Sat 080906 「ダラしない大人」のススメ クマの居直り 参考書原稿・完成いよいよ間近に | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 080906 「ダラしない大人」のススメ クマの居直り 参考書原稿・完成いよいよ間近に

 どんなに努力しても、スケジュールより遅れるのは人の世の中の常である。生徒は授業時間に遅れ、教師は採点が遅れて答案を返せない。平社員はノルマの達成が遅れ、上司は職場内の人間関係の解決が遅れてしまう。作家は原稿の提出が遅れ、出版社社員は校正・入稿・広告が思い通りに進まない。大学生はレポートの提出が遅れ、教授は論文執筆が遅れ、助手は教授の論文の清書が遅れ、教授の奥様は夕食のしたくが遅れ、教授の息子は塾の宿題が間に合わず、塾の先生は授業の予習が間に合わず、塾経営者は給与の支払いが遅れる。マトモに全てが間に合って生きているご立派な人など、実はほとんど存在しないのだ。みんなが締め切りに遅れ、2~3日遅れでお茶を濁し、お互いに許しあい、お互いに頭を掻いて、お互いの苦労をグチりあい、お互いの健闘を讃えあって、そういうふうにして世の中は成り立ち、うまく機能している。

 

(写真上:ネコ界の優等生、ナデシコ。無遅刻、無欠勤。天を見つめる美しい緑の瞳には、理想を求め、ダラしないツキノワグマのマネはしないという決意がみなぎる)

 もし今ここに「いや、私は宿題も課題も日課もすべて締切に間に合わせています」という男が現れたとしよう。いや、「いかにも」という30代半ばのキャリア女性が現れて「与えられたノルマは常に達成、一緒に生活しているかわいいカレシのディナーがカレシの帰宅に遅れたことはない、上司に依頼されたビジネスで締切に遅れるなんて、ありえなあーい。そんなことを許す上司なんて魅力なあーい。上司の魅力は、ミスを許してくれない厳しさにある♡♥♡」とか、そういうことを、うるうるしながら口走ったとする。おお。私は、男でも女でも子供でもオジサマズ&オバサマズでも、そういうのは大嫌いである。そうやって余りにも品行方正な優等生をやっているから、キチンと平均寿命通りに命を落とす結果になる、考えてみれば、それで周囲の人間を悲しませるのは最大の罪かもしれない。

 

(写真上:厳しい表情のナデシコ。「こういう怪しいクマさんのバカバカしい話にご用心ニャ。ダマされてはいけませんニャ」。ナデシコの表情に、酒飲みのクマはタジタジとなる)

 ノルマ達成は、遅れるべし。授業には、遅刻すべし(予備校に通う高校生は除く)。大学生と教授が両方ちゃんと遅刻すれば、それでちょうどいいのだ。夕食の支度は遅れるべし。ダンナは、無断で一杯飲んで帰るべし。息子も娘も、朝起きるのは遅れるべし。大学生のレポート提出が遅れ、教授はレポートの採点が遅れ、学生と教授で辻褄を合わせ、ついでに高田馬場か新宿か下北沢で学生も教授もワケが分からなくなるまで酒を飲み、終電に遅れ、タクシーで「午前さま」、しかも学生2~3人を連れて帰宅。教授の奥様が眠たげに出てきて、学生たちが恐縮し
「あれれ、すみません」
「何がスミマセンだ、おい、朝まで飲むから付き合え」
こういう教授になら学生はいくらでもついていく。しかし教授は、奥様に叱られて大いにむくれてしまい、
「仕方ない、高円寺に飲みに出るぞ、いいか、ああいう女とは結婚するなよ」
「先生、もう2時ですよ」
「いいじゃないか、朝まで飲めないヤツには優も良もやらん。レポートなんか提出したって、不可にしてやるから覚悟しろ」
「ええっ、しめた。じゃ朝まで高円寺ですね、試験受けなくても、優、くれますね」
「疑い深いヤツだ。そんな態度じゃ、ああいうヤツと結婚する羽目になる」
「あなた、どういうことですか」
「ありゃりゃ、まだ寝てなかったの?」
「ほら、先生。高円寺でしょ、阿佐ヶ谷でしたっけ」
「何言ってるんだ、中野のサンモール街だって言っただろ」
「へ、中野?」
「中野の、ジョイフル。玲子ちゃんトコ。いくぞ。歌うぞ。」
「先生、玲子ちゃんのトコって、どこでしたっけ」
「馬鹿者、この間みんなで行って、盛り上がったじゃないか、さ、タクシー呼べ。行くぞ、笹塚」
「は?笹塚?」
おお、おお、昭和、昭和。こういう国、こういう街、こういう大学、楽しくて、だらしなくて、余裕があって、朝はみんなドロドロで、ついこの間まで、私はそういう場所で生きていた。先生も先輩も上司も、みんなそんなだらしない生き方をしていて、それでも何故か業績だけはしっかり上がっていて、誰もがどこかでキチンと帳尻を合わせていたし、その「帳尻」のレベルは非常に高い位置にあって、しかもどんどんそのレベルは上がっているように思われた。

 

(写真上:相変わらず厳しい表情のナデシコ。「こういう危険なクマとは、目を合わせてはいけませんニャ。目を合わせただけで、だらしなくなりますニャ」。)

 昨今は(おお「昨今」ねえ。言葉遣いが古すぎる)どうもこういうのは、はやらないらしい。教授は学生たちと飲んだりせずにキチンと夕食の時間に帰り、大学生は締切通りにレポートを提出して涼しい顔をしている。「苦しむ」「慌てる」は時代遅れなのである。ただしレポートにはコピペが多くて、特に見るべきものはない。学生が授業に遅れることも、教授が遅刻してくることもない。ただし授業の内容には見るべきものがない。新人社員は「勉強」とか「早朝出勤」とかに熱心で、朝早く起きて、英会話なりヨガなり座禅なりジョギングなりしっかり「朝の時間を積極活用」、昭和の大学生ならゲロの1つも出ようというようなことを、涼しい顔で難なくコナして、それから出社する。おお。立派、あまりにも立派である。


 先輩の誰より早く出社して、先輩のデスクを綺麗に拭いて、パソコンを立ち上げて、仕事ノート(最近はサモしいサラリーマン雑誌のせいで、To Do Memoとかサモしい名前がついている)を開き、缶(またはスタバ)コーヒーとヤマザキ・ランチパックで朝食。そこへ30歳代半ばの美しい女性上司が颯爽と出社。「あ、佐藤クン、キミも、ヤマザキ・ランチパック?」「はい、おはようございます、センパイ」。


 うぉ。げほ。うにゃ。私なら、確実に昨夜の酒が(というか、今朝まで飲んでいた酒が)耳と鼻から吹き出してきそうな場面である。もちろん、こういう立派な偉い人たちが夕方からの飲み会に出てくるはずもない。誘っても「あ、明日朝早いですから」。では、どれほど立派な業績が上がっているかと見てみると、彼ら彼女らの考えていることは「キャリアアップ」と「そのための社会人留学」または「転職」。「会社のために何が出来るか」ではなくて「会社がボクのために何をしてくれるか」ばかり考えていて、「会社が何もしてくれないから、転職する」「やってらんない」と悪態をつく。

 

(写真上:「バカなことをいつまでも言ってると、キックしますよ。私の美しい肉球でも見て、態度をかえなさい」女王様スタイルのナデシコ)

 大学生も若い社員も誰も付き合ってくれなくて、課長も部長も大学教授も、みんな可哀そうである。若い諸君の愚痴なりバカ話なりを聞いてこそ、「おお、それは困ったな、解決しなきゃな」「おお、その程度のことで困ってるんなら、早く相談に乗れよ」の類いのアドバイスをして、彼らもまた成長できるのである。そういう先輩カゼも上司カゼも教授カゼも吹かせられない状況で、どうやって上司として教授として成長できると言うのだろう。成長できず、自分たちの殻に閉じこもり、あげくの果ては、信じがたいハラスメントに走る。成長できなかった結果というのは、恐ろしいものである。


 みんな偉すぎるのだ。立派すぎて、「勉強、勉強」と勉強法の本ばかり読みすぎなのだ。勉強法ばっかり気にしていたら、実際の勉強そのものは出来ないし、カッコよさばかり気にしていたら、いつまでたってもカッコわるいし、スマートになりたがってばかりいると、そのこと自体がスマートさから程遠いのだ。


 要するに、カッコつけすぎ。というより、子供のときからの優等生グセが抜けなくて、いつまで経っても、大人になっても、ママとパパと学校の先生に褒められそうなことばかりして、「早寝早起き」「朝の時間を活用」「しっかり勉強」「スキマの時間を活用」「金持ち父さん」「目標実現」「小悪魔になる方法」「朝食はしっかり」、そういう本ばっかり読みすぎて、日本中みんな、朝っぱらから優等生だらけである。このままだと、男はみんなママのお気に入りの優等生、女はみんなヤマザキ・ランチパックの好きな小悪魔、そういう奇妙奇天烈な国になってしまいそうな気がする。

 

(写真上:「なに、テレテレ言ってんの、ワケわかんねくね? おじさんオニうざくね?」女子高生言葉も使ってみたい年頃のナデシコ。)

 開き直るようだが、というか、ハッキリ開き直るのだが、私はこういう最近流行の生き方とは正反対のままで貫きたいと思っている。別に、カッコつけるのだが、だから、参考書の原稿提出は完全に遅れている。最初は「6月末日まで」の約束だったが、酒を飲み、歌を歌い、ネコを撫で、旨いものを食い、そういう自分勝手なことをやり放題やっているうちに「8月末日まで」と延ばしてくれた締切が、また過ぎてしまった。すでに9月6日、延ばしてもらった締切を、また1週間過ぎて、まだ完成する気配はない。別に、威張るわけだが、明日明後日には完成の気配は丸っきりなくて、書斎は静寂に包まれ、編集者から電話などかかってこようものなら、静寂は固く凍り付き、「居留守」という非常手段を日常化させる覚悟である。敵もさる者であって、電話、携帯電話、メール、ありとあらゆるアンテナを伸ばして攻撃の手は緩めてくれないかもしれないし、授業収録で吉祥寺を訪れれば、まさにそのときは攻撃の絶好の機会であって、私はカタツムリの殻にでも逃げ込むしかないのであるが、ま、それはそれで、いいとしよう。


 なぜなら、ハードルを低くして適当な原稿で適当にこの場を逃れるのはイヤだからである。今執筆中なのは「くわしい英文法・決定版」。この本が出版されたら、もう今後英文法の参考書なんか20年でも30年でも必要なくなるような、決定版を出版したいのだ。「締切通りに提出しましたよ」「遅刻はしませんでした」と言って涼しい顔で下らない原稿を提出する気は全くない。締切に遅れて、それで編集者に迷惑をかけたとしても、私も編集者も、楽しみにしてくれた読者も、例外なく満足できるような原稿にして提出したいのだ。


 最後に「報告」として付け加えておく。大いに迷惑をかけ、大いに心配をかけ、遅れ放題に遅れた原稿だが、このブログを書いている段階で、ついに完成に限りなく近づいている。全体で250ページのうち、昨日までで238ページの執筆が完了、残りは12ページである。9月10日までに完成のメドが立っている。ついに、ここまで来た。出来映えは、少なくとも私が今までに書いてきたどの参考書も、問題にならないぐらいの最高の出来である。「てにおは」一つ一つにまで細心の注意を払った、最高の原稿が出来たと自負している。出版は年末に間に合うかどうかギリギリだけれども、とにかく完成しそうでよかった。迷惑をかけた編集者には、十分に謝罪した上で、飯と酒をたっぷりおごって、今後のこともしっかりお願いする予定。そういういかにも昭和然とした編集者との付き合いを、私はこれからも続けていこうと思っている。

 

(写真上:「おや、本当ですか、ツキノワさん。見捨てるのは、少し待ってあげましょうかね」と言って少しだけ優しい態度のナデシコ)

 というわけで、ブログはこの辺にして、再び参考書原稿に戻らなければならない。4月23日の私は、まだブラーノ島に置き去りのまま。いつヴェネツィア本島に戻ってくるのか、いつサンマルコ広場に戻ってきて大酒を飲むのか、参考書の原稿が今の状態では、予測もつかない。しかしそれはそれでいいのだ。あれほど傾いた塔、あれほど眠たげにウィンクしていた塔に付き合い、緩やかな波と風と洗濯物の催眠術にかかったクマならば、3~4日島のネコやオジサン&オバサンといっしょに居眠りしていても、誰も揺り起こしはしないだろう。

 

(写真上:誰もクマを揺り起こさない、夢のように静かなブラーノ島。日曜日午後3時半。本当にここはヴェネツィアなのか、それを質問したくなっても、誰も通りかからない)

 波の音は太いイビキの音に調和し、パタリパタリ洗濯物のはためく音に合わせて大きなお腹が揺れれば、眠りを妨げる者は何もない。パステルカラーの家々から、怒った顔のマンマがやがてたくさん姿を現して、夕食の支度の前に急いで洗濯物を取り込む気配がするまでは、ツキノワさんはこの島で、傾いた塔に寄りかかりつつ気持ちよく居眠りを続けようと思うのだ。

 

 


1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 1/6
2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 2/6
3E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 3/6
4E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 4/6
5E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 5/6
6E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 6/6
7E(Cd) Avner Arad:THE PIANO WORKS OF LEOŠ JANÁĈEK
8E(Cd) Akiko Suwanai:INTERMEZZO
9E(Cd) Akiko Suwanai:BRUCH/CONCERTO No.1 SCOTTISH FANTASY
10E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
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