Mon 080623 「あまい!!」について グラツィエ教会へ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 080623 「あまい!!」について グラツィエ教会へ

 これほど梅雨らしい梅雨も珍しいような気がする。来る日も来る日もハケでビッショリ雨水を塗りたくる類いの雨が降り続いて、実に梅雨らしい。これで「うっとうしい」とかウンザリ顔をしていてはいけないのであって、梅雨は梅雨らしくて、それでたいへんおめでたい。何より心配すべきなのは夏の水不足。もう15年も前、関東地方で渇水があって、東京の上水道が群馬のダムで補えなくなり、臨時に「渡良瀬遊水池」の水を使った。あの時の水の泥臭さ・カビ臭さを忘れてはならない。炊きたてのゴハンから立ち上るカビ臭い香り、いれたてのお茶を口に運んだ瞬間の泥臭さ。あれは忘れがたい。梅雨なら、降ればいい。べちゃべちゃでも、にちゃにちゃでも、構うことはない。
 

 午後から東進・吉祥寺1号館で授業収録90分×2本。「B組」は夏期講習まで収録が済んだからいったん一休みして、今週は高校1年生用の「特別招待講習」5回分を収録する。とにかく「B組2008年版」が絶好調なので、このまま休まずに最後まで収録を終えたいのだが、今週だけはこの「招待講習」の企画につきあうことにする。「招待講習」は、以前収録した「高校2年生用」が非常に出来がよく、ほぼ定番授業になりつつあるから、より低学年用のものも企画してみようということに決まったのである。本日2本収録を終えて、やはり好調である。今年高校に入学したけれども、今ひとつ調子に乗れない、スタートからどうも出遅れてしまった気がする、そういう諸君には、ぜひ受講してほしいと熱望する。
 

 書けば書くほど、「オペラ寿司」の元の店長の転勤が惜しい気がする。彼は、何よりも押し付けがましくないのがよかった。料理を出されて「おいしいでしょ」と聞かれるのは、相手がプロの場合には面倒なのだ。そりゃ、そんなの、「当たり前じゃん」か。ポテト料理を出して「ホクホクでしょ」とか、天ぷらが出てきて「サクサクでしょ」とか、ステーキを焼いて「肉汁がじゅわーっ、でしょ」とか、いちいち客の返答を求めるのは、おかしいのだ。
 

 元店長は、そんなことは言わなかった。それが嬉しかった。このごろの寿司屋には、やたらに「あまいでしょ」「あまいでしょ」とくる職人が多い。刺身をいろいろ出して「あまいでしょ」だなんて、聞く方がおかしい。黙って口に入れて、黙って咀嚼して、黙って飲み込んで、旨ければ旨いし、旨くなければ旨くない。それでいいので、食べ物を前にして「いっちゃっていっちゃって」「どうなのよどうなのよ」「あまいでしょ」「まずさくっという食感があって、そのあとじわっと肉汁が」みたいなのは、プロの職人からみたら、たいへんな侮辱であり屈辱のはずである。
 

 第一、寿司屋が魚について「あまいでしょ」はおかしいのだ。さかなを口に入れて、いきなり「あまい」などという馬鹿げた発言があるが、正しくは「かんでいるうちに、ほのかに上品な甘みも感じる」であって、タイやヒラメやブリやカニを口に放り込んで、第1声が「あまい」というのは、残念ながら間違い。そんなに「あまい」「あまい」を連呼されると「寿司食べるのやめて、アメ玉でもなめてたら」と言いたくなる。最近はもう正気の沙汰とは思えないようなTV番組もあって、ワサビをすりおろして口に入れた瞬間「あまい!」とか、ラー油を口に含んで「あまい!!」とか、キャベツもモヤシもタマネギもレタスもタコもイカも霜降りの松阪肉も、とにかく何でもかんでも、口に入れていきなり「あまい!!!」らしいのである。それは、味覚の異常。医者に診てもらうべきだ。そのくせ酒になると、ワインでも日本酒でも、グルメさま全員が口を揃えて「甘いのはダメ。カラクチ!!」とおっしゃる。聞いていて、なんだか変な感じである。


 ナデシコさんは、夏休みのプールシーズンに備えて、ネコカキの練習に余念がない。スリムネコだから、ヤマトナデシコの水着姿にも自信ありなのだ。このシマシマのトラ柄水着なら、たとえビキニでなくても「ビーチの人気を独り占め」も夢ではない。

 

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 一方のニャゴロワさんは、盆踊りには一区切りをつけて、今日からは武道の鍛錬らしい。さかんに「ニャゴロワキック」を繰り出している。世界の悪者ヤッツケロ、世界の怪獣ヤッツケロ、ということなら大賛成である。20本の鋭いツメも健在。得意ワザは「ツメたてぶら下がり」。これに勝てる勇者が名乗り出ることまずありえない。

 

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 5月13日は、午前がミラノ市街、午後からまた電車に乗ってブレーシャ小旅行である。


 ミラノ市街については、特に目新しいものはない。Duomoにはもう何度も入っているし、昨年はDuomoの屋根に上がって、雪の残るアルプスの姿に歓声を上げたり、非常識なほど飾り立てた彫刻の一つ一つを間近に見たりもした。スフォルツェスコ城も、何度出たり入ったりしたか忘れるほどである。


 しかし、まだダヴィンチの「最後の晩餐」を見ていない。電話で予約が取れたので、10時15分から30分まで、15分だけだが、きわめて少人数で(25人だけで)「最後の晩餐」を拝むことが出来る。昨日のオリーブ一瓶とビール4缶がまだお腹の中でタポタポ揺れていたが、朝9時にはホテルを出て、地下鉄2号線でチェントラーレからカドルナへ。最後の晩餐のありか「グラツィエ教会」Chiesa di Santa Maria delle Grazieに急いだ。


 ところが、グラツィエ教会がなかなか見つからない。昨年4月にミラノに立ち寄ったとき、夕方5時過ぎの散歩でグラツィエ教会を見つけ、まだ記憶に残っているだろうとタカを括っていたのだが、それが甘かったのである。ちょうど地下鉄から大量の小学生が先生に連れられて降りてきて、しばらく一緒に歩いていったのがまずかったかもしれない。道に迷ったらしく、ガイドブックにも出ていない大学構内に出たり、全く別の教会前に出たり、信号に引っかかったり、同じ信号を何度も何度もわたったり、汗を拭ったり、ガイドブックで顔を仰いだり、そういうことをしているうちに9時45分を過ぎ、50分を過ぎ、10時を回りそうになった。


 観覧の15分前、10時ちょうどまでに教会窓口に到着しないと、電話予約が取り消されてしまう。この予約が非常に貴重なもので、インターネットでの予約だと5月6月7月8月どころか、10月まで見ても完全に満員で締め切りになっているから、電話でOKの出たこの予約の貴重さ重要さが分かるというものである。おおいに焦るところだが、さすがにここはイタリア。公務員の方々はさておき、道行く人は親切きわまりない。道を掃除中のエディコラのオジサンも頑張って教会のありかを教えてくれたし、いかにもエリートという感じで向こうから颯爽と歩いてきたアラフォー(アラフィフかも)のスーツバッチシのお姉さんも、素晴らしい英語で優しく簡潔に教えてくれた。

 

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 グラツィエ教会到着、9時59分。ひえ、間に合った。間に合ったことだけで十分感動である。観覧者は、3割が日本人、1割が韓国の人、残りが欧米人。いっしょに入った25人はとても感じのいい物静かな人たちで、そのことにも感激。で、15分間、静かに静かに、じつにしっとりと、押し合いへし合いしてはるか彼方に見えたような見えなかったような気のする日本の美術展とは全く異質な、素晴らしい美術体験をする。むしろこれは宗教体験に近いかもしれない。ただし、肝腎の「最後の晩餐」は、本物を間近に見たのだから、本来ならブルブル全身うちふるえたり、両手を組み合わせてワナワナさせたりしなければならないのかもしれないが、映画や画集の写真で鮮やかに見すぎていたせいだろう、ショッキングなほど古びていて、そのあまりの古び方のほうにショックを受けた。予備知識があればあるほど、そのぶん素直な感動のジャマになるという、ありふれた実感だけが残った。

 

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 写真は、グラツィエ教会の内庭。「最後の晩餐」を見た後でなければ立ち寄れないはずの内庭である。激しい宗教体験のあとの、すうっと脱力していく心地よさの中で見上げるべき光景かもしれない。

1E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 1/5
2E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 2/5
3E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 3/5
4E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 4/5
5E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 5/5
6E(Cd) Sinitta:TOY BOY
7E(Cd) John Coltrane:IMPRESSION
10D(DvMv) GLADIATOR
total m253 y253 d253