Thu 081002 「韓国の国民的女優」について いろいろな今井宏サン 自戒など | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 081002 「韓国の国民的女優」について いろいろな今井宏サン 自戒など

 韓国の国民的超有名女優が自殺してしまったという悲しいニュースを見た。私は韓国ドラマというものを見たことがないのだが、日本には韓流ドラマファンが今でもたくさんいるらしいから、チェ・ジンシルが亡くなったというニュースで大きなショックを受けている人も少なくないだろう。彼女の冥福を祈る。


 「ジャイアンツの抑え投手だったチョ・ソンミンの元妻」などという記事を読めば、私などは思わず、角・サンチェ・石毛・マリオ・チョソンミンなど巨人の抑え投手の姿が脳裡に浮かんでしまう。それほど韓国ドラマに関心のない私でも「ネットに大量の批判を書き込まれて、それを苦にして自殺したのではないか」という推測記事を読むと、心が痛む。何千もの書き込みを毎晩一人徹夜でチェックしていた、というのである。自分にとってきわめて不利な書き込みを毎晩毎晩何千通も読んでいたら、それが根拠のあることであれ根拠のないことであれ、どれほど精神的に強い人だって耐えられるものではないだろう。いくら有名女優であっても、ほぼ反論できない状態で数千人の人に囲まれ、毎晩数時間にわたって激しい言葉で非難と批判を浴びせられるという設定を想像してみるといい。彼女の苦しみは想像するに余りある。もう一度、冥福を祈りたい。


 こういうブログを書くときでも、安易に人の名誉を傷つけたりしないように肝に銘じなければならないだろう。まもなく開設4ヶ月になるこのブログも、アクセス数3万件に近づいている。有名人のブログへのアクセス数に比べたら、もちろん比較にもならないにしても、3万というのはたいへんな数であって、やはり迂闊に他人の批判などしないように自戒すべきである。4ヶ月前の開設時に書いた通り「迷惑がかかるといけないから家族や知人友人のことは一切書かない」方針で続けてきたし、この方針は今後も決して変わることはない。「そういうことも書いてほしい」という要望を聞くこともあるし「日記である以上、それを書かないのは不自然だ」という意見もある。しかし、書く側は大して意識せずに気軽に書くことが、どこか思いがけない場所で誰かに迷惑をかけていたり、誰かを追いつめている可能性だってあるのである。

 

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(写真上:ナデシコの足。キチンと靴下をはいている)


 中途半端に知名度のある人間は、結構つらい。ホントに有名人で、サングラスをかけて街を歩いても違和感のないような有名人、有名人であることから利益を得ている人ならばいいのだが、私のような中途半端なのが一番困るのだ。サングラスをかけたら、明らかに変。だからごく普通に歩いていると、突然向こうの方で大きな声が上がって「ホンモノだ」「ホンモノだ」「今井だ」「お、今井だ」などという騒ぎになることは珍しくない。吉祥寺のラーメン屋の前で「握手してください」「一緒に写真とってください」などというのもある。小田急線のなかで「サインしてください」と要求されることもある。道ゆく人から見れば「何だ何だ、クマみたいな一般人が若者に囲まれているが、あれは何だ」ということになる。以前も書いたはずだが、そういうことが、書店で、空港で、新幹線で、レストランで、ひっきりなしに起こり、そのたびに通行人や他の乗客が、みんな怪訝そうな顔で眺めている。


 そうやって積極的に声をかけてもらえるのはありがたいのだが、黙って向こうの方で「ニヤニヤ笑っているだけ」というケースが遥かに多い。高田馬場とかお茶の水とか吉祥寺とか、大学生や若い人たちが多い街を歩いていると、あっちでニヤニヤ、こっちでジロジロ、向こうでギャアギャア(これはどういう感情表現かわからないが)、まともに歩いていられないほどである。


 さすがに駿台の故伊藤和夫師は、学期初めや講習会の1回目の授業などで「みなさん、こんにちは。私が伊藤和夫です」と自己紹介したものである。「私は、今井と申します。済みませんね、こんな講師で」とか、そうやって小さくなっているのではなくて、ニコニコ優しそうな笑顔で少しはにかみながら「私が、伊藤和夫です」というのである。あれはなかなかカッコよかったし、早い話、そこまでの権威とそこまでの自信を身につければいいのだ。ただし今のところ、権威はないし、そこまでの自信は身につきそうにない。
 

 電車の中でおじいちゃんに席を譲ったとか、階段でおばあちゃんの荷物を持ってあげたとか、そういうカッコいい場面で目撃されるなら、まだいいのだ。うまくいかないもので、そういうニヤニヤジロジロに遭遇するのは、決まって見られたくない瞬間である。電車で口を開けて居眠りしている時(私はそういうことは決してしないが)「先生ですか」と声をかけられても困る。鼻毛を抜いて涙を流しているときに(私はそういうことは決してしないが)「お、今井だ」と騒がれては困る。本屋で見かけた低俗な雑誌に手を伸ばした瞬間に(私がそういう雑誌に手を伸ばすことは決してありえないが)「今井だ、ホンモノだ」といって寄ってこられては困る。しかし、声をかけてもらえずにそういう瞬間を目撃され、遠くの方でニヤニヤされている頻度の高さを考えると、ありゃりゃ、部屋に籠って何もせずにいたほうがいいかもしれない、と思うこともある。

 

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(写真上:明日の天気は曇り。ニャゴ姉さんも白い雲になって浮かんでいる)


 知名度が中途半端で、しかも私のような単純な名前だと、さらにいろいろな混乱が起こる。代ゼミ講師で1週間に30コマ担当していた頃、いかにも真面目そうな顔の受験生が質問に訪れ、「先生は、東京女子大学の教授でもあるんですか」などと尋ねられたことがある。確かに東京女子大学に「今井宏」というヨーロッパ史の有名な教授がいらっしゃった。世界史の学習参考書にもお名前が掲載されていたから、それで受験生が間違ってしまったのである。余計なご迷惑をかけていなければいいが、と願っている。
 

 同じ頃、「先生は一橋大学の教授なんですか」「一橋と東京女子大の兼任なんですか」などという信じがたい質問もきた。一橋大学法学部に、確か会社法だったと思うが、今井宏教授がいらっしゃった。その生徒は一橋の志望者で、パンフレットだかオープンキャンパスだかで「今井宏」の名前を見かけ「おお、普段予備校で英語を教えているあのクマのような男は、世間を欺く仮の姿であって、実際は、見よ、一橋で会社法を教え、東京女子大ではヨーロッパ史を教える天才なのだ」と胸をときめかせたわけである。一橋を志望するほどの優秀な生徒でも、こういう恐るべき間違いを犯す時代である。
 

 それどころか「先生は国会議員ですか」「先生は杉並区でピアノを教えているんですか」などというのもある。民主党の今井宏議員は、もと埼玉県草加市長。生徒によれば「道理で埼玉県に詳しいと思った」「それで先生は草加・越谷・春日部・岩槻、そのあたりの話をたくさんするんですね」というのだった。おお。「杉並区のピアノ」というのも、私がピアノを教えられるような人間かどうか、そんなのは顔を2~3秒見れば直観でわかるだろう。確か、大昔の「NHKのど自慢」の伴奏で「ピアノは今井宏さん、アコーディオン横森良三さん、三味線は…(ここだけ思い出せない)」と中西龍アナウンサーや金子アナウンサー(ファーストネームが思い出せない)もしかすると飯窪 彦アナウンサー(何彦だったか思い出せないので空欄とする。長彦さんだったようにも思うが)が紹介するシーンがあったが、小学生時代そのことでいくらでも冷やかされ、とてもつらかったことを記憶している。

 

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(写真上:不満の雨を降らせようとする大きな白い雲。)


 大学教授とかピアノの先生とか国会議員とか、そういう素晴らしい人たちに混同されるのは、まあ実害もないし、ちょっと嬉しかったりもする。「それで世界史やヨーロッパのことをよく知ってるんですね」「だからいろいろ法律や政治の話をしてくれるんですね」「埼玉への郷土愛に感心しました」「それで音楽関係の例文が多いんですね」と言われれば、嬉しくないはずはない。「アホか、混同された方が怒りだすぞ。よく調べてから聞きにきなさいね」とニコニコぐらいはしたくなる。
 

 しかし、「単純な名前の中途半端な知名度」のせいで、困った人物と混同されて困りはてることもある。3年か4年前に(5年か6年前だったかもしれないが)群馬だったか埼玉だったかで「今井宏」という名前の「塾講師が逮捕」されたことがあって、あれはこの上なく迷惑した。記憶は曖昧だが、確か似たようなヒゲまで生やした人物だったように思う。ニュースショーを見ていて「おいおい、やめてくれよ」と思ったが、早速質問に来たヤツがいた。「先生が逮捕されたって、本当ですか?」というのである。「逮捕されたのに、何でここにいるんですか?」というのもあった。こうなると、噴飯ものでは済まされないくなってくる。
 

 埼玉(私は埼玉県人ではないが)、今井宏、塾講師、そこから彼ら彼女らはすぐに「お。今井だ」と判断して「逮捕されたらしいぜ」ということになる。この「らしいぜ」「らしいよ」というのがクセ者。下手すると、いまだに「らしい」と思って遠くでニヤニヤしているヤツも存在するかもしれない。「東京女子大と一橋の教授らしいぜ」「ピアノ講師らしいぜ」「国会議員らしいぜ」のようなことをホンキで考えるような若者なら、「逮捕されたらしいぜ」といって別人と混同することはありえなくもない。「保釈金、払ったんですか」などという、なかなか激しい信者さえいた。ここまでくると、もう風評被害と言っても十分なくらいである。

 

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(写真上:箱に入った白い雲)


 まあ、そういう経験もあって、いよいよ開設5ヶ月目に入ろうとするこのブログも、そういう迷惑をかけないようにこれからも細心の注意を払っていく。当たり前のことだが、普段の原稿を書く時に比べると、やはりブログはくつろいだ気持ちで書くのである。リラックスした服装で(風呂上がりのリラックスした服装、というのはなかなか激しいものがあるのだが)、酒のグラスをカラカラ言わせながら書くことが多い。その時ふと誰かの大きな迷惑になるようなことを何の気なしにサラッと書いてしまったりすると、そこから「らしいよ」「らしいぜ」の連鎖が始まり、その連鎖の遥か向こう側で、誰かが嘆き苦しんでふと自殺を考えたりすることにもなりかねない。気楽にブログと言っても、そのぐらいの可能性は十分にあるのだ。大いに自戒すべきである。

1E(Cd) Hilary Hahn:BACH/PARTITAS No.2&3 SONATA No.3
2E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
3E(Cd) George Benson:IRREPLACEABLE
4E(Cd) Deni Hines:IMAGINATION
5E(Cd) DRIVETIME
6E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
7E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
8E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
11D(DvMv) DREAMGIRLS
14D(DvMv) BEE SEASON
total m29 y1418 d1418