Thu080918「very」と「much」のつかい分け ポルタ・ガリバルディ ヴィラ・アミンタ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu080918「very」と「much」のつかい分け ポルタ・ガリバルディ ヴィラ・アミンタ

 一昨日は参考書執筆の苦労の話を書いて、微妙なバランスの上での綱渡りのつらさを訴えた。私には「分かりやすさ」のほうに傾く傾向があって、あくまで参考書読者である受験生の成績を上げる即効性を主眼に、本を書くようにしてきたつもりである。授業でも同じことだが「早く英語ができるようにしてあげたい」ことを第一義に進めれば、「何を切り捨てるか」「何を教えないで済ませるか」「教えたいこと、話したいこと、書きたいことがいくらでもある中で、何を我慢して省略するか」という問題になる。


 これは一見すると簡単な問題のようでいて、実は古代ギリシャの大昔から哲学者たちががみんなで頭をかかえて悩んできた大問題なのである。青年たちにものを教える時に「正確さ優先」なのか「分かりやすさ優先」なのかは、そのまま「よい教師とは何か」に直結する問題であって、古代ギリシャではその見解の相違から死刑になる哲学者兼教師もいたし、故国を永久追放された哲学者兼教師もいたのである。「死刑になった人」と「永久追放になった人」がそれぞれどんな固有名詞を指すのかは、気恥ずかしいので書かずにおくから、興味のある人は自分で調べてもらいたいのだが、それがたとえ学習参考書の執筆であっても、もし時代が2000年違えば、下手をすれば殺されたり日本に帰って来られなくなるほどの大問題なのだから、書いているうちに鬱屈して真鶴だの長瀞だの江ノ島だのに逃亡したくなるのも、仕方ないことである。

 

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(写真上:台風13号接近に伴い、みずからも竜巻になってみているニャゴロワ姉さん)


 もっと簡単に言えば、寿司とラーメンと蕎麦とパスタと、全部食べたい時に何を我慢して何を選ぶか、そういうことである。その時に「相手の好みに合わせる」のはデートの常識であって、「オレについてこい」とか、嫌がる相手の口に無理やり寿司をつめこむとか、そういうことは私はイヤである。ただ、そういう無茶な扱いをされたい読者は常に存在しており、寿司とうどんとカレーとすき焼きと、全部口に詰め込んであげないと侮辱されたと感じ、暗い怒りと屈辱に歪んだ顔をする。彼らに対しては、いったい今何が一番必要で、何が一番食べたいかを決めて「腹八分目が大切」ということを根気よく説明し続けなければならないのである。


 「形容詞・副詞」の章に入って、私が参考書原稿を書く速度は格段に落ち、鬱屈することも多くなった。形容詞や副詞については、学部受験の段階では「どうでもいいこと」「どっちでもマルになること」が急激に増加するからである。動詞について、準動詞について、仮定法について、関係詞について、上巻でテーマにしたそれら4つのテーマでは「どっちでもまあOK」のような曖昧な事項は余りなかったのだが、話が「形容詞・副詞」になると「普通は…になるが、…でもまあOK」「通例…だが、…にする人もいる」という教師泣かせの話が突然増えてしまうのだ。例えばパーティーに出かける時に「ジャケットとネクタイが通例だが、ネクタイだけでもOK」「礼服が普通だが、紺のスーツでも可」みたいなことを言われて困るのと同じことである。

 
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(写真上:難しい話にも興味を示す、かしこいナデシコ姫)
 

 たとえば、強調するのにveryをつかうか、muchをつかうか、それともvery muchをつかうか、その辺のルールには非常に微妙なものがあって(この段落は面倒なら飛ばして読んでくれて構わないが)、まず、原則は下の(1)(2)である。
(1)形容詞&副詞の原級はveryで修飾、現在分詞もveryで修飾
(2)形容詞&副詞の比較級と最上級はmuchで修飾、過去分詞もmuchで修飾。
ただし、過去分詞はmuchで修飾するのが通例だが、
(3)「形容詞化した過去分詞」はveryで修飾してもOK。
 (例)Carrie was very surprised to meet Mr. Big in Paris.
    Miranda was very interested in that TV drama.
「形容詞化した過去分詞」とは、本来は過去分詞なのだが、英語国民の間で「過去分詞である」という意識が薄れて「一般の形容詞である」と認識されてつかわれているもので、上記例文中のsurprised・interestedやpleasedなどがある。
 また、動詞を修飾して強調する時は
(4)肯定文ではvery muchが普通。(Charlotte likes sushi very much.)
(5)否定文と疑問文ではmuchが普通。(Samantha does not like sushi much.)
 さらに、形容詞の原級は通例veryで修飾するが、
(6)same・differentなど、意味上「比較の観念」を含むものはmuchで修飾。
(7)afraid「恐れている」alike「似ている」ashamed「恥じている」など、aで始まる形容詞は、veryでもmuchでも修飾できるが、muchよりvery muchが普通。
 (例)Carrie was very much afraid that Mr. Big was seriously sick.

 veryとmuchのルールだけで、こんなことになってしまう。「通例」「普通は」という言葉の多さに驚くだろう。これを本に全部書いて、「すべてキチンと説明した」と胸を張るのか、(1)(2)(3)まででヤメにしておくか、これは趣味の問題を遥かに超えて「いい教師とは何か」という問題に深く関わってくるのである。

 

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(写真上:あまりの面倒臭さに呆れて、意識を失ってしまったナデシコ。)


 一昨日はパリやベルリンなど、ヨーロッパ大都市の「中央駅」の話もした。ミラノは、首都機能をもっていないぶん、パリ以上に歴史の長い街ではあっても、その中央駅はパリほど多彩に分割されてはいない。東京駅にあたるチェントラーレ駅以外には、まあ品川に該当するランブラーテと、まあ新宿なのかもしれないポルタ・ガリバルディの2つがあるぐらいである。マッジョーレ湖畔の町ストレーザに向かう電車は、ESやEC(スイスとの国境をまたぐから、InterCityではなくてEuroCityなのだ)のような上級列車ならチェントラーレ駅だが、各駅停車はポルタ・ガリバルディから出る。上級列車をチェントラーレに譲ってしまったから、駅の雰囲気は至ってのどかなものであり、落書きだらけの汚い各駅停車がたくさんホームに並んだまま、動き出す気配は感じられない。ポルタ・ガリバルディは、長い旅、重い旅、硬い感触の旅、そういう緊張感とは縁遠い、午後の穏やかな眠りがいつまでも続くような駅である。

 

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(写真上:到着当日のマッジョーレ湖。前日は嵐だったらしく、まだ強風が吹き荒れ、波も湖とは思えないほど荒かった。対岸の薄青く見えるのががスイス。「武器よさらば」の主人公は、手漕ぎボートに乗り、向こう側まで一晩でたどり着くことになっているが、この荒れ模様では不可能に思える)


 9月5日、地下鉄3線でドゥオモからレプブリカ、レプブリカでR線に乗り換えて、ポルタ・ガリバルディへ。ほとんど誰もいない窓口でストレーザ行き各駅停車のチケットを買う。駅の地下にスーパーマーケットがあって、そこでミネラルウォーターとワインをたくさん購入、電車に乗る前にスーツケースに詰め込む。「5つ星7連泊」で部屋代がかかっている分、こういうところでキチンと節約しようということに決めていて、だから電車も各駅停車なのだ。駅のホームでスーツケースを思いっきりカパっと開いて、あっちをつめ、こっちを移動し、何とかスペースを空けて2リットル入りのミネラルウォーター3本と白ワインの瓶を何本か詰め込んだ。

 

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(写真上:ヴィラ・アミンタ、部屋の前からのマッジョーレ湖。右側がヴィラ本館)


 イタリアの駅のホームでこういうことをしていれば、好ましからざる人物、またはその集団が近づいてきて、それなりのトラブルになりかねないのだが、ポルタ・ガリバルディの駅にはそういう雰囲気は全くない。むしろ、スーツケースをいじくり回しているこの東洋人が一番怪しいし、一番好ましからざる人物に見えるような気がする。もちろん「地球の歩き方」ふうに言えば「油断は禁物、ご用心を」という場所なのだろうが、水を6リットルも詰め込んで持ち上げようにも持ち上がらなくなってしまった、殺人的に重たいスーツケースを相手に悪戦苦闘している東洋人を、イタリアのオジさんやおばあちゃんたちがニコニコ笑って見ている、暖かい雰囲気。それも「手を貸してやろうか」とさえ言い出せないでためらっているような内気で素朴な暖かさである。

 

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(写真上:部屋の前からのマッジョーレ湖、上とほぼ同じアングルからの夕景。右側がヴィラ本館)


 各駅停車とは言っても、ポルタ・ガリバルディからストレーザまでの1時間半、止まる駅はGallarateとAronaぐらいであって、ESやECと所要時間はほとんど変わらない。ストレーザで降りずにそのまま乗っていけば、すぐにスイス国境の町ドモドッソラである。13時半ごろにガリバルディを出て、1時間後にはもう右側の車窓にマッジョーレ湖が姿を現した。快晴のせいで、青緑色の湖面にスイスの山が映え、予想通りの美しさである。私の後ろの席で、ヨーロッパ人のカップルが立ち上がって、肩を抱き合って湖を見つめている。マッジョーレ湖、コモ湖、この2つの湖はやはりヨーロッパ人の憧れなのである。この湖のホテルでヘミングウェイは「武器よさらば」を書き上げるわけだが、その主人公が最後に手漕ぎボートで逃走に成功する、対岸のスイスも遥かに見えている。

 

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(写真上:ヴィラ・アミンタ。湖側からの全景)


 15時、ストレーザStresaに到着。15人程度の乗客がここで降りた。駅前にたった1台待っていたタクシーに乗る。私はタクシー争奪戦だけは抜群に強いのだ。ベルリンでもNYでもパリでも、タクシー争奪戦で負けたことは一度もない。滅多にタクシーがつかまらないヨーロッパの田舎町でも、この能力はいかんなく発揮されるのである。乗ってしまえば、ヴィラ・アミンタまで5分もかからない。歩けば20分ほどの距離だから、明日からは毎日湖畔を歩くことにする。到着15時半すぎ。外見的には全く予想を裏切らない、素晴らしいホテルである。これで、やっとヴィラ・アミンタ滞在記に入ることができそうだ。

 

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(写真上:ヴィラ・アミンタ、離れの部屋からの夕景)

 


1E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
2E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK, JANÁĈEK, and BRAHMS
3E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK VIOLIN CONCERTO & SARASATE
4E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
5E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
6E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
7E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
10D(DvMv) OCEAN’S ELEVEN
total m186 y1273 d1273