Wed 080716 祇園「隠」 長刀鉾 八日市講演会 近江鉄道 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 080716 祇園「隠」 長刀鉾 八日市講演会 近江鉄道

 今日は話が時間的に前後する。先に書きたいことが夜にあったからである。夕方19時半から滋賀県の八日市であった講演会(これについては後述)が21時過ぎに終了。近江八幡の駅までタクシーで戻り、近江八幡から新快速に乗って23時に京都に帰った。
 

 夕食は、予約しておいた祇園南側の「隠(かくれ)」である。去年京都に泊まったときに「ぐるなび」で見つけた店で、いかにも敷居の高い「いちげんさんお断り」「会員制」のズラリと並ぶディープな祇園の真ん中で、珍しく深夜でも電話一本で予約できるのがありがたい。この点については一昨日の祇園北側「間(あいだ)」と同様である。ハモ落とし、鴨ロースと賀茂茄子、黒枝豆、麩饅頭の九条ネギあんかけなどで、ゆっくり酒を飲んだ。
 

 しかし「間」と違うのは、サービスが非常にいいこと。かゆいところに手が届くというのか、若い店員の皆さんが、とにかくいろいろ気がつき気を配って、すぐに声をかけてくれる。私は酸っぱいものが苦手。ハモを食べる時でも酸っぱい梅肉はイヤなのであるが、こちらから頼んでいないのに、黙ってお醤油も持ってきてくれたのが嬉しかった。
 

 ちょうどよく酔っ払ってきたのが、ちょうど日付が変わる頃である。なぜか表が騒がしくなって、気のせいか遠くからコンチキチンが聞こえてくる。祇園祭の宵山である。お、うお、と声を上げながら表に飛び出そうとすると、店主が顔を出して、すぐにサンダルを出してくれる。外の闇の中に、嬉しそうに団扇を振る観光客がたくさん出ていて、店の前の道の右側、八坂神社の方角から赤い提灯を先頭に「長刀鉾」が近づいてくる。

 
0154

 

0155


 仕事の関係で宵山を楽しむことはできなかったが、こういう場所で普通なら地元の人しか楽しめない深夜の長刀鉾を見る。見るというより、参加する。動き出した長刀鉾について、むしろ鉾の先に立って、闇の中を歩く。動き出すと意外に速い鉾の一行が追いつき、客はみな立ち止まり、見送る。男たちの「あー、どっこい」の声が闇に響く。鉾が行き、笛の一隊が続く。見るものたちも思わず真似をして「どっこい」「どっこい」を繰り返しながら後に続く。短い時間だったけれども、思いがけず嬉しかった。店の人々がみな外に出て、鉾を見送る様子もよかった。下の写真は「隠」である。

 

0156


 店を出て、八坂神社に寄ってから帰る。ただし、これは失敗。神社の境内の暗闇には「和牛焼き肉」「焼きトウモロコシ」「大判焼き」その他の営業を終えた屋台が放置され、生ゴミの匂いが漂い、祭りの舞台裏を見てしまった感じである。そういう不潔な匂いの漂う屋台の中に「大衆遊技場」という看板があった。大衆遊技場、おそらく射的か何かの店なのだろうが、余りにも昭和の匂いのきついその看板だけは楽しい記憶に残った。


 話はここから前後して、今日の午後に戻る。午後2時までホテルの部屋にいて、地下鉄で烏丸御池へ。六角堂頂法寺を見る。京都まで来て、しかも京都に5泊もして、飲食店の記録ばかりで寺院を一つも見ていないことに引け目があったけれども、まあこれで義務は果たしたというところか。知らなかったが「華道発祥の地」という看板があり、「池坊専水」云々の文字も見える。ほお。六角堂正面には、いかにも由緒ありげな、いかにも京都らしい刃物屋(金高屋)もあって、華道発祥の地という看板に偽りはなさそうである。六角堂の隣には「池坊ビル」もある。このビルのエレベーターを意味もなしに上がっていくと、ガラス張りのエレベーターから六角堂の六角の瓦屋根を上から見ることができた。

 
0157


 そこからすぐのところに、これまた由緒ありげな和菓子屋を発見。さすが京都。どの小路を入っても、由緒ありげな店がどこまでもずらずらずらずら並んでいる。和菓子屋は、店構えもいいし、店の前に並べた見本も旨そうである。講演会の前だから、酒を飲むわけにはいかない。和菓子なら問題ないだろう。

 

0158


 特に「ぜんざい」が旨そう。店の名物は「琥珀ながし」だというのだが、今日は朝食も昼食も食べていないから、これは何が何でも、意地でも、どうしても、ぜんざいを食べなければならない。中に入って、どうしてもぜんざい。しかしこういう店で名物を食べないと変態扱いされるから「琥珀ながし」も。運ばれてきたお盆は山盛りで、返って変態に見えたかもしれない。丁寧なことにお盆には注文していないのにサービスでサイダーまで乗っかっていて、まさに満艦飾である。

 

0159


 予想通り、ぜんざいは旨かった。崩れないように固めに煮た小豆の歯触りがいい。冷たく澄んだ蜜も甘過ぎない。名物「琥珀ながし」は、と言えば、あまりいろいろ言うと野暮になるだろう。見た目が涼やかなら、それはそれでいいのだ。見た目の涼やかさで汗が引いたら、味覚の方はぜんざいで満足すればいい。両方注文して、お盆を満艦飾にして、味覚と視覚を別々に満足させる。和菓子屋では、こうして大いに満足するという手もあるのだ。


 16時、京都駅から新快速に乗って近江八幡へ。近江八幡から私鉄・近江鉄道に乗って八日市まで。近畿の農村部をのんびり走る2両編成の鉄道だが、ではそういうローカル線で「豊かな人情に触れてほのぼのしたあたたかい気持ちになる」かというと、そうは限らないというところが今の日本の寂しい現状である。「暖かい人情」は、必ずしも田舎にあるとは限らないのであって、昭和の国鉄職員同様の横柄な対応に唖然としたのとほぼ同じイヤな経験を、こういうローカル線で体験させられることもあるのだ。


 近江八幡の駅で買った切符を、私は直後になくしてしまった。切符を販売機で購入したところをしっかり目撃していて、切符にハンコも押してくれた駅の職員さんに「さっきの切符をなくしてしまった。必要なら、すぐにもう1枚購入するが、どうしたらいいか」を尋ねた。若い駅員はニッコリ笑って「いや、大丈夫だ。買ったところを目撃したし、そのことを下車駅・八日市の駅員にも電話で連絡しておく」と答えてもくれた。ここまでは「心温まる経験」。さすが関西の人。素晴らしい人情。素晴らしい対応。こういうのんびりした田舎なら、ぎすぎすしないで楽しく過ごせそうだと思い、歴史の深みを感じる田園地帯の風景を心から楽しみながら、講演会場の八日市に向かった。


 ところが、である。そういう温かい気持ちのすべてを、八日市の駅員さんが台無しにしてくれたのだ。事情はとっくに伝達されているものと信じ、「電話連絡が来ていると思うが、さっき近江八幡の駅で400円の切符をなくしてしまったのだ」と申し出ると、50代半ばの、おそらくはこの小さな鉄道で人生経験のほとんどを培ってきたと思われる駅員さんは、客をどこまでも深く疑う最大の猜疑心をむき出しにして「あなたは本当に切符をなくしたのか」とニヤニヤ笑いながら尋ねたのである。その質問一つで、相手の一日が台無しになってしまうことをすべて承知の上で「本当になくされはったんですか?」と聞く。のどかな田園風景、素朴で誠実な高校生たち、同じ電車で八日市まできたおじいちゃんとその可愛いお孫さん。思わず微笑んでしまいそうな懐かしい風景と、それに触発されて温まった心。駅員さんの一言で、そういう温かさのすべてが吹き飛んでしまった。


 片道400円の運賃をごまかそうとするような客なのかどうかさえ判断できないのは仕方がないとして、近江八幡の駅からしっかり連絡がきているのにそういう発言をして客の心情を傷つけて顧みない駅員さん。そういう猜疑心で武装した駅員さんに日々大切な定期券なり切符を見せて通勤通学しなければならない地元の人々。そういうことを考えると、今日の講演会をするのも、何だかつまらない気分になった。


 それでも、主催してくださった東進八日市駅前校の皆さんのお蔭で、250名近い参加者があった。校舎スタッフと実行委員の生徒諸君に深く感謝する。野球部など、部活直後で疲労しきっており、早く夕食にありつきたいのに、それでも我慢して9時近くまで最前列で爆笑し続けてくれた生徒諸君が、これから本気で勉強して爆発的に成績を伸ばしてくれることを願っている。

 

0160


 というわけで、きょうのブログは冒頭の時間帯に戻ってきた。また八日市で講演会をやりたいし、来年やるからには去年今年と同じように大成功にしたい。ただ、近江鉄道には二度と乗りたくない。気分を直すために、祇園「隠」がいつも開いていてくれるとは限らないし、いつも長刀鉾が偶然通過してくれるとも限らないからである。



110G(TrAb) 080510 080520 ミラノ・クレモナ・マントヴァ・ベルガモ・トリノ・コモ
total m297 y637 d637