Thu 080619 庄司薫 ベルガモ・サンヴィジリオの丘 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 080619 庄司薫 ベルガモ・サンヴィジリオの丘

 昼夜の逆転は解消されないままもう1週間になるが、こんな年齢になってこういう大学生のような生活が許されるのも珍しいだろう。しばらくは、無理せずにこのままでいいかとも考えつつ、午前から午後にかけては予備校関係の仕事(「B組」の確認テストをチェック・テキスト「はしがき」執筆など)をこなし、午後から夜にかけては読書と執筆で大人しく過ごした。
 

 読書は3冊。40年前に芥川賞を受賞した庄司薫の文庫本を、本棚の一番右側から引っぱりだしてみたら、懐かしさのあまりそのままその続編2冊も読んでしまった。秋田市土崎港の「金子書店」で中学3年生の春休みに購入。中央公論社から中公文庫が創刊された直後で、谷崎潤一郎訳の源氏物語が文庫で読めると評判だった。当時は文庫本と言えば岩波・新潮・角川ぐらい。講談社と中央公論の文庫が創刊されてまもなくの頃であり、その後の文庫・新書創刊ラッシュの先駆けとなった。
 

 私たちの世代で、中学・高校生時代に庄司薫の影響を受けなかった人間を見つけるのは難しいぐらいだろう。高校にはまだ「文芸部」というものが存在し、近い将来大作家になるつもりの高校生たちが、ほぼ例外なく庄司薫の文体をほとんどそのまま真似た小説のようなものを、次から次へと書きまくっていたのだった。
 

 しかし、それもすでに歴史の一部分に過ぎない。今はもう「庄司薫」は「そんな作家もいたような気がする」という感じ。舞台になっている1969年は、メキシコオリンピックの翌年である。数直線上に書いてみると実感するのだが、そこから左側に太平洋戦争敗戦の1945年をとり、右側に2008年をとると、線分の長さの比はほぼ1:2。庄司薫の時代ははるかはるか昔、日本史の教科書をめくってみても、現在から振り返れば、驚くほどのページ数をさかのぼることになる。ましてやナデシコが知っているわけはない。

 

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 いかにも賢そうな顔で「では、私も読んでみましょうか」と言ってはくれたが、時代背景が難しいから、ナデシコ君、君には無理かもしれないねえ。文学には興味のなさそうなニャゴロワ君、君は、テレビの前でゆっくり寝てなさい。

 

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 5月12日、バール前から道路を反対側に横切って乗り込んだバスは大混雑。チケットに刻印するのにも苦労するほどだった。同じバス停から乗った日本人男性のカップル(どう見ても男性カップルだったのだが)にバスチケットの買い方を尋ねられたが、クレモナ・マントヴァ・ベルガモを通じて、日本人観光客に出会ったのはこの1組だけ。いかに日本人の旅がフィレンツェやヴェネツィアやその他の大都市に集中しているかが分かる。


 ベルガモ・アルタの終点でバスを降り、そのまま観光地の中心に向かう人々とは別れ、さらに山の上をめざす。ここから先はガイドブックにも掲載されていないが、もう1本のフニコラーレがあって、中世・ルネサンス期の城塞跡・サンヴィジリオの丘までいけるのである。ところがまたフニコラーレは「運休」。あきらめようかとも考えたが、大きなカメラを持った(おそらく)イギリス人男性が1人、笑顔で追い越していく。その楽しそうな様子につられて、もうバスも通らない急な坂道を20分ほど、汗を拭き拭き、水を飲み飲み、ゆっくりと登った。写真はその途中から撮影したベルガモ・バッサの風景。

 

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 城塞は、フニコラーレの上の終着駅からさらに徒歩で15分ほど登ったあたりにあって、360度の眺望が楽しめた。昨年4月にボローニャのサン・ルーカに登ったが、風といい光といい山の近さといい、あの風景とそっくりである。違いは、人家が近くにたくさんあって、生活の匂いがあること。どちらが良くてどちらが悪いというのではなくて、人家があり、犬が吠え、あばれ、犬をなだめる声が低く響き、洗濯物がはためき、庭園があり、庭園には人の育てた豊かな春の花が咲き乱れ、昼近くなってランチの準備の気配がするのが、サン・ルーカの聖域の風景との違いである。


 城塞から下りる道で、フニコラーレが試運転しているのを発見。赤と黄色の可愛らしい車両から、その可愛い車両に似つかわしくないオジサンが顔を出して、しかしオジサンなりの可愛い顔でニヤニヤしている。イタリアのオジサンが可愛いのは、このニヤニヤした恥ずかしげな顔である。日本のオヤジ雑誌の表紙を飾る「ミラノオヤジ」などという代物は正直言ってそんなに見かけることはないし、そんな「デニムジャケット」「革パンツ」「ゼンマイオヤジ」「ちょい」「若ゾーにカツ」みたいな面倒なオジサンは、たとえ見かけてもきわめて少数派である。田舎臭いダサイオヤジの、心から恥ずかしげなニヤニヤ笑いの可愛さこそが「ミラノオヤジ」の真骨頂ではないのか。


 フニコラーレの山上駅あたりにちょっとした集落があって、小さな教会と、いつ営業しているのか分からない閉まったままのピザレストランと、ちょっとオシャレなレストランが並んでいる。時計を見ると11時半。「ちょっとオシャレ」な方のレストランがそろそろ開店の準備を始めており、白い大きなパラソルの下に、気持ち良さそうなテーブルクロスを、従業員みんなでテーブルに広げている。すでに2組か3組の客がテーブルについて、ワインやビールを前にいかにも楽しそうにあたりを見回している。店の前には「ミシュランで1つ星を獲得」と貼り紙をして、得意気である。日本のミシュランの星みたいなインフレではないはずだから、この星はおそらく本物だろう。


 ちょっとためらってから、この店で昼食をとることに決めた。女性従業員がすぐに寄ってきて「英語は話せない」「イタリア語のみ」と告白。こういうのが嬉しいのだ。だいたい「英語で十分だ」という発想ほど旅行をつまらなくする発想はない。しかし、ミラノでもローマでもベルリンでもパリでも、こちらが頑張ってイタリア語ドイツ語フランス語を話そうとしているのに、間髪を入れずに英語に言い直され、あっという間に英会話の授業みたいになってしまう。


 現地の言葉しか通じなくて、四苦八苦してやっと手に入れた食べ物や旅館の部屋こそが、旅の神髄である。今回の旅行は、ホテルでも(私の発音「だけ」はきわめて滑らかなせいで)イタリア語ばかり。そのミラノから各駅停車で1時間半、さらにフニコラーレ2本分の距離と高低差で市街地から遠く離れて、ついに手に入れた「イタリア語しか分からない」の一言である。これは嬉しい。やっと一人前の人間扱いされた感覚がある。写真は、そのレストランを下から撮ったもの。店の名前は、あとで調べたところではBaretto di San Vigilio。有名店であるらしい。

 

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 「食事か、それともドリンクだけか」の質問に、大いに頑張って「Posso mangiare?」と聞いてみる。こちらは「食事ができますか」と聞いたつもりだが、正直いってこれは明らかに変な客だ。いきなり「食えるのか」。しかも日本人なまりで実にゆっくり「くーえーるーのーかー?」とニヤニヤされても、困るというより変態の襲撃かと思うだろう。相当困惑した顔で「食べられるが、12時まで待ってもらわなければならない」と答えた。「それはかまわない、とりあえず赤ワイン」というわけで、何はともあれドリンクの客のテーブルにつき、グラスの赤ワインと、それにくっついて出てきた大量の付け合わせ(これだけで十分、腹一杯なるほどのポテト・ピクルスその他のスナックなど)で12時までの時間をつぶした。

1E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.8
2E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.9
3E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.10
4E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.11
5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10
8A(Rr) 庄司薫:赤頭巾ちゃん気をつけて:中公文庫
11A(Rr) 庄司薫:白鳥の歌なんか聞こえない:中公文庫
14A(Rr) 庄司薫:さよなら快傑黒頭巾:中公文庫
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