Fri 091218 12月13日の惨劇(1) その発端と経過 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 091218 12月13日の惨劇(1) その発端と経過

 12月13日の惨劇については、惨劇直後に激しい痛みを耐え忍びながら立ち上がりつつ、「ブログの移転をしたらまず真っ先にこのことを書こう」と決意したほどのものであった。転んでもただでは起きないのである。崖下に転落してもたくさんのヒラタケを手にして崖から這い上がってきた平安時代の国司の逸話よろしく、たとえ自ら惨劇に突入して大きな傷をヒタイにつくった後でも、「よし、これをブログ移転の記念にしよう」と決意するのだから、その執念や恐るべし。いや、それ以上に、このブログに賭ける筆者の熱意を思い知るべきである。

 

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(惨劇のあと。12月15日朝、ウィーンで撮影)


 惨劇の発生は、12月13日午後10時過ぎである。すでに夕食時に日本酒4合~5合ほどを痛飲し、これにコンビニで購入した1000円ほどの赤ワイン3~4杯を加えて、上機嫌と絶好調のまさに頂点という勢い。約9時間後には2週間にわたるブダペスト&プラハ旅行への出発を控えながら、まだ旅行の準備は全く進んでいない。


 というか、どんな海外旅行でも、その準備にかかるのは出発の2時間前と決めているので、「翌朝4時に起きて一気に荷物をパックしてしまおう」「ついてはもう2~3杯の赤ワインを飲みほして、気持ちよく朝4時までの睡眠を満喫しよう」と考えていた、まさにその瞬間に悲劇は起こったのであった。

 

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(惨劇のあと2。左目の下にはイスとの激突でできた痣が残る)


 つまり、安い赤ワインの刺激に、まず喉が悲鳴をあげたのである。思えば、11月23日の深夜に風邪を引き(早稲田祭の打ち上げで若い学生諸君と深夜まで飲んだ直後だった)、これが2週間以上にわたってしぶとくクマどんの体内に居座りつづけ、特に喉に大きなダメージを残した後であった。熱が上がり、熱が下がり、鼻が詰まり、鼻が通って、それでも咳だけはいつまでも抜けることなく、1日に2度か3度は激しく咳き込んで、最後に吐きそうになって危うくこらえたところで咳が止まる、そういう日々がまだ続いていた。


 あの瞬間、そういう激しい咳の中でもとりわけ激しい咳の発作が、肉体の持ち主であるカニ蔵くんの上機嫌と正比例するほどに激しく込み上げたのである。困り果てたのは、赤ワイン君。もともと1ボトル1000円でしかないことに大きなコンプレックスをいだいており、買ってくれたご主人様の気に入らない可能性の高いことに常におっかなびっくりの赤ワイン君は、この激しい咳の発作に彼のコンプレックスを爆発させてしまった。

 

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(ニャゴロワに緊張が走る)


 「むせる」といっても、それが水とかお茶とか、およそ無害な液体が原因であるならば、カニ蔵クンがあれほど慌てふためくことはなかったのである。白ワインでも、焼酎でも、日本酒でもよかった。問題なのは、シミをつくったら決して抜けることの期待できない赤ワインにむせたということである。


 代々木上原のカニ蔵御殿は、床全面が秋田杉の無垢板という豪華版であって、むせた赤ワインを吐き出したりして、万が一にも居間の豪華秋田杉に赤黒いシミなどつくったりすれば、どれほど後悔しても足りないほどだろう。要するに「この家に住んでいたクマどんは、秋田杉の床に安い赤ワインを吐き出すようなダラしないクマどんだったのだ」という汚名を後世のクマ世界に残すことになる。カニ世界だって、カニ世界の恥として指弾し続けるに決まっている。

 

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(ナデシコに緊張が走る)


 こうして、今井くんの猛ダッシュが開始される。激しくむせかえった口の中の赤ワインを両手で抑え、とにかくトイレに向かう。トイレには便器もあるし、洗面台もある。「トイレに吐く」という屈辱に耐えられなければ、洗面台に吐き出せばいいだろう。近くにはキッチンのシンクもあったのだが、食器を洗う場所に口の中のものを吐くのは、さすがに自尊心が許さない。


 咳き込み、赤ワインにむせ、激しくむせて、これはこのままでは済まない、外科手術的な処理(吐くという行動)が不可避だと判断し、座っていたイスを倒しそうになりつつ暴力的に立ち上がり、多くの選択肢の中から一瞬でトイレを選択し、約6m先のその目標に向かって猛ダッシュを開始するまで、2~3秒もあっただろうか。ダッシュの瞬間、周囲の全てが静まり返り、2匹のネコたちが唖然として身を屈め、まずシマシマのナデシコがさっと物陰に姿を消し、続いて白いニャゴロワがドタドタ音を立てながらクマどんに道を譲った。

 

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(攻撃目標になったトイレ。ナデシコが逃げさる)


 で、そのトイレへの道のりの途中で足がもつれて(滑ったのかもしれない)、クマどんは一気にバランスを崩し、密集に猛然と突っ込んでいくラグビー選手さながら、目の前の壁へと勇敢にタックルをかけたのである。この場合、両手は口の中の赤ワインを抑えるのにつかわなければならないから、壁には頭で突っ込んでいく。壁の前にはイスが置かれていて、そのジャマなイスを顔の左側で跳ね飛ばしながら、アゴを引いて、ヒタイで壁に突っ込むのである。アゴを引かないと首の骨を折りかねないから、この選択は正解。しかし壁は土壁であって、いわば全面サンドペーパーを貼り付けたように、気持ちいいほどザラザラに毛羽だって、ヒタイによるこちらの猛攻に反撃することになっている。

 

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(急激に迫る土壁)


 まあ、そういうことである。臆病なナデシコがもう決して物陰から出てこないような大音響とともに、クマどんの巨体は土壁に激突。イスは跳ねとんで、1mも向こうに転がっている。ちょうどネコたちの爪とぎ板が置いてあるところに、べちゃっと音を立ててカニ蔵が転がりこんで、ヒタイには激痛、左頬にも激痛。ニャゴロワが背後で激しく走り回って興奮している気配を感じるが、さもありなんである。

 

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(20日後も残る激突の痕跡。真ん中のシミがそれである)


 以上が、「12月13日の惨劇」の途中経過。結果と影響、さらにその後の行動については、明日のブログで書くことにする。不思議なもので、この惨劇を境にしつこい咳は止まり、2週間も続いていたイヤな風邪からもついに解放された。そういえば、激しくむせる原因になった赤ワインはいったいどこに行ってしまったのか、記憶には全く残っていない。羅生門よろしく、「下人のゆくえは、誰も知らない」のである。