Sat 081108 出題傾向の研究ばかりに夢中になるな 出題形式の変化に慌てるな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 081108 出題傾向の研究ばかりに夢中になるな 出題形式の変化に慌てるな

 入試が近くなってきたら、誰でも過去に出題された問題を調べて、どんな難易度の問題がどんな形式で出題されるのかをしっかり研究する。こういう研究が合格のために欠かせないことは言うまでもない。敵がどんな武器をもち、どんな武装をして、どんな作戦で攻めてくるのかを知っているか知らないかでは、雲泥の違いが出てくるのは当たり前である。予備校講師の授業もそうした出題形式研究に集中する傾向があって、1年中ずっとそんな話ばかりしている講師も少なくない。特に浪人生相手の授業だと、生徒のほうも既にある程度の知識をもっているし、そんな話に限って生徒のウケがいいから、ついつい講師も夢中になって、そういう話のしやすいテキストを作成することになる。「センター試験の3番はこうやって解け」「早稲田法学部の2番には解き方に秘訣がある」「東大の1番の手際のいい解き方は、これ」など、昔の言葉で言えば「受験テクニック」ということになるが、講師も生徒もそういう受験テクニックに夢中になっているのが浪人生の予備校の日常である。
 

 このことは私自身大いに反省しなければならないが、ほんの5~6年前までの私の授業が、まさにこれであった。生徒の実力をじっくり時間をかけて向上させることよりも、今ある力をせいぜいうまく使って、手っ取り早く合格させるにはどうしたらいいか。「成績を伸ばす」「力をつける」、そういう面倒なことよりも、「ずるがしこく合格するにはどうするか」「こういう形式で出題されるから、こう考えてこういう作戦でこういうふうに解け」、生徒に人気の高い大学の特徴的な問題を網羅したテキストを作成し、丸々1年かけてテクニックの伝授に努めていた。自分としては、生徒が夢中になりがちなミクロの読解に加えて、現代文の読解のようなマクロの目の養成を英語の授業に取り入れ、実に画期的なことをやっているという自負があったのだが、生徒の目線から見て一言でまとめれば「テクニック」「アヤシイ方法」「変な方法論」になってしまっていたのだろうと思う。
 

 最初に教えた2つの予備校では、そんなことは考えもせず、与えられたテキストをひたすらこなすことに必死だったからまだ良かったのだが、その後移籍した予備校で状況は大きく変化した。「ああいう問題は、どんなふうに解けばいいんですか」と真剣に質問に訪れる生徒が格段に増えたし、「オレが受ける大学ではこういう形式の問題は出ネエから、この問題やっても意味ナクネ?」とテキストを投げ出してしまうような生徒も少なくなかった。このタイプの生徒は、それまで勤めていた予備校にはあまりいなかったから、驚きもしたし、ショックもあった。
「オレは私立志望だから、記述はカンケーネグネ?」
「オレラは国公立志望。早慶の問題やる意味ワカンネ」
と決めてしまって、「その問題をやって英語の実力をつける」という地道な考えになかなかなってくれないのである。そうなると、講師としても「そうか、それが求められているなら、そういうテキストを作成して、そういう授業を主体にするしかないか」、と考えてしまう。「需要と供給」という一種の捨てゼリフが頭をかすめたりもする。若手の講師の皆さんには、こういう誤解をしてテクニック伝授に走らないように、ぜひ気をつけていただきたい。生徒が求めるものを与えようとすればするほど、そのことに熱心になればなるほど、生徒の実力向上から懸け離れた方向に走ってしまいがちなのである。

 

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(ナデシコ勝利の瞬間)


 しかも、最近の入試は、センター試験でも何でも、頻繁に出題形式が変化する。早稲田なんか、10年前と今とでは「これが同じ大学?」と聞きたくなるほどに出題傾向が変わっている。つい2~3年前にセンター試験英語の出題形式が突如として大きく変化し、出題傾向の研究にばかりうつつを抜かしていた受験生をパニックに陥らせたことがあった。「6番の長文読解は、こうやって解く」「3番のカシコイ解き方は、まずこう、それからこう、そしてこう」など、マニュアル化された解き方をマスターして自信満々で臨んだセンター試験で、あんなに突然出題形式を変えられたら、正直言って可哀想すぎた。その直後、センター試験の過去問だけを編集して作成した予備校の「センター試験英語」のテキストが、まったく人気がなくなってしまったのは、言うまでもない。「出題形式が変わったんだから、昔の問題やっても意味ネグネ?」という発想が一般的なのだから、これはどうしようもないことだった。
 

 私は興奮しやすい方だから、あまりに大きな変化に、受験生が可哀想で泣きそうになったりもしたのだが、要するにあれは「実力もつけずにテクニックばかり磨くこと」への警鐘だっただろうと思う。一番確かな方法、あるいは学習の王道、それは「実力をつける」ということであって、実力さえあれば、出題形式が大きく変化しても動ずる必要は全くない。陳腐な言い方だが、受験産業が発達しすぎて、ついつい実力をつけることの重要性をみんなが忘れてしまっていたのだ。
 

 実力をつけるには、英語なら、英単語と英熟語をしっかり覚えて、英文法をじっくりマスターして、たくさん読んで、たくさん書いて、たくさん音読して、そういう「誰でも出来る簡単で単純なことを、どんどんこなし続ける」のが王道。出題傾向の研究やそれへの対処法などというものは、最後の最後に集中してやれば十分である。90分走り続けられないサッカー選手が、フォーメーションの研究ばかりやっていても使い物にならないのと同じことである。

 

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(眠るナデシコ。復讐に目覚めるニャゴロワの妖しい笑顔)


 では、万が一出題傾向に大きな変更があり、せっかく過去問研究で練習してきた解き方が使えないという場面に遭遇したら、受験生はどうしたらいいのか。中学受験だって、「それは出ない」と決めてかかれば必ず痛い目に遭う。「A中の理科では星と気象は出ない」「B中の社会で時事問題は出ない」などと断言してしまうと、万が一それが出てしまったときの受験生の動揺の大きさは計り知れない。大学受験の英語で、何の前触れもなしにリスニングが出題されることは考えにくいとしても、突然100語の自由英作文が出題される可能性は低くはない。国公立なのに早慶みたいな超長文を突然出題されるとか、私立なのに100字200字の記述論述問題が前ぶれなしに出てくることも十分考えられる。
 

 不幸にしてそういう場面に出会ったときには、まず悠然と、1回深呼吸する。「おやおや、問題形式が大きく変わっている。これは出題者に、完全にやられた。なかなかやるねえ」と考えて、ニヤリとする。ニヤリとするとき、意識的にニヤリとすることが大切である。自分がニヤリとしていることを意識しながらニヤリとし、ついでに舌をペロリと出して「やられた」ことを悠然と確認する。だって、実際にやられたのだから、やられたことの確認から入らなければ一歩も先に進めない。その上で「やられたことは、他の受験生も同じ。他のヤツらは、やられて、ニヤリともできていないだろうし、舌を出す余裕さえないだろう」と悠然と考えてほしい。少なくとも「やられたズエ、ゲロゲロ、こんな問題、出るのおかしくネ? やばくネ?」とか、大慌てになっているサワガシイ受験生には、負けるはずがないのである。
 

 そして「この問題が出来るか出来ないかは、合否に大きく影響することはない。ほとんど全ての受験生が準備していない形式なのだ。試験後にはこの問題の話題でみんな盛り上がるだろうが、合否は他の問題がどれだけ出来たかで決まる。まず、しっかり準備のできている問題でキチンと得点して、最後にもし時間が残っていたら、この問題で2点でも3点でも多くとって、勝ちに行こう」と考える。ま、それが正しい勝ち方である。