Tue 081021 奇跡を求めるな 負けグセをつけるな マッジョーレ紀行18(オルタ湖俯瞰) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 081021 奇跡を求めるな 負けグセをつけるな マッジョーレ紀行18(オルタ湖俯瞰)

 受験生に限らず、どんな人でも定期テストのようなものでの好成績を積み上げれば、やがて必ず実力テストや本番での好成績につながる。それを信じて、相当の長期間にわたって定期テスト的なもののための努力を続けていかなければならない。特に努力を積み上げたわけでもないのに、何かのハズミで急激に成果が出たり、成績が驚くほど上がったり、アヤシイ予備校講師の一風変わった授業や講習会を受け「目からウロコが落ちて」、突然「偏差値が急上昇」したり、そういう夢のようなことは決して起こらないのだ。まず、それをしっかり認識することが必要だ。万が一「急上昇」「目からウロコ」などということが起こったとしても、それは一種の奇跡であって、奇跡はすぐに通り過ぎて現実に引き戻される。その次の模擬試験で大いに痛い目に遭わされて、「あれは1回だけ訪れた夢だったのであり、2度も3度もやってくるものではなかった」と思い知るのである。急上昇したものは、落下するのも速い。わからない人は、ディズニーシーでCENTER OF THE EARTHかTOWER OF TERRORに乗ってみれば、すぐに理解できることである。
 

 私たちはテレビドラマに慣らされた世代だから、どんな難事件でも、どんなに縺れあった男女関係でも、1時間か2時間のうちに全て解決されてしまうのに慣れている。まして現在の受験生たちはインターネットの世界で育った世代である。3回か4回クリックを続けただけで、どんな情報でも簡単に手に入る日々を送ってきた。だからこそ「時間がかかる」という事実に対して心の準備が出来ていない。「定期テストで好成績を取り続けなさい」と言われても、いったい何回の定期テストを積み重ねたら結果が出てくるのか、それを教えてもらえなければ、それだけでムカつくのである。どのぐらいかかるか、それには個人差があるので、半年の人もいるし、一年かかっても芳しい結果が出てこない人もいるだろう。だから、相当の覚悟が必要だと思ったほうがいい。

 

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(スイスの教会で見た4カ国語のパンフレット。英語帝国主義は、ここには存在しない)

 その長期間をじっと耐えながら、定期テストで「勝ちグセ」をつけるのも大切だ。結果が出てくるのを辛抱強く待ちつつ、勝ちグセをつけてほしい。「勝ちグセ」は、入試の世界では最も大切なものの一つである。定期テストなら、しっかり範囲が決まっているわけだから、授業の復習を怠らないようにして、試験前2週間ぐらいのキチンとした対策をとってさえいれば、余程のことがない限り勝ち続けることが出来るはずだ。いつの間にか「勝つのが当たり前」「8割9割当たり前」という精神状態になってくる。その精神状態こそ、ついには実力テストで好成績を獲得する必要条件なのである。


 反対に「負けグセ」のついた人を上昇させることは難しい。負けが続けば、負けるのが当たり前のことになって、負けても悔しいとは思わなくなる。そういう状況で、大事な時にだけ勝てるかどうかは、相撲や野球やサッカーを見ていれば常識的にわかることである。私が「難問集はやるな」「模試を受けすぎるな」「難問がウリの通信添削をやるな」「基礎的標準的な問題を徹底してコナせ」と口を酸っぱくして言っているのは、何よりも負けグセをつけてほしくないからである。


 高校の定期テストで、授業でやったことや教科書以外からも出題するという学校や教師もある。古典で「徒然草」や「枕草子」を購入させ、範囲を決めて自習させた上で、定期テストで出題することもあるだろう。もっと多いのは、英語の先生が1000題もあるような英文法の問題集を買わせ「期末テストの範囲は250番から400番まで。やっておけよ」というようなケース。そういう問題集の解説というのは、良く言えば簡潔、悪く言えば投げ槍、高校生が一読して理解できるような代物ではないのから、こういう定期テストのやり方は確かにムカつくもいいところだろう。


 しかし、英語にはどうしても「覚えるしかない」部分があって、そういうのを授業で扱う暇がないから、やむを得ずそういう形式を取っているのだし、徒然草や枕草子なんか、そうでもしなかったら一生マジメに読むことはない。むしろチャンスと考えて、素直にキチンと取り組み「勝ちグセ」に貢献するようにすればいい。定期テストをバカにしているようなヤツほど、そういう教材を毛嫌いしてやろうとしないから、やりさえすれば勝ちグセをつけるチャンスがますます広がることになるのだ。

 

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(モッタローネ山頂のスキー場から俯瞰したマッジョーレ湖)


 9月12日。明日はVilla Amintaをチェックアウトしてマルペンサに向かうから、実質的には今日がマッジョーレ湖滞在の最終日ということになる。モッタローネからの下山も、ベッラ島・ペスカトーリ島・マードレ島・パッランツァ探訪も、Lungo Lago散策も、ジュネーブ日帰り旅行も、予定していたことの全ては心置きなく終了している。今日の過ごし方として考えられる選択肢は、すぐ近くであるはずのコモ湖まで行ってみること、スイス側のロカルノやルガーノ湖を見てくること、などであった。
 

 しかし、コモ湖はタクシーを使うのでなければ結局ミラノ経由になる。いったんミラノに出て、そこから私鉄ノルド鉄道で1時間北上しなければならない。三角定規の細長いほうを出して、確か3辺の比が5:12:13だったと思う(違っていたらすみません)が、マッジョーレ-コモ間が5。直線で行ければそんない近いのに、わざわざ12の一辺でミラノに出て、13の辺に沿ってコモに向かうのは、よくよくの暇人である。
 

 ま、実際に暇人の極楽トンボだから、そういう面倒なことにあえてチャレンジするのも悪くないのだが、最終的にはこの選択肢は捨てた。ストレーザからミラノに出ると、駅はミラノ・チェントラーレかミラノ・ガリバルディ。コモに向かう私鉄ノルド鉄道は、ちょっと離れたミラノ・カドルナ発。そこも引っかかった。日帰りの旅行でそれだけの手間をかけて、たった5cmのところを12cmと13cmを往復するだけの気力は、さすがに旅行最終日の近づいた私には残っていなかった。
 ロカルノやルガーノは船で向かうしかないのだが、これも時間がかかりすぎる。マッジョーレ湖は、思った以上に広大である。しかも向こう側はスイスだから、パスポートが必要。パスポートまで持参して、結局1日船に揺られているだけで終わってしまうのも面倒になっていた。

 

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(モッタローネから俯瞰したオルタ湖。真ん中がサン・ジュリオ島)
 


 というわけで、「またモッタローネに登ってこよう」という結論になった。モッタローネに登って、別にバベーノじいさんに再会したいとか、牧場の番犬たちにリベンジを仕掛けるとか、そういうことではない。前回は見逃してしまったが、山の向こうにはもう一つ「オルタ湖」という小さな湖があるはずであり、山の上からでもいいからオルタ湖の姿をしっかり見てこようと考えたのである。BSで放送していた「ヨーロッパ水紀行」で見たオルタ湖に静かな様子も印象に残っていた。
 

 最終日まで素晴らしい好天に恵まれて、ロープウェイで登ったモッタローネの山頂も、むしろ暑いぐらいであり、吹き抜ける風が心地よい。もう見るべきものは皆見てしまったから、「あれ見なきゃ」「これ見なきゃ」という差し迫った感じのない、いかにも静かで優しい気分で山道をさらに歩いていった。下山口から降りていく人々の姿も、それなりにあるようだ。「バベーノじいさんに注意」「牧場の番犬に注意」という貼り紙はどこにも見当たらない。ちょっと心配になるが、おそらく常識的な人々は、ロープウェイの中間駅までトレッキングで降りて、後はロープウェイで降りるのだろう。最後まで歩けば5時間、中間駅までなら3時間程度だったはずだ。
 

 山頂の、スキー場になっている小山を降り、さらに10分ほど歩いていったところで視界が広がって、西側の遥か向こうにオルタ湖が見えた。湖の中に浮かぶサン・ジュリオ島の姿もハッキリ見えている。マッジョーレの大きさを見慣れているから、まあ可愛らしいというか、可憐というか、確かにガイドブックに「クルマの乗り入れが禁止されている」「詩情あふれる湖畔」というのも頷ける美しさである。
 

 あまりにもすぐ近くに、まさに手に取るように見えているし、オルタ湖の方に向かって細い道が続いているから、一瞬正気を失って「行ってみるか」と考えた。地図を見ると湖畔のオルタ・サン・ジョヴァンニまでこの道は続いているようである。周囲にも人の気配がないこともない。それどころか、牛の首につける大きな鈴の音が、驚くほど近くから時々ガランガランと聞こえてきて、まさにスイスの牧場気分。その辺から、ちょっとイタリアに染まったハイジみたいな女の子が飛び出してきてもおかしくない。風も気持ちいいし、この上ない快晴だし、湖は可愛らしいし、秋の虫が盛んに鳴き声をあげている。オルタ湖に降りて、中世から止まってしまっている時間を味わってくるのも悪くないだろう。
 

 というわけで、今考えるとたいへん危なかった。思いとどまったのは、この時点で既に午後1時半を回っていたからである。美しい悪魔の囁きにたぶらかされてオルタ湖に降りていったら、まず第一にVilla Amintaにその日のうちに帰還することは無理になっていたはずだ。交通機関がないし、タクシーさえほとんどいない場所なのである。しかも、それは「もし行き着けたとしても」の話であって、細い岩だらけの道、牧場(ならばまたまた番犬の群れも存在するはず)、バベーノじいさんにさらに輪をかけたような変わったジイサマ、虫、蛇、獣、その他様々な妨害にあいながら、わずか5時間か6時間で村にたどり着くのは、どう考えても至難の業なのであった。ぎりぎりで正気に返って、ロープウェイでストレーザに降りてきた。まさに危機一髪だったかもしれない。

 

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(日本語のできるお姉さんと、ポルチーニの置物に出会った山頂の土産物屋)

 山頂の土産物屋(冬はスキー宿になるらしい)で、日本語の出来る変なお姉さん(さすがにこういう田舎まで来ると、日本語が出来るという人はほとんど見かけない)に会った。平仮名は書ける、と言って実際にいろいろ話したり書いてみせたりしたが、確かになかなかの腕前と言ってよかった。店内は木彫りの置物でいっぱいである。中でもキノコの置物が(おそらくポルチーニ)大小さまざまあって可愛らしかったが、結局買うのはヤメにした。ポルチーニなら、食べたほうがずっと楽しいからである。

1E(Cd) Nevel & Huelgas Ensemble:Canções, Vilancicos e Motetes Portugueses
2E(Cd) Schüchter:ROSSINI/DER BARBIER VON SEVILLA
3E(Cd) Cohen:L’HOMME ARMÉ
4E(Cd) Rachel Podger:TELEMANN/12 FANTASIES FOR SOLO VIOLON
5E(Cd) Sirinu:STUART AGE MUSIC
6E(Cd) Rampal:VIVALDI/THE FLUTE CONCERTOS 1/2
7E(Cd) Rampal:VIVALDI/THE FLUTE CONCERTOS 2/2
10D(DvMv) BODY HEAT
total m226 y1615 d1615