Sat 081018 町田講演会 マッジョーレ紀行16(ジュネーブ日帰り旅行2) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 081018 町田講演会 マッジョーレ紀行16(ジュネーブ日帰り旅行2)

 15時から東進・町田校で講演会。相変わらず、高1・2年の父兄対象だから、出席者数は多くない。約50名というところである。それが不満とか、数が少ないからイヤだとか、そういう贅沢なことを言う気持ちは全くない。むしろ300名も400名も集まる大講演会とは全く違った、深い充実感がある。そもそも塾の父母会で50名も集まってくださるということは、それ自体素晴らしいことである。大いに感謝したい。10月半ばの土曜と言えば、子供の体育祭も学園祭もあるだろうし、家族で小旅行には絶好の機会である。町田からなら、表参道や新宿や横浜に出て、ショッピングを楽しむのもいいだろう。買い物を嫌がって家でゴロ寝がしたいお父さんを引っぱって、サンダルやスラックスやスニーカーやポロシャツを買いに連れ出すのに、これ以上のチャンスはない。それなのに、塾ばかり立ち並ぶ騒然とした町田駅前に夫婦同伴でやってきてくださる。こんなにありがたいことはないし、これほど熱心に聞いてくださる聴衆というのもなかなか存在するものではない。

 

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(ジュネーブ、国連ヨーロッパ本部前のオブジェ。イスを蹴って立ち去った人のせいで、国際連盟の理想は崩された。過ちを繰り返さないためのオブジェである)

 そこへ、高校生の息子や娘が通う塾の、外見的には最もアヤシイ講師が登壇して喋り始める。ご父母は私とほぼ同じ世代だから、予備校の「超大物講師」が講演をするというのに、教室内に人が100人もいないというのには相当な違和感があるはずである。20年も30年も前の予備校の超大物講師、例えば西尾孝とか金口儀明とか伊藤和夫の授業などというものは、600人教室に立ち見までいたものである。300名も入る教室に200名も立ち見が出て、通路にも人が溢れ、廊下の窓を開けて(昔の予備校には空調がなかったから、教室の廊下側に窓がたくさん開いていた)、窓から首を突っ込んで授業を見ていたりした。席を確保した300名のほとんどが授業の途中から居眠りをしてしまうのもまたご愛嬌だったが、まあ要するに私たちの世代にとって「超大物講師」とは、体育館のような大教室が立ち見でいっぱい、席を確保したらあとは安心しきってしまい、居眠りの一つもしてしまうという雲の上の存在だったのである。

 

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(ジュネーブ、国連ヨーロッパ本部前のオブジェ)


 なお、「超大物講師」というのは、もちろん私が自分で言っているのではない。東進サイドで作成したDVDの中で、そういうことになっているのであって、講演が始まる前に照明を消して教室を暗転させ、3分ほどの講師紹介DVDをスクリーンに映すのである。私はDVDの音声の流れる外の廊下で立って待っているのであるが、300名も集まった会場ならまだしも、50名の会場でこれを聞いているのは極めて恥ずかしい気持ちになる。で、教室に照明が戻り、司会者が「それでは皆さん、大きな拍手をもってお迎えください」と無理やり拍手を要求し、渋谷にお父さんのサンダルやスニーカーを買いに行くのを来週に延期したご父母の皆さんの遠慮がちな拍手の中を、「予備校界の超大物」が登場する。おお、ヒゲが怪しい。おお、短足である。おお、どうしても大物には見えない。私がたいへん申し訳なく感じるのは、この失望の極まった瞬間である。

 

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(ジュネーブ、国連ヨーロッパ本部)


 ま、いざ講演が始まってしまえば、こっちのものである。最初から最後まで爆笑が絶えないし、ご父兄が盛んに頷いてはメモを取る光景は、滅多にあるものではない。講演はまず、25年前の「役に立たない受験英語」の思い出から始まり、しかし現在の受験の英語がどれほど実用英語に近づいているかをたくさんの実例で示し、その辺りから教室は爆笑で溢れ、ご父母の目が輝き、夫婦で肩を叩き合って笑い転げ、メモをとり、熱心に頷きあう姿で溢れる。最初の違和感が続くのは、長い人でも4~5分に過ぎない。講演はさらに「生授業というものの現状」を語り「ミラクル君」「トマト君」を語り、「ゴボウ君」「タマネギサン」こそ受験生のあるべき姿であることを語り、16時半すぎ、もう笑いすぎ頷きすぎてみんな首が痛くなりかけた頃、講演は終了する。おお、楽しかった。何よりも、話していた私が楽しかったのである。

 

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(ジュネーブ、サンピエール大聖堂)


 終了後、控え室を訪れた現役の生徒諸君の求めに応じてサイン書いたりして、校舎を出たのが17時半。外は雨が降り出しそうな空である。土曜日午後の小田急新宿行は、信じがたいほどに混雑している。町田の駅で最前列に並んでいたが、「座る」などという甘い考えは全く通じない。登戸あたりから乗っていた人は、つり革さえつかむことができない。下北沢からは、平日朝のラッシュ並みの混雑になる。しゃべり疲れ、混雑にも疲れて、18時過ぎに帰宅。おお、楽しかった。

 

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(ジュネーブ、サンピエール大聖堂屋上からのレマン湖)


 9月10日、ジュネーブに向かう東洋のクマさんは、スイス国鉄のECに乗ってシンプロントンネルをくぐったところで、何と1週間もブログからほっぽり出されることになってしまった。受験生に向けて「熱いメッセージ送りまーす」に夢中になっていたせいであって、本職が本職だから、ヨーロッパ旅行記がちょっと疎かになってしまっても、まあ仕方ないだろう。クマさんが置き去りになったのは、アルプスを北に向かってくぐり抜けて、陽の光の色が急激に淡くなったところだった。岩だらけの山々が遠ざかるにつれて、いかにもスイスらしい風景が多くなった。山の上には小さな中世の城の廃墟が点在し、城に向かうなだらかな傾斜には、何やら赤い実をたくさん付けた果樹の畑がどこまでも続いている。姫リンゴの畑である。この辺りはシードルとアップルワインとカルヴァドスの産地なのである。

 

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(雰囲気のあまりよくないジュネーブ駅前と、トラム)


 まもなく車内が混雑してきて、コンパートメントの6人座席が満員になった。6人は、黙りこくって話さないが、顔を1つ1つ見た感じでは、イタリア語を話す顔ではない。外に流れていく看板を窓から見ると、そのほとんどがフランス語であって、陽の光の色が変わったのは、イタリア語圏からフランス語圏に入ってきた印なのかもしれない。イタリア人でも(固定観念とは違って)見知らぬどうしがコンパートメントで会話することはほとんどないが、ドイツ人やフランス人だと、その可能性さえほとんど感じられない。向かいの席のアラフィフと思われるスーツバッチシ&お化粧バッチシのオバさんが、狭い座席でひたすらキーボードを叩きまくり、何となく周りの客も彼女に遠慮して黙りこくり、かたい沈黙の中、電車はモントルーの駅からレマン湖畔に入った。三日月の形をしたレマン湖の北岸に沿って、ジュネーブまで1時間である。

 

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(ジュネーブ、レマン湖畔)


 途中、近代経済学のワルラス・メンガー・ジェヴォンズによる「限界革命」で有名なローザンヌの街を通る。こんな顔をしていても、私は一応政治経済学部の出身であって、経済学に微分積分を持ち込んだこの3名とローザンヌ学派には深い大きい恨みをいだいている。彼らさえいなかったら、経済学部はおそらく今でも最も気楽な学部だったのだ。難しい数学を経済学に持ち込み、経済学を文系頭の私には理解不能のものにしてしまった挙げ句、経済をぜんぜん予測不可能のものに歪めてしまったもともとの原因がローザンヌ学派である、というような気持ちが数学に弱い私にはある。


 もともと経済学は「理財学」と呼ばれて、どうしたら都合良くお金が儲かるかに夢中になっていたのだ。当時の考えでは下賎な商人の金儲けに、エライ学者さんが鼻を突っ込んで、微分がどうした、積分がどうした、行列式がどうした、そうやって私みたいなアホにはとても理解できない難しい話にしてしまった上、今回のような金融危機の回避には全く無力の学問に変質した。というより、数学者にも理解できない難解な数学を大いばりで振り回し、元来は資金調達のできない貧しい人々のためのものだったはずの金融を、冷たい数式が支配する工学に変質させた上で、自ら大恐慌まがいの悲劇を招く原因になった、その始まりがローザンヌ学派。少なくとも、数学ができないから文系を選んだのに、経済学の授業で微分と行列式に悩まされた多くの平凡な人々は、そう考えているのである。くそお、思い知れ、ローザンヌめ。

 

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(モントルー、ECの車窓から見たシヨン城)


 というわけで、ローザンヌでコンパートメントの客は全員降りてしまった。ジュネーブ着、定刻。電車を降りるともう午後1時近い。駅には北口と南口があって、観光には南口に出なければならない。「地球の歩き方」では「みんな南口に向かうから、人の多いほうに向かえばOK」とあったから、調子に乗って「人の多いほう」に向かったところ、ものの見事に北口に出てしまった。時間がなくて焦っている時に限って、こういうミスを犯す。時間がないときほど、落ち着いて自分の判断を大切にすべきである。おお。ここで油断すると、またまた受験生への熱いメッセージ送りまーす、に戻ってしまいそうである。


 駅ナカのスーパーでちょっと買い物をして、両替機でスイスフランをいくらか手に入れ、いよいよジュネーブの街に出る。順番は、まずトラムに乗って、国連ヨーロッパ本部Palais des Nation。時間があればその近くのアリアナ美術館。旧市街に戻ってサンピエール大聖堂Cathedrale St. Pierre。残った時間はレマン湖畔の散歩。今日のブログ掲載の写真の通り、そのほとんどをじっくり楽しめたのであるが、残念なことに国連の中には入れずに終わった。とにかくセキュリティを通過するのが面倒で、もしあのまま粘っていたら、国連の入り口で何時間も立ちん坊をしただけでジュネーブから帰ってこなければならなかったかもしれない。


 帰りの電車はジュネーブ発18時過ぎ。ジュネーブで買ったアルコール度数12度という恐ろしく濃いビールを、間違ってほぼ一息でグビグビ飲み干してしまい、アルコール12度というのはワインと同じであることに後から気づいて愕然とした。どういう醸造方法で12度などという激しいビールになるのか分からないが、ビールの中に質の悪いウィスキーのようなものをドボドボぶちまけでもしたような味がしたのは間違いない。コンパートメントの中は言語道断に酒臭くなり、よせばいいのにその酒臭いコンパートメントにアラサーのスイス人女性が入ってきてイヤな顔をしていたが、彼女は憎っくきローザンヌでさっさと降りていった。ストロングビールにも、さすがに限度があると思う。
 

 ストレーザ着21時半。暗闇を30分歩いてホテルまで戻った。夜のマッジョーレ湖の風は、レマン湖とは比較にならないほど暖かくやわらかい。闇もトロッとして色が濃いようである。イタリアとは色が濃くて、やわらかくて、トロッとした感触の溢れた場所なのだ。強行軍で1日旅行をしなければ、なかなか分からない、そういう実感があった。

1E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK VIOLIN CONCERTO & SARASATE
2E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
3E(Cd) Sinitta:TOY BOY
4E(Cd) Jennifer Lopez:ON THE 6
5E(Cd) Norah Jones:COME AWAY WITH ME
6E(Cd) Gregory Hines:GREGORY HINES
7E(Cd) Patricia Barber:NIGHTCLUB
10D(DvMv) SWIMFAN
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