Thu 080710 空港のアナウンス ベラッジョへの旅 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 080710 空港のアナウンス ベラッジョへの旅

 今日の仕事は、松山からの帰京のみである。松山は快晴で、3日前の熊本よりもさらにいっそう真夏の思い切ってすっきりした暑さである。空港に向かうタクシーの運転手さんがまた親切で愛想のいい人で、気さくに自らの心臓病のお話などをいろいろしてくれた。松山11時のJAL便で帰る。羽田着12時半、リムジンバスは今日も唖然とするほど早く到着、西新宿まで40分しかかからない。


 ただ、空港のアナウンスというものは、なぜあんなにしつこいのだろう。東京の電車に勝るとも劣ることはない。羽田はまだマシなほうである。地方の空港になればなるほど、そのしつこさに磨きがかかる。「いっそう激しくなる」という意味の昔の言い方で、「しんにょうがかかる」「しんにょうがつく」という言葉があるが(しんにょうとは漢字の部首のしんにょうである)、地方空港に行くとアナウンスのしつこさにまさに「しんにょうがかかる」。まさに「のべつまくなし」に何らかのアナウンスが空港内に響き渡っている。


 「皆様の飛行機へのご案内が何時何分になるか」「保安検査場がどんなふうに混雑するから、どれほどお急ぎになってほしいか」「搭乗の最終案内中だからどういうふうにお急ぎにならなくてはならないか」「喫煙所を除いては終日禁煙だから(そりゃそうだろ)、それへのご理解とご協力をどれほどお願いしたいのか」「ただいま警戒警備を実施中で、それへのご理解とご協力をどれほど感謝しているか」。とにかく、何でもかんでもお願いしまくって、最後にほぼ例外なく「ご理解とご協力」を要請し、客が承諾もしていないのに、ついでに感謝する。そういう騒々しいお願いと感謝を、各航空会社が競うように、しかも何の脈略もなくアナウンスするから、地方空港は火事場か緊急事態の現場のようである。


 しかもそうやって「ご理解とご協力」をやたらにお願いし、勝手に感謝したあげくに、飛行機の遅れとか欠航については、木で鼻をくくったような対応をする。「使用機材の遅れで」遅れるから「お客様のご理解とご協力」が必要だ、というのである。「ご理解とご協力」はするけれども、乗客としても「どうしようもない都合」というものがあり、例えば講演会場で400人待っているから、どうしても時間通りに行かなければならなかったりすることは日常茶飯である。それでも「使用機材の遅れ」なら「当社の責任ではない」ので「お客様のご理解とご協力」が必要なのである。それでも「ご理解とご協力」をしてくれないと、いけないのは客であり、問題があるのは客のほうだと即座に決められ、窓口の対応は一変する。どう一変するか興味のある人は、一度「ご理解とご協力」を拒絶してみるといい。どういうことが起こっても、私は決して責任を取らない。


 特に最近騒々しいのは「優先搭乗のご案内」である。まあ「2歳以下の小さなお子様をお連れのお客様」「ご高齢のお客様」については優先が当然であって、別に何の問題も感じない。うるさいのは「何とかぷるぷるダイアモンド会員のお客様、何とかぷるぷるエメラルド会員のお客様、……」つまり「お偉いお客様優先」というJALのアナウンス。これに関しては、飛行機一機の発着について3回繰り返される。これではとても読書なんかに集中していられないのだ。


 アナウンスを広告宣伝につかうことは、公益企業としてふさわしくないのではないか。「何とか会員」のエリート様なりお得意様なりには、その優先搭乗について事前に案内を周知徹底させればそれでいいのであって、空港内にいる客全員に聞かせなければならないようなことではない。少なくとも欧米の空港では、この種の放送を聞いたことは一度もない。優先するなら、むしろ空港内の静寂を優先してほしい。何と言っても滑稽なのは、地方空港でこれだけ「何とか会員の優先搭乗」を宣伝しておきながら、その優先権を行使する「おえらいお客様」が一人もいなかったり、せいぜいで1人か2人だということ。うにゃ。静寂を大切に。航空各社のご理解とご協力が欲しいところである。

 

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 写真は、5月17日に私が雨のベラッジョで発見した高貴なネコである。陶器をたくさん並べた土産物屋の店先に座って、じっと雨を眺めていた。おそらく、ソマリである。薄茶色の長毛は少し雨に濡れていた。近所の見回りから帰って、一休みしていたところかもしれない。近寄っても、怖がる様子は全くない。この猫が「どうですか、入って見ませんか」と誘ってくれたので、傘をすぼめて店に入り、ニワトリの形の容器を購入。もともと何につかうのかよくわからないが、北海道のイタリア料理店で同じものをワインのデキャンタに使っていたのを見たことがあったので、私は日本酒を冷やして飲む徳利にしようと思う。

 

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 外に出ようとすると、さっきの猫が「どうですか、撫でてみませんか」というので、撫でてみることにした。ちょっと撫でると、しゃがんだ膝の上に上がってきて、私の足に立てたツメが痛い。「どうですか、重いですか」「重いねえ。ニャゴロワとナデシコを足したよりまだ重い」「高級猫ですから」「ニャゴとナデは、庶民猫でねえ」「ほお、庶民猫。それじゃ軽いでしょう」「ナデシコは、キミの半分もないよ」「おや、そりゃたいへんだ。そんなに軽いと、役に立たないでしょ」「キミは何の役に立つの」「マットの、重石」「おお」。こういう会話を楽しんでいたら、周囲に観光客が集まって眺めていた。

 

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 と、話をいきなりベラッジョから始めたけれども、この船旅は長かった。大雨のコモ湖、重く垂れ込める雲、暗い山と暗い街、ここがフィヨルドの真ん中だといわれても信じてしまいそうな北欧的な雰囲気の中を、ヨーロッパ中から訪れたごくわずかな観光客とともに2時間。船は途中5度ほど小さな船着き場に止まる。有名なVillaがあれば、そこでたくさんの客が降り、その代わりにたくさんの客が乗り込んでくる。Villa CarlottaのあるTremezzoなどでは、大袈裟にいえば客のほとんどが入れ替わってしまった。


 大雨なのに、「見学」ということになると欧米人はきわめて熱心なのである。特に、英語を話す人たちの熱心さは、他を圧倒している。イタリア語を話す家族が子供を先頭にみんな口を開けて居眠りしているのに対し、英語国民は違う。彼らはとにかく何事かを学んでいたいのであり、学ぶ機会があればすかさず質問し、すかさず行動し、雨であろうと風であろうとものともせずに、どんなに肌寒い中でもTシャツ一枚で恐れずに出かけていく。

 

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 唯一だれ一人乗り降りしなかったのは、レストランが一つポツンと存在するだけの「Isola Comacina」。コモ湖の島はこれ1つだから、単にIsolaで通じているようだが、だれも船から降りないのを確認しても、レストランの人たちはあきらめの笑顔で船を見送った。学ぶこと・自分を高めることがなければ、英語圏から訪れた観光客は積極的に行動しないのだ。しかも、大雨の日曜日。レストランだって別に無理して働く気もないだろう。

 

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 ベラッジョ到着15時。上の写真は船からのベラッジョ遠景。雨は降り続き、船を降りても何もすることはない。まあ、レストランにでも入るか、ゆっくり赤ワインでも飲むか、と考えて坂道を上る。写真は、その坂道。

 

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 写真では分からないが、この坂道はとても雰囲気がよくて、出来ればここに一泊して帰りたいと思うほどであった。いや、1泊でなくてもいいかもしれない。夏休みを3週間ぐらいとってベラッジョにずっと滞在し、今回行くことの出来ないコモ湖北部をのんびり歩くほかは、それこそ「なんにもしない」をする。雨が降っていてよかったような気がする。ベラッジョは、小さなDuomoも、ひなびたレストランも、大きな猫も、みんな雨の中で傘をさして見るのが似合っているように思った。


1E(Cd) George Benson:LIVIN’ INSIDE YOUR LOVE
2E(Cd) George Benson:LOVE REMEMBERS
3E(Cd) George Benson:STANDING TOGETHER
4E(Cd) Chicago:CHICAGO
5E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
6E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
7E(Cd) Baumann:MOZART/THE 4 HORN CONCERTOS
10D(DvMv) OCEAN’S ELEVEN
13D(DvMv) OCEAN’S TWELVE
total m133 y473 d473