Mon 091221 ハンガリー語もチェコ語も完全に準備不足 挨拶ぐらいしかできそうにない | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 091221 ハンガリー語もチェコ語も完全に準備不足 挨拶ぐらいしかできそうにない

 12月14日午後8時、チロリアン航空が無事にウィーン空港に着陸して、半月にわたる中欧&東欧旅行が始まったわけであるが、まあ以上のような事情から、今回の旅行は前代未聞と言っていいほど準備不足の状態で始まることになった。「出発直前に成田空港でハンバーグカレーを食べる」というのが毎回の儀式のようになっているのだが、別に旨いわけでもない「銀座ライオン」のカレーを食べ、黒ビールを流し込みながらも、ヒタイからは絶え間なくリンパ液がダラダラ流れて、ちっとも落ち着かない。
 朝ギリギリで風呂に入ってきたせいで、おそらく大慌てだったのだろう、腕時計を忘れてきた。飛行機の中でも1時間に1回トイレに入って、トイレの狭い洗面台で、乏しい水をチョボチョボ片手ですくっては傷口を洗い、絆創膏を貼りなおした。貼っても貼っても、10分も経過すると何だか剥がれ落ちてくるようで、右のヒタイが妙に落ち着かない。壁への激突が招いた結果と影響は、かくも大きかったのである。

(大雪の翌日のブダペスト、国会議事堂とクリスマスツリー)

 いや、壁への激突がなくても、すでに旅行の準備は完全に不足していたのであって、ハンガリー語もチェコ語も、2つか3つの決まり文句しか記憶していない。英語帝国主義に屈するのがイヤで、ヨーロッパ中どこへ行っても「片言でいいから現地の言葉で何とかしよう」と努力するのが好きなのであるが、今回はその努力が決定的に欠けている。
 11月中旬、「そろそろ何とかしなけりゃな」と焦って、それぞれの入門書を手に入れたところまではよかったのだが、その直後にひどい風邪をひいて、ハンガリー語3時間、チェコ語2時間、たったそれだけこなしたところで寝込んでしまった。しかも、どちらの言葉も、2時間や3時間では1歩も前進できないほど、難解きわまりないヤツらである。

(ブダペスト地下鉄。ほんの20年前まで社会主義国だったことを痛感させる、衝撃の車両だった)

 何といっても、その母音システムの複雑さには目を見張るものがある。母音のいたるところに、英語でありえないどころか、ドイツ語にもフランス語にもありえないような種々雑多な記号がくっついていて、怠け者の類推を許すような甘いシロモノではない。飛行機の中でヒタイのダラダラ&ペラペラを気にしながら確認できたのは「ありがとう」と「こんにちは」程度。とりあえず旅程が先になっているハンガリー語だけ確認を進めているうちにフランクフルトについてしまった。

(ブダからみた、ドナウ河の向こうのペスト地区。大雪の翌日、午後2時頃。夕陽を浴びてピンクに染まっているのは国会議事堂)

 日本語のカタカナでは正確に発音を示しがたいものがあるが、「ありがとう」=「ケセネム・セーペン」。「こんにちは」=「ヨー・ナポート・キーバーノック」。「おはよう」=「ヨー・レッゲルト・キーバーノック」。これに「…ください」と「お会計お願いします」「トイレどこですか」ぐらいが加われば、あとはちょっと単語を入れ替えるだけで「おお、現地でいくらか現地語が使えた」という自己満足には浸れるのであるが、そこまですらいかなかった。

(プラハで4回も訪れた居酒屋「ドヴ・コチェック」=「2匹のネコ」。ニャゴロワとナデシコはこんなところまでついてきた)

 特に問題なのはチェコ語である。フランクフルトの段階で記憶しているのは「こんにちは」=「ドブリ・デン」だけ。おやおや。それも昔かじったロシア語の発音とちょっと似ているから、そのおかげでクマさんの海馬に偶然引っかかりができただけのことで、頼りになるのは「旅の指差し会話帳」のみ。その「指差し会話帳」だって、さくいんとか目次が充実しているわけではないから、使いづらいことこの上ない。こういう状態で、どうも英語帝国主義に屈して英語に頼って旅する、屈辱的な半月になりそうである。そういう屈辱感をヒタイの傷が象徴していると言ってもいい。