Wed 080917 秩父・長瀞紀行 根の生える男の話 ミニ版「邯鄲の夢」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 080917 秩父・長瀞紀行 根の生える男の話 ミニ版「邯鄲の夢」

 バランスをとりながらの参考書執筆に少し飽きてしまったから、久しぶりに少し遠くまで散歩に出かけることにした。明日から台風が接近して雨の日が続くらしいので、遠出するのなら快晴の今日がチャンスである。夏ももう終わったから、さすがに今日は海はやめにして、山のほうに向かおうと思う。「洞昌院の萩が見頃で、萩の見頃は9月20日ごろまで」、そういう記事があったので、萩を見に秩父・長瀞まで出かけることに決めた。

 

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(写真上:秩父鉄道で遭遇した駅。「死ぬのは」でも「悪いのは」でも「勝つのは」でも、何でも頭に付けて楽しめばいい)

 秩父は山の中であって、代々木上原からの行き方は3ルートある。池袋から西武線で西武秩父に出ても、同じ池袋・東武東上線で小川町からでもいいし、もう1つ、JRで一気に熊谷まで北上して、熊谷から秩父鉄道で南下するルートでもいい。昔なら分厚い時刻表を開いて3つのルートを丹念に調べたものだし、実はその分厚い時刻表を机の上に開くところから旅行の楽しみがスタートするのだったが、今はケータイとかPCとか便利で余計な道具があって、面白味の一番少ない無味乾燥なルートを瞬時に指定してくれることになっている。時刻表を開いて一番楽しめそうなルートを見つけ出すのを、私はかつて特技にしていたのだが、その特技をいつの間にか奪われ、あきらめ、無気力になって、ケータイ&PCの奴隷になってからもう5年以上が経過した。奴隷は、新宿から熊谷まで「湘南新宿ライン」、熊谷から秩父鉄道、そういう命令を受け、反乱など起こさずに、道具の命令の通りに行動することに決めた。

 

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(写真上:続・秩父鉄道。40歳以上のオジさんなら、まず例外なしに「... 刑事純情派」とつぶやくはずだ)

 熊谷からの秩父鉄道、これ自体初めての経験である。熊谷、樋口、という駅名に畠山重忠の墓まで残っていれば、まさに源氏の故郷、源平の戦いの源氏側の立役者が勢揃いした感がある。私は「平家びいき」で、戦いの勝者である源氏の人々はあまり好きになれないのだが、熊谷も樋口も畠山も、歌舞伎や浄瑠璃の世界では、自らとその家族が余りに大きな犠牲を払ったことになっていて、むしろ源平の戦いの美しい犠牲者たちである。熊谷から長瀞まで50分の長旅だったが、何となくそういうことを考えているうちに、電車は山の中に分け入り、窓からは荒川の深緑色の渓流が姿を見せるようになっていた。

 

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(写真上:秩父鉄道長瀞駅に到着。鉄男くん鉄子さん憧れの一瞬かもしれない)


 13時、長瀞駅に到着。長瀞といえば「ライン下り」「渓流下り」ということになっているらしいが、何もそこまで奴隷のように命じられるままの行動をする必要はない。第一私は「洞昌院の萩」という風流なものを楽しみにはるばる2時間もかけてやってきたのであって、駅前にズラッと看板とノボリを並べて客を誘っているそういう定番観光に付き合わされる必要は皆無である。そもそも、平日のお昼すぎ、観光客もまばらな場所でこういう定番に付き合って「舟下り」などすると、何だかイヤに気恥ずかしくなるものである。盛んに声をかけてくる観光業者のお兄さんやお姉さんに気づかれないように、足早にその場を離れた。

 

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(写真上:長瀞駅。2番ホームより。掲示によれば「関東の駅100選」に入っているらしい)

 で、「洞昌院の萩」であるが、それは後回し。ひとまず「宝登山ロープウェイ」で山の上に登って、秩父の山並みを眺めることにする。萩の花は逃げないから、逃げないものは放っておいて、雲や霞がかかってしまう前に美しい山並みの風景を楽しもう、そういうごく当たり前の選択である。宝登山神社から山道を5分登ったところにロープウェイ乗り場があって、30分に一本というダイヤではあるが、いかにもスズメバチが大量に待ち構えていそうな初秋の山道を歩いて登るよりはずっとマシなはずである。

 

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(写真上:「宝登山ロープウェイ」山麓駅。「歓迎」の文字が少し哀愁を帯びている)

 

 ロープウェイ自体は昭和40年初期の代物か。看板も、ゴンドラも、屋根も、案内板も、みな錆とホコリがこびりついて、静かなあきらめの中で眠りに落ちる寸前という風情。ゴンドラは「ばんび号」「もんきー号」という名前の2台しかなくて、これが30分ごとに山麓と山頂を代わりばんこに往復するという仕掛けである。私は「ばんび号」の番になって、まばらな客とともに10分もかからずに山頂についてみると、山頂も同じように蒸し暑い。普通ならロープウェイでもケーブルカーでも降りた途端に乗客が「わあ、涼しい」と歓声をあげるものであるが、台風が接近しているせいか、容赦ないほどに蒸し暑く、遠くの山並みも霞んでしまっている。20分だけ山頂にいて、それ以上何もせずに、そのまま「ばんび号」で山麓に降りてきた。

 

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(写真上:ロープウェイ山頂駅からの風景。山並みが霞んでよく見えない)


 降りてきた段階で、時計は14時15分を指している。驚くほど時間が早く過ぎていくのだが、30分に1本しかない乗り物に2回乗ったのだから、これは当然の結果であって、決して誰かが意地悪したのではない。「洞昌院の萩」も大いに気になるところだが、いくら気になっても、昼食の蕎麦を求める本能と、汗をかいたからビールを飲みたい欲求と、ついでに冷たい日本酒を楽しみたいイタズラな欲望を抑えきれるものではない。「洞昌院の萩」には根が生えていて、根が生えているものは逃げも隠れもしないのである。逃げも隠れもしないものを優先して、そういうものに義理をたてて蕎麦や酒をないがしろにするのは、武士の意地にかけても許すべきではない。こういうふうで、すでにこの怠け者の武士の頭には飲む前から酒が回っていて、よくわからない理屈が、また別の理屈を呼んで、まさにとどまるところを知らないのである。
 

 そこで萩を見習い、武士としてもしっかり根を生やして落ち着くことに決める。問題は根をどこに下ろし、根をどこで伸ばすかだったのだが、宝登山神社を出た向かい側に、ちょうど良さそうな場所がすぐに見つかった。こういう田舎町で午後2時半近くなれば、根を下ろして旨い蕎麦や酒を吸い上げるのにいい場所はなかなか見つからないものである。「ガーデンハウス有隣」、店の名前はゾッとしないが、根を生やすのに格好の店であり、しかもこれを逃したとしたら他に店が見つかるかどうか難しい時間帯である。店の名前は我慢して、とりあえず腰を下ろしてみたほうがいい。出てきた店のオバさんに、早速「とろろそば」「ビール」を注文して、まず生きていくのに欠かせない大切な養分を確保し、「それから冷酒、ありますか」とおそるおそる尋ねてみると、おお、何と夢ではないか、冷酒はすぐに盆に載せられて姿を現した。

 

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(写真上:私が根を下ろしていた「ガーデンハウス有隣」。他の客は1時間半で2組だけだった)

 根が生えれば、どこか他の場所でいじらしくしとやかに根を伸ばしている他の植物を見物しにいくほど、暇ではなくなってしまうし、そんな風流な心がけは朝の露のように風にまぎれて、消えてなくなってしまう。そういう朝露なんかより、徳利の中の旨い露が優先するのは至極当然であって、もしそれが逆なら、何か病気を疑ってもいいぐらいである。根が生えて、腰もすっかり落ち着いて、「ととろ飯セット」も追加注文し、刺身こんにゃくをつまみ、酒を追加するかどうか、悩みは別の悩みを生み、その悩みの中で萩の花は淡く消えていった。

 

 店を出たところで、すでに時計は15時半近い。帰りに予定していた電車は、15時58分、熊谷行き。熊谷乗り換えで、新宿18時頃到着の予定、それがケータイさまのご命令である。まだ陽は高いのだし、駅前ではまだ盛んに「ライン下り」「渓流下り」の営業を続けていて、この時間からでもライン下りに出かけていく人が少なくない。私だってその気になれば「洞昌院の萩」を復活させることも不可能ではないし、渓流下りでお茶を濁すことも出来ないわけではない。しかし、私が長瀞までやってきたのは、あくまで「原稿を書いて鬱屈した気分の気晴らし」であって、今さら渓流なんか下っている暇があったら、早く部屋に戻って原稿執筆を再開すべきなのである。そう考えて、いま目の前にあるささやかな可能性の選択肢、可能性の樹形図、そのすべてを大人しく閉ざして、家路につくことにした。

 

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(写真上:帰りの長瀞駅で。さすが秩父。セメント満載の貨車がいくらでも列を作っている)

 ホームに出ると、たったいま、ほんの20分前に、熊谷行きのSL列車が出てしまっていたことが分かった。あそこであんなに強固な根を生やしていなかったら、せめてSL列車にぐらいは乗れたのである。いかに無駄な時間の過ごし方をしてしまったか後悔するが、もちろん後悔は先に立ってはくれないものと大昔から決まっている。

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(写真上:「関東の駅100選・長瀞駅」。帰りは、寂しかった)

 

 こうして、せっかく片道2時間もかけて長瀞までやってきて、目的だった「洞昌院の萩」どころか、有名な渓流下りもSL列車も楽しまずに、1日が無駄に過ぎていく。それではそのことを反省するかといえば、もちろん私の辞書に反省の文字はない。要するに、これが人生の縮図なのであって、今日の一日は「邯鄲の夢」のミニ版なのである。長瀞を早稲田慶応、萩を一流企業、渓流下りを世の役に立つ仕事、SL列車を趣味、そうパラフレーズすれば(もちろんそれをパラフレーズと呼ぶかは別問題として)「せっかく長瀞まで来て、萩も見ず、渓流下りもせず、SL列車にも乗れずに終わった」はイコール「せっかく努力して早稲田や慶応を出たのに、一流企業に就職もせず、世の中の役に立つ仕事もせず、趣味も楽しめずに終わってしまった」ということである。しかしそれでも、蕎麦を楽しみ、とろろを楽しみ、酒を楽しみ、白く霞んだ夏と秋のあわいの山並みの眺めを楽しみ、昭和の匂いをしっかり感じて山から下りてこられれば、それはそれで十分なのであって、世間の人々の驚き呆れた顔なんか気にしている必要はないのだ。「おや、それは残念でしたねえ」などと呆れて笑われても、正直言ってそれは余計なお世話である。

 

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(写真上:秩父鉄道の切符。窓口で買った切符は、昔の厚紙切符だった)
 
 

1E(Cd) John Coltrane:IMPRESSION
2E(Cd) John Coltrane:SUN SHIP
3E(Cd) John Coltrane:JUPITER VARIATION
4E(Cd) John Coltrane:AFRICA/BRASS
5E(Cd) Holly Cole Trio:BLAME IT ON MY YOUTH
6E(Cd) Jessica Simpson:IRRESISTIBLE
7E(Cd) Samantha Mumba:GOTTA TELL YOU
10D(DvMv) THE AVIATOR
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