Sat 081025 ハチマキをするな 合格するぞのシュプレヒコールをするな 限界を確認せよ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 081025 ハチマキをするな 合格するぞのシュプレヒコールをするな 限界を確認せよ

 ミラクル君たちが集団になると、何故か皆でハチマキをする習性があるようである。ミラクル君たちが数十人、塾の教室や合宿所に集合して「必勝」「根性」「克己」などの文字と日の丸を染め抜いた揃いのハチマキで勉強に励んでいる姿は、いかにも「受験たけなわ」という風物詩にもなっていて、年末やお正月のテレビニュースでもおなじみである。「いかにも」という感じの塾講師が先頭に立ち、ハチマキ姿の生徒たちが全員で立ち上がって「がんばるぞ」コールをするシーンもおなじみ。「がんばるぞ! がんばるぞ!! がんばるぞ!!!」の元気な掛け声は微笑ましいものだし、「正月返上で難問に取り組んでいました」などとニュースキャスターが読み上げる原稿も、それ自体が毎年使いまわしているお正月の風物詩そのものと言っていい。
 

 こういう皮肉な書き方をすれば、「おお、今井はハチマキやシュプレヒコールには反対なんだな」とすぐにわかってしまう。まさにその通りである。大晦日やお正月になってハチマキだのシュプレヒコールだので「一発大逆転」を狙うのは、まさにミラクル君そのもの。勉強とは、そんなにカッカして、神がかりになって、我を忘れて出来るものではない。モチベーションアップは、もっと冷静に自分を見つめた上ですべきである。「不可能だ、自分には出来そうにない」とウスウスわかりかけていることを、強引に勢いだけで突っ走ろう突っ切ろうとするのは、成功の可能性を自らめちゃくちゃに踏みつぶしているのと同じである。
 

 資源も兵器も圧倒的に足りない勝ち目のない戦争に、玉砕覚悟で暴走して自滅の道をひた走ったとき、日本人はみんなハチマキをして精神力だけで大逆転を念じたものである。つまり、ハチマキというものは、冷静な状況分析を放棄して自暴自棄の行動をとる愚かさの象徴。暴力の象徴、人間の理性を失わせる道具である。「がんばるぞ」コールも同じことで、太平洋戦争最終局面に追い込まれて「一億火の玉だ、玉砕も辞さず」を叫んだとき、人々はみな日の丸のハチマキを締め、状況判断の材料を奪われ、掛け声叫び声の中に知性も理性も失ったのだ。

 

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(試しに箱の角にアゴを乗せてみた、怠惰なニャゴ姉さん)


 勝利する人は、ハチマキやシュプレヒコールに頼ってモチベーションを上げたりはしない。やるべきことをキチンとこなし、追いつめられても今出来ることに最善を尽くし、冷静に状況を分析して戦略をたて戦術を練るのである。簡単に言えば、ハチマキなんかして大声をあげているヒマがあったら、学習計画を1歩でも2歩でも進めたほうがいい。絶叫しているヒマに英語の単語を10個覚えたほうがいいし、ミラクル君的計画表を作って悦に入っているよりも数学の問題集3ページやるほうがいい。自暴自棄や愚かな暴走で勝ち抜ける性質の戦いなど、この世には一つも存在しないことを肝に銘じるべきである。
 

 私が講演会の時に「過剰な演出はご遠慮ください」と主催者にお願いし続けているのも、こういう趣旨である。お願いしておかないと、花束贈呈・抽選会・握手会・ジャンケン大会・サイン会などのイベントが延々と連続して、生徒の大切な勉強時間を無駄遣いすることになる。講演終了と同時に参加者全員が突然立ち上がって「合格するぞ」コールが始まったこともあった。「感謝の気持ちをこめて」ということだったが、感謝の気持ちのこめ方が違うように思った。
 

 講演冒頭にプロレスラーのテーマ曲が大音量で響き渡り「今井、がんばれ、今井、がんばれ」の声援とともにスポットライトの中を私が入場、などというのもあった。いろいろ工夫をしていただけるのはたいへん嬉しいのだが、どちらかといえば時間の無駄である以上に、勉強についての生徒の誤解のもとになる。そういう無理なモチベーションのあげ方は、モチベーション自体が長続きしないだけでなく、地道な努力の積み重ねの大切さを忘れさせてしまう傾向があるのだ。
 

 私は、講演の最後には必ず「今日は走って帰りなさい」と言っている。イベントなんかに参加しているヒマがあったら、走って帰って今日からすぐに努力をスタートさせるべきだ、今日は走って帰って、単語集10ページ進めるか、数学の問題集2ページやるか、何かそういうことをして、ガッツポーズをしてから寝ることにしなさい、モチベーションアップということなら、握手会やジャンケン大会なんかよりそっちが遥かに効果的だし長続きするはずだ、そういうことである。

 

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(怠惰なニャゴ姉さん・全景)


 まあ、こういうイベントが効果的だと思うこともなくはない。ずいぶん昔のことになるが、私は某予備校お茶の水本部校舎で浪人生の「壮行会」に出席したことがある。1月末日、年度最後の授業が終わった直後、東京大学を受験する生徒全員を大教室に集めて激励するという催しだった。生徒たちは非常に素直だから、配られたハチマキをみんな頭に締めていたし、壮行会に呼ばれた相当にお年をめした錚々たる講師陣も、何の迷いもなくハチマキをして「合格するぞ!!!」の絶叫に加わった。よくあるシーンで、コブシを天に突き上げながら合格を誓うのである。
 

 まあ、勉強が一段落してから、あくまで儀式としてこういうことをするなら、それは悪くないかもしれない。彼ら彼女らは浪人して丸々1年をつらい受験勉強に費やしたのだ。しかも、多くの浪人生が途中で脱落して予備校の授業に出席しなくなる中で、ついに1月の最終授業まで出席を貫き通し、ついにこの場にたどり着いたのだ。その努力と継続は賞賛に値する。ならば、おめでとう、よくやりぬいた、この調子であと1ヶ月全力を尽くしたまえ、そういう意味合いでのハチマキとシュプレヒコールなら、素晴らしいことである。

 

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(いいものあげるから、おいで。恐怖のニャゴ姉さん)


 いけないのは、格別努力をしているわけでもなく、普段は怠け放題怠けていて、継続的なつらい努力はイヤだけれども、ここで何か奇跡的なことが起こって、「目からウロコが落ちて」、コツコツ努力してきたマジメなヤツらを一発大逆転してやろう、そういう安易な期待でするハチマキと絶叫である。
 

 大晦日やお正月の塾の教室での「がんばるぞ」コールは、そのほとんどがこの類いのものである。春4月から、いや、前の年の11月12月ぐらいからしっかり基礎力を鍛えてちゃんと合格するような受験生は、お正月の最中にそんな自暴自棄のイベントに参加してなどいないのだ。お正月になると、教室の中に「僕たちの正月は3月だ」などと貼り紙をする予備校があるが、正直言って滑稽きわまりないと言うべきである。正月を3月にしてしまったのは予備校側の責任だ。早くスタートするように、4月どころか前の年の冬になったらもうスタートするように、生徒たちをキチンと指導していさえすれば、正月を3月なんかに延期しなくてもよかったはずなのだ。

 

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(呼ばれても行かないナデシコ姫。左右の腕の模様が、上手につながっている)


 では、模擬試験が悪くて愕然とし、どうしてもハチマキをしたりシュプレヒコールのようなことがしたくなったらどうするか、ミラクル君になりそうになったらどうするか、ということになるが、「1度、自分の限界を確かめてみる」というのが正解だと思う。つまり、悔しい思いをしたら、その悔しさを計画表作成にぶつけるのではなくて、直ちに「自分は一体どこまでやれるのか」「どのぐらいの勉強に耐えられるのか」を試してみることに向けるのである。自分の限界がわかれば、ミラクル君になって時間の無駄をすることがなくなるだろう。優れた塾なら、そういう機会を比較的早い時期に与えてくれるはずだ。春でもいいぐらいだが、春ではまだそれほどの挫折感を感じてはいないだろうから、7月8月ぐらいになるだろうか。仲間と励ましあいながらそれぞれの限界に挑戦できれば、その経験は大人になってからも生き続けるはずである。
 

 もちろん、「限界に挑戦」は塾や予備校に頼らなくても、自分1人でも出来ることだ。高3生なら「高2のときの英語の教科書を丸々1冊50回音読」「1000問ある英文法基礎問題集を3日で解き直す」などに挑戦してみればいいし、中学受験を目指す小6なら「計算問題1000問マラソン」みたいなことを自ら企画して(親の出番かもしれない)やり抜いてみればいい。そういう経験は、もちろん自分の限界を知るだけでなく、基礎力を大いに高め、急激な学力向上のきっかけにもなるだろう。

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