいきなり上級者コースに連れて行こうとすれば、必ず失敗する。


 ついでだから言うと、こういうのは、デートの時、テーブル席で向かい合うより、カウンター席で横に並んだ方が会話が弾むのと似ている。人間というものは、正面から向かい合うと対決姿勢になりやすい。いくら仲が良くても、2人で向かい合えば相手の欠点ばかりが目立ってムカついてくる。カウンターに並んで寿司職人や鉄板焼きシェフを相手に話をすれば、男女2人は打ち解けた仲間同士としてシェフや職人と向かい合いことになる。バーカウンターに並んで夜景を眺めれば、相手の些細な欠点など気にならなくなる。親子で都会の夜景を眺めるシチュエーションはそれこそキモイから、間にテレビをはさんで照れくささを和らげつつ、楽しく初級者から中級者への脱皮を目指せばいい。その脱皮、思った以上に簡単なのである。

1E(Cd) Hilary Hahn:BACH/PARTITAS No.2&3 SONATA No.3
2E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
3E(Cd) George Benson:IRREPLACEABLE
4E(Cd) Deni Hines:IMAGINATION
5E(Cd) DRIVETIME
6G(Cd) 戸泉絵里子:スペインを旅する会話:三修社
7G(Cd) 戸泉絵里子:スペインを旅する会話:三修社
12A(α) 倉橋由美子:最後から二番目の毒想:講談社
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