Sat 080621 下北沢講演会 ベルガモ旧市街 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 080621 下北沢講演会 ベルガモ旧市街

 昼夜逆転は相変わらずで、とりあえず今週はこのままで行くことにする。午前から午後にかけて、久しぶりに参考書執筆に熱中する。現在「仮定法」から「関係詞」の章が進行中。「6月中には上下巻のうち上巻の原稿を完成」の目標が達成できるかもしれない。ニャゴロワも聞き耳をたてて、私の仕事ぶりをしっかりと「耳で監視」している。

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 午後7時から、下北沢で講演会。例によって雑居ビル(大丸ピーコック)の4階だが、ゴチャゴチャ入り組んだ下北沢の街ではおそらく「1番立派な雑居ビル」の中だから、十分満足すべきなのだと思う。完全に満員の大盛況で、会場は机を入れる余地がなくなり、机をすべて撤去しイスだけを並べて、2時間。受講者としては「机なし」の2時間はつらすぎたかもしれないが、大いに盛り上がった。開始1時間前に雨が降り始める悪条件の中、これだけたくさんの受講生を集めてくれた校舎長・校舎スタッフに感謝。
 今日最大の感動はその直後に待っていた。会場のすぐそばで、昔生徒だった人が眼科クリニックを開業しているのを発見したのだ。迷惑がかかるといけないから、まだそのクリニック名をここに書くことはできないが、クリニック前に張り出された彼の顔と名前は、間違いなく遠い昔私の生徒だった男性である。テナント料の高額な下北沢の、しかも駅の目の前で、立派に開業医になっていることに鳥肌がたつほどに感動した。偶然の発見だが、偶然というのは、恐ろしいものだ。
 彼を教えたのは、はるか昔のことである。彼にとっても私にとっても最悪の時期だったかもしれない。当時私は29歳。電通をあっという間に辞めて、することがないからアルバイト気分で勤めはじめた小さなチェーン塾の教場長。これまたあっという間に「教場長」にはしてもらったが、このチェーン塾は私が教場長を勤める埼玉県東部のその街(越谷市せんげん台)では全く無名で、生徒もうまく集まらず「いつ辞めるか」それだけを考える毎日。いま考えると、30歳直前の私はそれなりに悲惨な心境だったのだ。
 一方彼はもう30歳を過ぎていたと思うが、医療関係の技師を退職し、あきらめきれない医師の夢を追って、その小さい塾に生徒として入学し医学部への受験勉強を開始。埼玉の県立高校受験の中学生が主体の塾だったから、高校生はごくわずか。ほんの申し訳程度しかいなかった。高校3年生は全部で18人。彼はその18人の中に混じって、講師たちの罵声を浴び、周囲の冷たい視線を浴びながら、それにめげずに受験勉強を続けたのである。私は「教場長」だから、直接授業をすることはなかったが、彼とはよく話をした。深夜に紙くずを丸めてボールを作り、エレベーターホールでキャッチボールをしたこともある。もともと医療技師だから、化学の専門家でもあり、理系高3生の化学の勉強を手伝ってもらったりもした。
 その後に私は河合塾と駿台の英語講師になってそのチェーン塾を離れたから、彼の医学部への夢がどうなったか最後まで見届けることはできなかったが、なかなかうまくいかずに苦労していることは耳にしていた。「30歳を過ぎてから、医学部に再挑戦」というのは、予備校の世界ではよくある話である。実際、代ゼミ時代に担当した医学部クラスでも、同じようなケースを何度も見かけた。そのうちの一人は山梨の医学部を目指して社会人のまま頑張っていたが、結局あきらめてしまった。はるか年下の若々しい男女に囲まれ、兄や姉のように慕われ、いつの間にか彼ら・彼女らの世話に夢中になって、自分の勉強が疎かになりやすいのかもしれない。
 しかし、下北沢の彼は夢を実現したのである。今日はクリニック前に張り出された写真と名前を確認して感動に震えただけだったし、眼科の先生のお世話になる機会は今のところなさそうだが、下北沢なら私の家からは徒歩圏もいいところ。近いうちに実際にお会いして、お話を伺いたいと考えている。同じように夢を諦めずにチャレンジし続ける人たちに、参考になるアドヴァイスがいただけると思う。
 感動にブルブルしながら、安い飲み屋で乾杯したくなり、下北沢南口を左に降りきったところにある「土間土間」に入る。感動が大きいほど、安い飲み屋がいい。グルメにならなければならないのは、他に感動が見当たらないときだけである。
 「土間土間」は、「いかにも下北沢」という感じの「大学生になりたて」または「社会人になりたて」のホヤホヤした若い人でいっぱいで、私のような中年のオヤジがいると、ひどく浮いてしまう。「浮きすぎ」で店の人も迷惑するほどかもしれない。それどころか、客の中にもアルバイトの店員さんの中にも明らかに私を知っている人がいて、つまり私の授業を受けたことのある元生徒がたくさんいて、彼らの視線がとても気になるのだが、だからこそ立ち上がって大演説をしたくなる。「いいか、いま、すぐそこで発見したのだが、君たちと同じ私の元生徒で、30歳過ぎても医学部に行く夢を諦めずに、とうとう開業医になったヤツがいて、すぐそこでクリニックをやっている。これからみんなでクリニックに挨拶にいかないか」そう叫び、ビールで乾杯するのも悪くないだろう。
 しかしまあ、外は梅雨の雨だし、今夜は風も強くて外に出ればビショビショだろうし、大人しくすることにして、ビール2杯と日本酒3合を空っぽにし、ホッケの開き・軟骨カラアゲ・串揚げ数本・おにぎり2個(梅とシャケ)を平らげ、すぐ隣のラーメン屋「麺僧」でラーメンと餃子をむさぼり、ただでさえ大きなお腹をさらにパンパンにして、午前12時過ぎにタクシーにて帰宅。ニャゴロワもナデシコも呆れ顔で待っていて「あらら、つきのわさん、お仕事じゃなかったんですか」とのご挨拶だった。

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 今日についての記事が長くなってしまったが、5月12日のベルガモ旅行の続きも書いておかなければならない。ベルガモ旧市街はとにかく迷路のようで、幅の狭い暗い街路、道の両側から迫る高い壁、街の雰囲気は昨年4月に訪ねたシエナの街とよく似ている。しかし5月中旬の午後の日光はきつく、しかも坂道だらけ。どこに行くにもアップダウンがきついし、1度道を間違えて山を大きく下ってしまい、また徒歩で山の上まで登るはめになったりで、一気に体力を消耗した。
 何と言っても、たったいまいい気持ちで平らげた赤ワイン&白ワイン合計1080mlが、まだ胃のあたりで生温いお風呂のお湯のようにトップリトップリ揺れている。ワインなどというものは、目の前のワインクーラーの中で冷えているときが花、ワイングラスの中で冷たく光っているときが花、舌の上で香っているときが花なのであって、胃袋などという愚にもつかないところへ入り込んだあとは、後悔の種になるばかりである。

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 この状態で、もし広場の塔に登らなければならなくなったら、場合によっては命に関わる問題だったかもしれないが、神様が救ってくれたのか、月曜日はこの街の塔はお休み。こりゃ助かった、ま、日頃の行いですな。安堵のせいで吹き出た大汗を拭い拭いしながら、Duomoに入ったり、Duomoから出たり、その裏にどこまでも続く裏道を見当もつけずに歩き回ったり、広場の向こうの土産物屋や編み物屋の店先を覗いたり、日頃の行いに自信がある日本の中年オヤジは、神聖なベルガモの旧市街を満喫したのであった。

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 過去に想像を巡らせるのは、この酔っ払いの得意技。ごく平凡な街角でも、別に有名というわけでもない小さな寺院の脇に立っても、見栄えのしない噴水のしぶきを浴びながらでも、400年も500年前の街のざわめきを鮮やかに聞き、店や屋台やこぼれた酒の匂いを吸い、塔や広場や馬車を照らす午後の日の光を感じることは自由自在なのである。酒が入っていればいるほど、想像は際限のない遠い昔に広がっていく。それが楽しいから、胃袋でトップリトップリ揺れていても、揺れるワインを許す気になれるのだ。

1E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 1/6
2E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 2/6
3E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 3/6
4E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 4/6
5E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 5/6
6E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 6/6
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12D(DvMv) A ROOM WITH A VIEW
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