Wed 081105 「試験の前日はしっかり睡眠をとれ」と言うな あがってはいけない、と思うな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 081105 「試験の前日はしっかり睡眠をとれ」と言うな あがってはいけない、と思うな

 試験の前の日になって、それでも徹夜で勉強するほどキモの座った受験生なら、むしろ頼もしいぐらいである。そのぐらいの根性があれば、睡眠不足だろうと何だろうと、その程度のことで実力が出し切れないようなことはないはずだ。むしろ問題なのは、受験生に向かってやたらに「前の日はしっかり睡眠をとりなさい」とアドバイスする周囲の大人である。しっかり睡眠をとったほうがいいことは受験生だって百も承知であり、言われなくても睡眠をとりたいのは山々である。もともと寝るのは大好きなのであって、できることなら昼過ぎまででも寝ていたいのが受験生である。言う必要のないことを言い続けて「前日は眠らなければ」という強迫観念を作り出し、そのせいで「眠れない」という人生初めての経験で苦しませるのは、周囲の大人のほうなのである。放っておけば、いくらでも寝るはずだし、「それでもうまく眠れないときに、どうするのか」という処方箋さえ与えずに「眠れ眠れ」と言いまくるのは、無責任というものである。
 

 むしろ、そんなことは一切言わずに、いつもと同じように放っておきさえすればいい。いつもと同じように夕食をとって、いつもと同じように風呂に入って、いつもと同じように問題集を3~4ページやれば、それでいつもと同じようにすぐに眠くなる。またまた無責任な大人がやってきて「今さら問題集なんかやって、自信をなくしたらどうするんだ」などと質問し、「さあ寝ろ、さあ寝ろ」「寝ないと落ちるぞ」と脅迫しても、脅迫されて寝られる動物はいないはずである。


 試験前夜に問題集を解いて、1問や2問解けないからといって、そんなことで「自信を喪失した」などというヤワな受験生なんかそんなにたくさんいるものではない。彼らも彼女らも、その前の1年、たくさんの模擬試験で痛めつけられて、もうとっくに自信喪失になっているし、「解けない」「わからない」という自信喪失にはすっかり慣れっこになっている。それを言い換えれば、精神的に十分タフになっているので、親や教師が心配するほど簡単に「自信喪失で眠れない」などということにはならない。眠くなるまで、好きなだけ勉強させて放っておけば、真夜中前には確実に健康な寝息を立てているものである。
 

 それでも眠れないことになったら、眠らなければいいだけのことである。眠らないぐらいの豪傑なら、眠らなくても実力は出せる。眠らなくても全く構わないから、とにかくベッドに入って身体をゆっくり休めればいい。横になってゆっくりしているだけで、必要な休養は十分にとれる。休養さえとれれば、それでいいのである。ただし、そのときに決してマイナス思考にならないこと。「…したらどうしよう」ではなくて「…できるに決まっている」と何の根拠もないのに明るく考えていればいい。その晩だけは、一切反省のない無責任な態度が許されるのだ。横になって、あっけらかんとした無責任な思考を続けていれば、いつの間にか眠ってしまっているものだが、そうやってとった睡眠は、「眠らなければならない」とか言って、脂汗をかくような思いで無理矢理とった睡眠よりもはるかに効果の高いものなのである。

 

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(カゴネコに忍び寄る黒い影)


 「あがらずに、いつも通りの力を出しなさい」というのも、考えられる限り最も無意味なアドバイスのうちの1つである。「緊張するな」と言っても、緊張してしまうものは仕方がないのに、「あがってはいけない」「緊張してはいけない」と先生や親にアドバイスされれば、その分ますます緊張してしまうだけである。試験が近づいてくると、泣きそうな顔をして「先生、あがっちゃったらどうしたらいいでしょう」と相談にくる生徒が多いのは、おそらくこういうアドバイスを聞かされて「緊張したら実力の半分も出なくなる」「万が一あがってしまったら、そのせいで1年の努力が無駄になる」という強迫観念にさいなまれている証拠なのである。これでは戦わずして既に負けている。負けている、というよりも、親や教師のアドバイスが重たすぎるのだ。鎧が重過ぎて歩くこともままならない武士というのではマンガになってしまうが、初陣を飾ろうという息子や娘に重すぎる鎧を着せてしまうことのないように親は十分注意を払うべきである。


 受験当日の朝なんかでも、本来あるべき姿は「いつもと同じ朝」である。父も母も緊張しまくって、朝の4時5時にはもう寝ていられなくなってしまい、母はトンカツ弁当を作り、「カツでカツのよ」とか、子供が聞いたらそれだけで卒倒してしまいそうなつまらないことを言いまくり、父は父でコッソリ買っておいたオマモリなどを「さりげなく」手渡しながら、自分が受験した大昔の受験訓話などを口にする。子供から見たらちっとも「さりげなく」なんかないし、そんな昔話は全く役に立たないのだ。「おお、家族全員が、ひどく緊張しているな」「今日1日に家族みんなの幸せがかかっているんだな」と、必要以上に緊張し始めるだけである。

 

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(通り過ぎる黒い影)


 理想的なのは、父親はもういつも通りに仕事に出かけてしまっていること。母親がお弁当を作るにしても、変に力や愛情のこもったお弁当はヤメにして、むしろいつもより愛情のこもっていない軽いものにすること。重たい弁当を食べたりすると、午後の試験中にお腹の調子が悪くなったり、要するに碌なことがない。その軽いお弁当を持たせて、「ちょっと手抜きしちゃったけど、これでいいでしょ?」「げ、試験の日に手抜きって、ひどいなあ」とか、そういう会話でなごむのも悪くない。12歳でも15歳でも18歳でも、彼ら彼女らは、既に立派な大人なのである。親は認めたくないかもしれないし、いつまでも子供のままでいてほしいと思うのかもしれないが、残念ながらそうはいかないのだ。
 

 父が出かけたあとの静かな家の玄関で靴を履きながら、「今日はしっかり戦ってこよう、困難な闘いではあっても、今日1日をしっかり勝ち抜いて、両親を目いっぱい喜ばせてやろう」、そのぐらいのことを胸に刻み込む程度の大人に成長していなければ、第1志望合格は難しい。軽い弁当を軽く掲げて母親に挨拶し、途中見かけた小さな神社に小さく目礼して合格を願い、いつもと同じように駅の階段を上がって降りて、電車のドアが開いて「さて、いくか」と電車に乗り込む。そういう朝であってほしいと思う。あくまで理想を言えば、たとえそれが中学受験であっても、母親も父親も試験会場までくっついていったりしないほうがいいのである。15歳や18歳なら、もちろん言うまでもない。