Fri 080801 真鶴紀行 フェラーラからラヴェンナへ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 080801 真鶴紀行 フェラーラからラヴェンナへ

 今年の東京の夏は、朝晩は涼しいようである。朝4時ぐらいになるとクーラーはほぼ必要なくなって、そのまま10時近くまで、極端なほど暑がりの私でもクーラーをつけずに平気でいられる。「夏の高炭素男」としては、大威張りできそうである。「冬に低炭素人間だから、排出量取引で」とか言い訳をしなくても済みそうだ。今日も曇りがちでそれほど気温は上がりそうにない。昨年の今頃は連日35℃を超えて耐えがたい酷暑だったこと、今年も西日本ではその状況が続いていることを考えれば、今の状態はまさに慶賀の至りである。
 

 合宿で失われた体力は昨日の徹底した睡眠で回復したし、久しぶりの涼しい休日を神奈川の真鶴まで足を運んで楽しんでこようと思う。別に真鶴に何があるわけでもないが、真夏の海辺まで出かければ、きっと魚が旨いだろう。魚が旨ければ、酒も旨いだろうし、酒が旨ければ体力もますます回復して、今の私の唯一の気がかりである参考書執筆にだって勢いがつくはずである。そういう言い訳に大いに気をよくして、10時半東京駅発の東海道線快速電車に乗った。
 

 11時半、真鶴に到着。駅前には何もないから、とりあえず名勝「三ツ石」まで行くことにして、タクシーに乗った。小田原を過ぎる頃から降り出していた雨もすぐにやんで、ぐっすり寝入った様子の田舎町は、まさに平和そのものである。ただ、タクシーの運転手がしゃべり過ぎだ。完全に客と対等の口調で数年来の友達か何かのように話しかけてくる。観光案内のつもりらしいが「教えてやる」みたいな口調は不快である。田舎の観光地に多いタイプだが、もう少し社員教育が必要だろう。
 

 「三ツ石」は数年前の早春に訪れた記憶がある。原生林を抜けて、サボテン公園(いつの間にか「中川一政美術館」に変わっていた)があって、その先の崖に作られた石段を50メートルほど降りていけば、その向こうの沖のほうにたいへんおめでたい巨岩が数個並んでいる、それが「三ツ石」である。おめでたいのは伊勢の二見が浦と同じことであって、おめでたい巨岩同士は昔から太い注連縄で結びつけられることになっている。それが男女の和合の象徴だったり、光と闇の結合の象徴だったり、まあいろいろするわけだが、今の私にはそういうことはどうでもよくて、早めに切り上げて胃袋と酒を和合させることにしか関心はない。

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 付近の岩にはフナムシとカニがうじゃうじゃ動き回っており、「フナムシは気持ち悪いがカニは気持ち悪くない」という不思議な感覚をもった子供たちが、同じようにうじゃうじゃ動き回って、カニを捕まえてはヨダレを拭き拭き喚声をあげている。カニは岩の裏側についた貝をハサミで抱えて這い回り、誰も見ていない(とカニなりに判断した)石の陰で旨そうに貝の身を味わっている。私も早く腹を満たしたい(と私なりに判断した)ので、カニと子供たちをかき分けて再び崖を登った。雨がやっとやんだばかりの分厚い曇り空で、海も灰色。それ以上海辺にいなければならないほど美しい青い海でもなかったのだ。


 ところが、こういう海岸には定番のはずの磯料理屋が、あたりには一軒もない。「サザエつぼ焼き」の看板も、「イカ丸焼き」のノボリも、「アワビ旨いですよ」の呼び込みも、とにかく何一つないのだ。私はアワビアレルギーだから、アワビ旨いですよの呼び込みはいなくても構わないが、わざわざ東京から1時間半もかけて真鶴まで来て、磯くさいウニをサカナに酒も飲めないのでは武士の一分が立たない。別に私は武士ではないが、ウニで酒が飲みたい欲望は、どんなサムライにも負けない自信がある。それなのに、磯くさい磯料理屋は影も形もないのである。
 

 三ツ石で発見したのは「ケープ真鶴」1軒のみである。町営だか、第3セクターだか、まあそういう愚にもつかないものが1軒だけで独占経営をしていて、あとは見渡すかぎり、酒飲みの相手を引き受けてくれそうな店は1軒もない。「ケープ真鶴」、その間抜けなネーミング自体がすでにガッカリであるが、店構えから品揃えから、昭和の学生食堂と比較しても大差はない。置いてあるのは定食メニューのみ。周囲のテーブルを見渡しても(といっても他に客はあまりいないのだが)「仕方なくここに入ってみた。ハッキリ言って後悔している」というドンヨリした空気が、マンガの吹き出しよろしく頭上に漂っている家族連ればかりである。


 ママとトイレに行ったついでに、見事にかき氷を獲得して帰ってきた5歳ぐらいの男の子と視線があった。ゲットしたかき氷を自慢げにヒゲのオジさんに見せびらかしながら歩いていく。彼とは、余りにも間近に視線が交錯した。至近距離、わずか30センチである。「おお、いいの買ってもらったな」と思わず呟くと、彼も「おお」とか「うう」とか低く叫んだ。だって、かき氷の他に、この店には彼も私もほしいものは一つもないのだ。「アジフライ定食」なんか、いつどこでとれたのかもわからないバカでかいアジのフライが「これでもか」と3枚も大皿に盛られ、いかにもマズそうなドレッシングのかかった大量のキャベツを家来に江戸幕府の御三家みたいに横柄な顔で客の前に出されるのだ。早稲田の学食と、どこが違うのかわからない。競争原理の消えたところに商品の向上はありえないという、経済学のイロハみたいな店である。彼と私の間には、まさに男と男の「あうんの呼吸」で「つまらん店だな」という意思が伝わったのだ。
 

 わずかなメニューから私が選んだのは「アジたたき&アジフライ定食」。大量のアジのタタキと、大量のアジフライがほぼ対等の立場でセットされてくる。タタキはまずまずとして、フライの油がきつい。「両者対等でなければいかん」という前提があるから、2ヶ月前のオバマとクリントンみたいな状況で全くラチがあかない。ヒラリータタキが存在を主張しても、オバマフライが濃すぎる油で激しく応酬してくるだけである。「見渡せば、ウニも、サザエも、なかりけり、浦の苫屋の夏の夕暮れ」。この寂しさ物悲しさは、百人一首に選ばれる価値は十分にありそうである。

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 仕方がないから、ビールは1本だけにして、日本酒に切り替える。そのとき、さらなる寂寥感が私を襲うことになる。つまり、パートのおばさまの「冷酒は常温になります」という厳かな宣言とともに、「キリッと冷えた日本酒」という最後に残っていた私の幸福は奈落の底に蹴落とされたのである。日本酒が常温、磯くさい磯料理なし、サザエなし、ウニなし、イカ丸焼きなし。おお。こんな学食みたいな店で、こんな惨めなありさまになるのなら、東京駅か新宿駅の近くで「さくら水産」に入った方がまだずっとマシだった。上の写真は、それでも意地で追加注文した「アジたたき単品」と「常温の日本酒」。下は「ケープ真鶴」の内部。これが午後1時半。「どうだ!!」と叫びたくなるほど、見事に客がいない。こういう店なら、存在しないほうがまだ親切なぐらいである。

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 帰りは真鶴駅まで路線バスに乗った。途中旨そうな磯料理店があるたびに目を背けた。旨い店は「三ツ石」の近くではなくて、もっと駅に近い漁港のそばにいくつか並んでいたらしい。ならば、あれほどうるさくしゃべりまくっていたタクシーの運転手がそれを教えてくれるべきではなかったのか。誰の別荘だとか、誰のマンションだとか、江戸城の石垣の石を切り出した場所だとか、そんなことはどうでもいい。ウニとサザエとアジとキンメと、そういうものを旨く酒にあわせて食べさせる店を紹介してこそ、観光地のタクシーの価値があるのだ。せっかくの人の休日を台無しにして、何が「ケープ真鶴」だ。何が「お酒は常温となっております」だ。何が江戸城の石切り場だ。ふん。大いに腹を立て、大いにムカついて、2度と真鶴なんか来てやるものかと心に誓いながら東京に帰った。

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 ここまで腹を立ててしまうと、4月のフェラーラからラヴェンナに向かう1年前のクマさんなんか、もうどうでもよくなってしまう。昨日最後に書いたように、彼は朝食の食べ過ぎでお腹の具合が悪い。やっとのことで危機を脱したとはいえ、ラヴェンナへの移動の途中の電車の中だって怪しいものだ。果たして無事に移動できたのかどうか心配は心配だけれども、話が尾籠になるから、あまりクマさんに接近して描写するのもかわいそうだし、第一下品である。
 

 ここは、危機脱出後の彼の出発点になるフェラーラ駅のホーム(写真上)と、午後の目的地であるラヴェンナ駅のホーム(写真下)と、その2点だけをブログに示し、その2点を結ぶ線分は読む人の心の中に描いてもらうだけに留めようと思う。大量のモザイクに彩られたラヴェンナ紀行は、明日のブログに譲りたい。

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1E(Cd) Casals:BACH/6 SUITEN FÜR VIOLONCELLO 1/2
2E(Cd) Casals:BACH/6 SUITEN FÜR VIOLONCELLO 2/2
3E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 1/2
4E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 2/2
5E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR 1/2
6E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR 2/2
9D(DvMv) ONE FLEW OVER THE CUCKOO’S NEST
12D(DvMv) CAST AWAY

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