Sun 081005 「英文法が土台」の意味を取り違えるな 難しい問題をやりたがるな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 081005 「英文法が土台」の意味を取り違えるな 難しい問題をやりたがるな

 「さて、本格的に受験勉強を始めようか」と思って、塾なり予備校なりの英語の講座をとると、必ず最初に聞かされるのが「英文法の重要さ」についてのお説教である。「英文法が全ての土台であって、この土台があやふやだと読解も作文もリスニングも全部ぐらついてしまう。だから1文1文全部5文型に分けてしっかり文法的に読解しなければ意味がない」。予備校の講座に高いお金を払って、毎回のように聞かされるお説教の典型がこれである。春期講習に通って1回お説教。4月にまた1回お説教。夏期講習の第1講でまたまたお説教。2学期にまたまたまたまたお説教。とにかく「5文型」なるものが重要で、それ以外のことは意味がない、塾や予備校に通うと、そういう授業が大半を占めている。つまり、そういうお説教好きな先生方の考え方では「英文法が全ての土台」というのは「5文型のルールを丸暗記して、それを読解や作文に応用していくしかない」ということらしいのだ。
 

 しかし、生徒の立場から見ると、こういう授業はすこぶる退屈である。90分も授業を受けて、やることといえば、テキストやノートにSとかVとかOとかCとか記号を書き込むだけ。先生は和訳を言い、生徒はその和訳を書き取るだけ。何とか眠気をこらえて最後まで授業を受け終わると、最後にもう1回お説教。帰りの電車の中で、友人どうし「今やった5文型とか、結局何の役に立つわけ?」「知るかよ」「何だか、役に立たなくネ?」「眠くネ?」「予備校かえたほうがよくネ?」という話ばかりが盛り上がり、受講する講師をかえたり、別の予備校にうつったりするのであるが、講師をかえようが予備校をかえようが、代わり映えのしない5文型とSVOCはどこまででも追いかけてくる。

 

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(写真上:今日もまた箱にハマって、ニャゴ姉さんの長い一日が始まる)


 その代わり映えのなさは自民党の内閣と大差ないというか、もっと遥かにひどいものである。ナントカ方式とかプルプル主義とかもっともらしい名前を付けて宣伝していても、結局みんな同じ、先生の顔と声とファッションと雑談の中身が違うぐらいで、肝腎の授業の内容は、誰のものでもちっとも変わらない。結果として、英語の授業は睡魔との戦いであり、英文法の授業はさぼりたい誘惑との戦いになる。
 

 しかし実際には「英文法が全ての土台」というのは、予備校講師のお説教の中にありがちな、こういう暗い発想とは少し違うのだ。「土台」とは、英語学習を縛りつける退屈なルールを指すのではなくて、英語を道具にたくさん遊ぶことでしか出来ない英語運用能力を指すのである。昨日「赤ちゃんまで戻るのではなく、戻るとしても小学生どまりにしておけ」と書いたが、元気いっぱいの小学生に戻ったつもりで、英文法という学習オモチャで、毎日暗くなるまで真っ黒になって遊ぶのが、英語学習の最高の出発点なのである。
 

 英文法は、受験生の精神年齢にピッタリの学習オモチャである。これを使って毎日楽しく「英語まみれ」になって遊ぶ。そうして知らず識らずのうちに英語に慣れ、英語に親しみ、英文法しかやっていないのに、単語も覚え長文読解やリスニングも強化されてくる、これが理想である。予備校で教えていると「英文法の講座しか受講していないのに、読解や作文もできるようになった」という生徒にたくさん出会う。そういう生徒たちこそ、英語まみれになって楽しく懸命に遊んだ生徒たちだったのである。
 

 英文法をオモチャに英語まみれになって遊ぶうちに、ルールに従って英語を運用する能力も高まり、会話やコミュニケーションの能力もついていく。それがやがて長文読解能力向上にも直結する。そういういかにも骨太な英語運用能力をつける最高のステージが英文法学習なのであり、「英文法が全ての土台」の真の意味はそこにある。

 

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(写真上:ニャゴロワ姉さんによる、ネコかきの模範演技。目を閉じて、夢見るように水をかけばいい)

 「まず英文法というオモチャでたくさん遊べ、それがかけがえのない土台になるんだ」と口を酸っぱくしてアドバイスしても、どうしても聞こうとしない人が多い。「易しい問題ばかりたくさん解いていても向上しないような気がして不安だ」「自分の志望校は難関校なのだから、難易度の高い問題をやらなければ」ということらしいのだ。そういう人が多いから、予備校の側も、標準的な受験生には無理とわかっているクセに、教材や模擬試験を難しめに作成する傾向にある。「簡単すぎる」「甘い」という評判がたつと、すぐに商売に差し支えるから仕方がないのだが、結果として英語の授業は全然楽しくなくなってしまう。無理な教材を与え、教師もマトモに説明できず、生徒はひたすらムカついている、それで楽しかったら、それは変人の集まりでしかない。

 

「やってもやってもバツばかり、解説を読んでもわからない、授業を聴けば眠くなる、授業も全然進まない、テキストも半分しか終わらない、英語がぜんぜん楽しくない」。
 

そういう人がどれほど多いことか。しかし、そんなことで成績が向上するほど、英語という科目は甘くはないのである。甘くない科目だからこそ、楽しくなければ伸びないのだ。厳しい科目だからこそ、この状況を裏返しにする必要があるだろう。裏返せば、以下のようになる。
 

「やれば8割以上マル。解説を読めば、ほとんど理解できる。授業はヤバいぐらいに楽しくて、誰も寝てる生徒なんかいない。授業はどんどん進んでくれて、テキストは必ず最後まで終わる。テキストの問題は全部やっちゃって、最後に補充のプリントを3枚やった。もっとやりたい、もっと進みたい」

 

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(写真上:ネコかき中のニャゴ姉さんの足。余りにも模範的である。この間、鳥羽僧正が夢に現れて「鳥獣戯画のモデルになってはくれんか」と申し込まれたらしい)

 すごく苦手な人は中3向きの問題集でもいいし、少し得意な人で中3の問題集を開くのに抵抗感がある人なら、そのプライドが傷つかない程度の基礎的な問題集を選びたまえ。それを、運動部のランニングや柔軟体操と同じ感覚で、毎日100問ずつ解きまくるのだ。100問やっても30分もかからない程度の難易度がちょうどいいだろう。

 

 しかも、そのぐらいのスピードでこなしても、正解率が8割以上になるようなものでなければならない。「中3まで英語が得意だったのに、高校入学以来ダメになった」という人の多くは、「マルが8割以上」という経験をしばらくしていない。「やってもやってもバツばかり」「いくら努力してもダメ」という状況が嬉しいという人はいないし、嬉しくないのに向上するということもない。叱られてばかりでは、投げ出して当然なのだ。8割マル、という久しぶりに嬉しい経験をし、しかもその経験が毎日繰り返されるなら、どんどん弾みがついていくのは当然である。
 

 毎日100問やって、8割マル。間違った2割の問題の解説を読んで、それでも合計1時間ぐらいか。そのペースなら、1000問ある問題集だって10日で終わる。「終わる」という感覚も大事。高校入学以来「参考書が終わった」「問題集が終わった」という経験はほとんどないはずだ。10日で「終わった」、だからガッツポーズをした、鳥肌が立った、10日にいっぺんそういう感情の爆発を繰り返したら、誰だって伸びる。「伸びない人は、いない」のである。

 

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(写真上:ナデシコによるネコかきの演技。ニャゴ姉さんとは違った美しさを教えてくれる)

 勉強は、ゆっくりやればやるほど、その分だけつまらなくなる。どんどん勢いをつけて、どんどん進めばその分だけ楽しくなる。やり始めてみればわかることだが、「どんどん進みすぎると消化不良をおこす」などというのは、怠け者の言い訳に過ぎない。やればやるほど、もっとどんどん進みたくなる。


 スナック菓子や豆菓子は、食べ始めたらなかなか途中でやめられなくなる。私が子供の頃には「やめられない、止まらない」という広告があったぐらいである。ちょうど同じように、英文法だって「やめられない」「止まらない」「どうしてももう1ページやりたい」という自分の気持ちを「他の科目も勉強しなければならない」と自分に言い聞かせて鎮めるのに苦労するほどになるのだ。遠慮はいらないから、どんどん進みたまえ。そして、慌てずに、少しずつレベルを上げていけばいいのだ。

 

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(写真上:速い水の流れに慌てたニャゴロワの足。流れの速い場所では、ネコかきは難しい)

1E(Cd) Hilary Hahn:BACH/PARTITAS No.2&3 SONATA No.3
2E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
3E(Cd) George Benson:IRREPLACEABLE
4E(Cd) Deni Hines:IMAGINATION
5E(Cd) DRIVETIME
6E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
7E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
10D(DvMv) HARLEM NIGHTS
total m61 y1450 d1450