Fri 081107 騒々しい受験生になるな 「見直しの時間もとれよ」と言うな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 081107 騒々しい受験生になるな 「見直しの時間もとれよ」と言うな

 「始め」の合図とともに、落ち着いて悠然と問題用紙をめくる。決して「時間との勝負だ」などと考えないことが大切である。時間との勝負ということになれば、シーザーでもナポレオンでも勝利することはできない。制限時間内に、自分に出来るだけのことをすべて出し尽くせばいいのであって、できる以上のことをしようとすれば必ず失敗する。100%を出し尽くして、それでもダメなら、潔くあきらめればいい。そういう落ち着きだけが勝利につながる。自分の力の2倍だしてみせようとか3倍だしてみせようとか、色気を出してそういうミラクル君みたいなことをしようとすれば確実にボロが出る。よく見かけるのが「配られたら、透かしてみてみろ」の類のアドバイスに素直に従ってしまっている惨めな受験生。
 

「配られてから、始まるまでの1分が勝負だ」
「ヤメ、と言われてから、答案を集められるまでの1分が勝負だ」
などというアドバイスがよくあるが、私などから見ると、なぜそんな変なところに勝負を持っていったのか、不思議でならない。始まる前の1分、終わってからの1分、合計しても2分しかない。そんな変な2分に勝負をかけて、そのせいで目の前が真っ赤になっているなどというのは、みっともないだけである。映画やテレビドラマで戦国時代ものをみていると、戦いが始まる前にブルブル震えている足軽たちの表情が大写しになったりするが、ああいう存在に自分をおとしめる必要はない。始まる前の1分と終わってからの1分の間には90分なり50分なり、正々堂々と戦える正規の試験時間がある。その90分や50分に全力を傾注して悠然と戦う者こそが勝利するのである。


 始めの合図とともに、猛然とスパートするタイプの人もよく見かけるが、正直言って感心しない。そういうタイプの人を、私は「騒がしいヤツら」「バカバカしい受験生」として授業中に紹介するが、彼らはとにかくやたらに騒々しいのである。始めと言われた瞬間に、まるで親の仇ででもあるかのように問題用紙を激しくめくる。めくり方が激しすぎて、 ビリッと破いてしまったりする。そして何だか知らないが猛然と何かを書き始める。とにかく速い。問題文も読まないで一体何を書いているのかわからないが、ペンの音をカツカツカツカツ響かせて書きまくる。と、思うと、今度はやたらにタメイキをつく。机に突っ伏す。ガバッと起き上がって、また猛然と書き始める。ページをめくる。それも黙ってめくらない。大きなタメイキをつきながら大きな音を立ててめくる。デカイ声でクシャミをする。鼻をすすり上げる。


 終わるのも早い。残り15分もあるのに、どうやら解答が終わったらしく、何だかガッツポーズみたいなことをして、またまた机に突っ伏す。おや、もう終わったのかと思ってみていると、30秒ぐらい経過してから、またまたガバッと起き上がって、どうやら「見直し」をしているらしい。その「見直し」なるものがまた同じように騒がしい。騒がしくて、早い。それでは何の見直しにもなっていないような気がするのだが、とにかくわあーっと答案を上から下まで眺め回して、ガッツポーズをして、また突っ伏す。「やめ」の合図があるまで、彼は(なぜか男子に多いのだ)同じことを何度でも繰り返す。こういうのを見ていると、ゼンマイ仕掛けの人形を見ているようなバカバカしさを感じる。

 

0812
(ナデシコによるニャゴロワおさえ込み1)


 とにかく、試験会場ではもっと落ち着いた大人の態度をとるべきである。試験開始の合図があったら、まず必ず前回書いたような悠然とした態度で全てを始めること。合図とともに戦場に突っ込んでいくのは、最初に殺されてしまう足軽たちだけである。そして「そんなに早く解答が終わることはありえない」ということを忘れないこと。普通の受験生が、制限時間より10分も15分も早く解答を終えたとしたら、それは何か大きな勘違いか見落としをしているに過ぎない。


 合格するときには、何故かいつでも「やめ」の合図の1~2分前まで目一杯の時間がかかって、見直しの時間なんかほとんどないものである。「人生で初めてだ」と思えるぐらいに集中して答案を書いて、途中で時計に目をやることさえなく集中して、ついに最後の1問の解答を記入して、素晴らしい充実感とともにペンを置いて、「これは合格したな」という実感がこみ上げてきたときに、時計を見ると、残り1分。見直す必要さえ感じなくて、「よし」と顔を上げた瞬間に、何故か試験監督の先生と目が合って、すると先生がニコッとして、「やめ」の合図をする。ぞっと鳥肌が立つぐらいの感動があって、そういうときはまず間違いなく合格している。


 私は実際の大学入試でも試験監督をしたことがあるから、監督している側からも言わせてもらえば、合格しそうな受験生は最初から目星がつくし、ダメそうな受験生も会場を見渡してだいたいはわかってしまう。バカバカしいほど騒がしい受験生は、正直言って見ているだけでも煩わしい。「あーあーあー、もっと落ち着いてゆっくりやればいいのに」と思うのだが、もちろんそんな声をかけることはできない。呆れて見ているだけである。


 逆に、悠然と構えていて、試験時間内も集中してしっかりした答案を書いている様子の受験生のほうには、自然と目を向けたくなる。「よしよし、その調子でいけよ」、と思い、心から応援したくなるものである。だからこそ、試験時間終了が近づくと試験監督とそういう受験生はよく目が合うのであって、答案を集めるときにも、できれば「よく集中してやっていましたね。いい答案が書けたでしょう」と声をかけたくなるほどである。

 

0813
(ナデシコによるニャゴロワおさえ込み2)


 だから、授業中に「時間配分」の話をするときに「見直しの時間も取れよ」とアドバイスすることには、私は反対である。第一、そんなに都合よく「見直しの時間5分」なんかが取れるはずがないのである。90分の試験で、「見直しの時間が必要だから、解答は85分」などと決めてしまったら、自分で自分の解答時間を短くしてしまって、その分プレッシャーを大きくしているだけのことである。解答している最中にも、「どうせ後で見直すから」と考えて、そのぶん注意力が散漫になることだってありうるはずだ。


 しかも、たった5分の見直し時間で、万が一間違いが見つかったとして、その残り時間でどうすればいいというのだろう。もう1度じっくり考え直す時間なんか、もう残っていない。結局残った1分か2分で、一か八かの勝負をかけるしかないのだ。そういう時、「もともとの答えのほうが合っていた」「見直しをしたおかげで、返って間違ってしまった」という経験のほうが多いのではないだろうか。


 さらにもう一つ、見直しをして、返って提出した答案に自信がもてなくなり、「あそこはどうだっただろう」「失敗したかもしれない」という不安のせいで、次の時間の科目に悪い影響がでることもありうる。常にプラス思考でいなければならない入試の場で、いたずらにマイナス思考に付け込むスキを与えてしまうのが「見直し」の作業なのである。


 だから、答案作成は「見直し」など当てにせず、1回で集中して制限時間を目一杯かけてじっくり悠然と行うこと。見直しは、その余裕がたっぷり残っているときに「ラッキー」と考えてするにとどめること。周囲の大人が、安易に「見直しの時間も必要だ」などといってはならないのである。