Fri 081017 何でもディスカッションで決めようとするな 質問にきて世間話をするな  | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 081017 何でもディスカッションで決めようとするな 質問にきて世間話をするな 

 「一方通行は全てダメで、何でもかんでもキャッチボールや話し合いで決まらなければならない」という迷信について何回か書いてきた。しつこくなりすぎるから今回で終わりにするが、私自身、児童生徒だったころから「押し付けてもらったほうがずっとスッキリするのに」と思ったことが何度もあった。授業中の雑談でも話すのが「糸電話事件」「走れメロス事件」「分子原子事件」の3つである。


 「糸電話事件」は小学校4年か5年のときだったと思うが、理科の時間にみんなで糸電話を作って遊んだ。遊んでそれで終わればよかったのに、ひとしきり遊んだあとで先生が手をたたいて子供たちを座らせ「さあ、糸電話がどうして聞こえるか、みんなで話し合ってみましょう」と言うのだ。クラスは4人ずつ9つの班に分かれていて、先生が「各班で話し合ってから、班ごとの結論をクラスで話し合いましょう」と段取りを決めた。でも、もちろん話し合う前からクラス全員が結論を知っている。昔は塾なんかなかったけれども、「学研の科学」「学研の学習」で読んだかもしれないし、父親や叔父さんや姉貴に聞いたかもしれないし、テレビで見たかもしれない。だからみんな糸電話がなぜ聞こえるかを知っていて、それでも先生が話し合えと言うから話し合った。結論はどの班も一瞬で出て「糸を伝って振動が伝わるからだ」ということになった。


 しかし、こういう時に私は黙っていられない、あるいはカッとなって「許せない」と思うのだ。最初からみんな知っていて、「知っている」ということを先生も知っていて、それでも「押し付けたのではない、みんなで話し合って結論を導いたのだ」ということにしたい。だから「知っていることは知っている」が、それでも話し合わせた。小学生当時の私のモヤモヤした考えを今まとめて一言で言えば「こういう民主主義のニセモノは許せない」ということである。カッとなると、私は今でも破壊的な態度に出るが、あの時もすぐに手を挙げて反論した。「糸電話が聞こえるのは、近くにいるからだ」と反論したのである。


 ニセモノの民主主義では、「言っては困ること」「発言してはいけないこと」というのがあって、「近くにいるから聞こえる」という意見がそれに当たる。先生も相当カッとなったが、仕方ないので「では、糸の真ん中をつまんだら聞こえるかどうか、やってみましょう」と言って、反証だけは話し合わずに押し付けた。しかし、デカイ声でやってみると、どうしても聞こえてしまう。いよいよ仕方なくなったので、先生は職員室に「困った生徒」を呼びつけて叱ることにした。「今井君は、自分だけよければいいの?」と聞かれて、別にそんなことを考えたわけではないから、ムクれてずっと黙っていた。でも、小学生なりに「何でもかんでも話し合って決めるというポーズはみっともないな」と思い、「基礎とか基本とかはむしろ一方通行で押し付けてもらうほうが気持ちいいな」と考えたものである。

 

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(黒い雲、白い雲)


 「走れメロス事件」は中2のとき。国語の先生が黒板に「走れメロス … 友情の大切さ」と大きく板書した上で「さあ、『走れメロス』の中で作者太宰治が何を訴えたかったのか、小説の主題は何なのか、みんなで話し合ってみよう」とニコニコ笑いかけてきた。「各班で話し合って、それからクラスでディスカッションしよう」というのだ。先生の笑顔も「ディスカッション」も中2当時の私としては、現代用語で言えば「ムカつくほどキモイ」と思ったので、すぐに手を挙げた。「先生、太宰治の主題は、今そこに先生が板書したんじゃないですか。結論を先に板書して、どうして話し合う必要があるんですか」というような意味のことを言った。


 カッとなると破壊的な発言をするクセは、ますますひどくなっていたのである。これこそ民主主義のニセモノである。結論は先に出ていて、それを「一方通行の押しつけではなくて、話し合ってみんなの結論を導いたんだ」ということにしたい、要するに形式主義でしかないのだ。先生が「今井は、自分だけよければいいのか」というので「そんなことは一言も言っていない、ただ、黒板に結論を書いてから、その後でみんなで話し合うのはおかしいんじゃないか」と答えた。中2にもなれば、先生とケンカするのが楽しくて仕方なかったし、面白がって味方するヤツらも多かった。


 第一、太宰治が「友情の大切さ」なんか主題にするわけはなくて、自己嫌悪とか暗い憧れとか、そういうものを裏返しにしてメロスを書いたんだと思っていた。それを言ってみると、それについて話し合いにはならなくて、「それは今井の考えすぎだ」と一蹴されて終わった。あらかじめ決まっている結論に反することは、一方通行で否定する。それなら、最初から話し合いの形式なんか取らずに、一方通行で押し付けてくれるほうが効率的である。

 

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(続・黒い雲、白い雲)


 「分子原子事件」は中3のとき。理科の川村先生が、実験するわけでもないのに白衣を着て教壇に登場。すぐ背中を向けて「分子と原子」と大きく板書。にこやかに振り返って、ゆっくりと語りかけるように「さあ、今日から新しい単元に入りましょう。君たちは、物質が何でできているか、考えたことがあるかい? 先生が押し付けても何にもならないから、まず各班で話し合ってみないか」とおっしゃる。
 

 ええっ、話し合うの? だって先生、いま黒板に結論を書いたじゃないか。黒板に「分子・原子」って書いたじゃないか。そう思うのだが、中3ではなかなかそこを指摘できないから、第1班「ペガサス」第2班「ファイト」第3班「ネヴァギブアップ」その他ムカつくほどウザイ名前のついた「各班」なるものが、班長を中心に5分話し合って「ツブでできているんじゃないか」で全ての班が一致。先生も深く頷いて、「うん、そうかも知れない、そうだね、はい、うん。ツブか、うん、ね。ではね、これからね、何回かの授業でね、本当にね、うん、ツブでできているのかね、うん、考えていこう、うん」と来た。
 

 「ツブでできている」という、このイヤらしい結論を見てみたまえ。まず、生徒はほぼ全員が「分子原子でできている」ことを知っている。中3にもなれば、塾で習ったというヤツもいただろうし、雑誌で読んだヤツ、兄貴や伯父さんと話して聞いたヤツ、その他とにかくその程度のことを中3にもなって知らないというヤツはまあ皆無だろう。しかし、学校の授業は、「そんなこと知らない」「考えてみたこともない」、そういう虚構の中で進むのだ。「分子原子」という言葉を言ってはいけないということを生徒はウスウス気づいていて、だから知らんぷりをする。教師は板書はしたけど一方通行で押し付けてはいけないから、知らんぷりをする。両者の知らんぷりの微妙なバランスの上でだから「ツブ」というイヤらしい言葉が発明される。話し合いという虚構、民主主義のニセモノ、子供たちにイヤらしいウソのつき方を強制する瞬間である。


 またまた現代用語で言えば「チョー、ムカつかない?」「オニ、うざぐネ?」と思った私は、周囲の悪いヤツらに背中を押されて挙手。あとは同じことである。「先生は、結論を先に書いて、それから話し合いで決まったようなフリをしたいのだろうが、それは納得できない」というような意味のことをシドロモドロに言い、先生は怒り狂ったかのように「今井は自分だけよければいいのか」とワケの分からないことを言い返す、おなじみの展開。「物質がツブでできているなどというのは、古代ギリシャや古代アラビアの大学者から始まって、それから2000年も、天才的な学者たちが一生かかって考えて研究してやっと考えついたことじゃないのか、そんな難しい問題を、どうして中3のボクらが、さっきまで『チョー、エロイぜ』とか言って廊下を走り回ってたようなヤツらが5分で思いつくんだ、おかしいじゃないか」「今井は、考えすぎだ。自分だけよければいいのか」という感じ。

 

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(おなじみ白い雲のバンザイ)


 ま、こんなワケですな。私は、押し付けるべきことは一方通行で押し付けるのが誠実で正直な教育だと信じる。まして、外国語である。「なぜ」「どうして」に興味をもつのは素晴らしい。しかし「なぜ」「どうして」も、教師が一方的に説明すべきことであって、生徒と教師で話し合って決めることではない。選択肢の問題で「正解は3」であることについて話し合うのは馬鹿げているし「なぜ1・2・4でないか」についてディスカッションしても、何にもならない。ネイティブスピーカーが3と言ったら、話し合いの結果がどうあろうと1・2・4ではないのだ。しかも残念なことに、では何故3なのかをキチンとわかりやすく説明できるような教師は、何度も言うようだがきわめて少数なのである。ぜひ、収録された一流講師の絶好調授業をどんどん遠慮なく受けて学力をつけてほしい。
 

 これでこの話は本当に最後にするが「生授業だから、直接質問できる」という話も、よく広告に出てくる。「収録された授業を画面で見るだけでは、疑問があっても質問できない」というのである。しかし、「疑問」というものは実際にはそんなに多く出るものではない。疑問がいくらでも出てくる、というのは教師の質が低いという証拠である。少なくとも大学学部受験のレベルでは、質問の列の長さと教師の質は反比例する。質問の列が長いのは、ダメな授業だった証拠である。最高の授業を展開すれば、質問など、1人も来ないはず。授業だけで全て分かってしまえば、質問には来られないからである。教師の理想は、質問が1人も来なくて、しかも受講生の成績がどんどん上がること。「直接質問できる」とは、ほぼイコール「授業だけで分からせられないダメ教師ばっかり」ということである。

 

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(ナデシコ、ネコとしての模範的姿勢)


 なお、人気講師でもズラッと質問の列ができていることはある。あれは、生徒がたくさん雑談に訪れているのであって、決してそれほど悪いことではない。「さっきのお話を聞いて、大いに感動した」「サインしてください」「先生にはカノジョはいるんですか」といった雑談の列の長さなら、まあそれなりに素晴らしいかもしれない。ただし「成績を上げる」「成果を出す」ことについては、それは無関係。そういう雑談に興じていれば、むしろマイナスに働くことは言うまでもない。どんなに素晴らしい講師だって、質問にきて長々と世間話に興じているようでは、向上は望めないのは当たり前である。

1E(Cd) Bill Evans:GETTING SENTIMENTAL
2E(Cd) George Duke:COOL
3E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
4E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
5E(Cd) Marc Antoine:MADRID
6E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
7E(Cd) Ornette Coleman:NEW YORK IS NOW!
8E(Cd) Miles Davis:THE COMPLETE BIRTH OF THE COOL
9E(Cd) Art Blakey:MOANIN’
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