Mon 080609 パラグラフリーディング ミラノ到着 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 080609 パラグラフリーディング ミラノ到着

 ニュースは秋葉原事件一色。CNNに回してみたら、CNNのヘッドライントップも秋葉原事件。日本の話題がCNNのトップにくることは1年に一度あるかないかという頻度だと思うが、それがこんな悲惨で陰惨な事件になってしまったのは余りにも悲しいことである。そのせいか、夕方5時過ぎから東京ではしきりに稲妻が走り、激しい雷雨になった。


 私は午後1時から5時まで、吉祥寺で授業収録2本。現在、特単「B組」の2008年版を収録している。「B組」はこの2年間、文法の発展問題を中心にしていたが、今年の新版では長文読解の基礎的な問題をたくさん扱っている。長文読解の決定版講座になりそうである。センターレベルの問題を35問集めて、一昔前に流行した言葉で言えば「正統派」「正攻法」で解説。こういう解説の仕方には、なるほど面白みはないが、中級レベルの高校生が確実に実力をつけるのには、おそらく最高の方法なのだ。


 苦々しい記憶をたどれば、10年前、駿台から代ゼミに移籍した頃の私は「パラグラフリーディング」を売り物にしていた。パラグラフリーディングの本も3冊書いたし、そのうちの1冊は学習参考書としては異例の売れ方をした。発売当日に初版1万部が売り切れたし、1年で5万部以上の売り上げがあったはずだ。パラグラフリーディングを掲げた私の代ゼミでの単科ゼミ「A組」は、代々木本校だけでなく、横浜・名古屋・大宮の生授業すべてが締め切り。サテラインゼミも自身信じられないほどの締め切り講座連発だった。


 そのことが、他の先生方の反感を招き、そういう先生方のファンだった生徒たちが私を敵視するようになり、今井派vs反今井派に分かれての激しい対立が始まり、対立はののしり合いになった。今みたいに大学入試が穏やかになってしまい、受験生もみんな大人しくなった状況では理解しがたいかもしれないが、あの対立が、その後の私が疲れきってしまった原因なのである。いま思えば、懐かしいバトルだった。


 2008年の段階で、大学入試は10年前とは比較にならないほど易しくなった。10年前、代ゼミ代々木校の早慶上智クラス(LE)は250人×5クラスぐらいあったのだ。早稲田だけのクラス(LW)だって4クラスはあったし、私大文系クラス(LG)なんか、何クラスあるか誰も知らないぐらいだった。しかもどのクラスも申し込み開始当日の午前中で満員締め切り。「団塊ジュニア」の嵐で、どこの予備校もパンパン。開校2年目ぐらいの、名前も聞いたこともない新興の予備校がテレビコマーシャルをバンバン入れて、そのCMソングがヒットチャートに乗るというありさま。受験生がとにかくびっくりするぐらいにたくさんいて、中堅大学の偏差値だって軽く65を超えていたし、田中美佐子主演のドラマ「予備校ブギ」が、どこの局だったか、在京キー局のゴールデンで平気で視聴率競争をしていた。


 いまでは、そんな予備校の大盛況はすでに「そんな時代もありました」という伝説にすぎない。そのぐらい、大学入試は簡単になってしまった。英語の長文読解問題だって、その解き方について特に激しく論争するほど高級なものでもなくなった。10年前、たとえば慶応SFC1996年か1995年の問題を、試しに見てみればいい。当時、アメリカ人の大学院留学生がSFCの問題を見て「crazyだ」と叫んだという伝説さえ存在する。


 それがいまや、早稲田・慶応の問題でも、中級レベルの実力さえあれば、丹念に1行1行しっかり訳しながら読み進みさえすれば、おそらく確実に合格点がとれる。「変なこと」「ずるいこと」「危険なこと」を全くしなくても、ごく普通に、合格に結びつく得点が稼げる。ならば、普通にしっかり読む力さえつければそれでいい。いま収録中の「B組」はそういうスタンスにたって、じっくり1行1行読み進める授業である。ワンランク上の「A組」も同じ。ひたすらじっくり読み進めるのが、今の入試には最も効果的なのだ。他の予備校でも、英語の授業はみんなそうだろう。未だに「正当派」「正攻法」「へんなことはしない」とか、余りにも当たり前のことを頑張って大声で叫んでいる先生もいらっしゃるかもしれないが、まあ、それは当時の後遺症なのかもしれない。確かに眠い授業が多いだろうが、眠くなったら、ニャゴロワ&ナデシコのように、しっかり寝るしかない。居眠りの見本は、以下の写真である。もちろんB組は、絶対眠くなったりしないように工夫を凝らしているけれども。

 

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 5月10日、日本酒とワインの酔いからさめると、すでに離陸してから7時間が経過している。飛行機はWestern Siberian Lowland上空を飛行中。オビ川を過ぎ、ウラル山脈を越え、飛行経路を示すディスプレイにはノバヤゼムリャが映っている。前代未聞によく眠った。エコノミークラスの殺人的に狭い3人掛で、私は5時間か6時間、前後不覚に眠り続けたことになる。映画2本分まるまる、このほとんど直角につっぱらかった姿勢で眠りつづけたというのは、ほとんど奇跡に近い。


 しかし実際には、ここからロシア西部を横断してアルプスを越えマルペンサ空港に着陸するまでが実に長いのである。着陸前の食事は、カラカラというよりボソボソの丸パンと、申し訳程度のハムなど。パンがボソボソすぎて喉にひっかかり、はりつき、これを飲みくだすのにどうしても水分が必要になる。ワインが欲しいけれども、やっぱりアテンダントのガードが固くて、プラスティックのコップ1杯以上は「絶対に与えない」姿勢がきわめて明確である。日本の小学校の給食を、ぜひ見習ってほしいと訴えかけたくなる。


 確かに座席にはビデオもあればゲームもあり、暇つぶしには事欠かないはずなのだが、コントローラーのラインが壊れていて固定できず、10分も使っていると非常識なほど肩が凝る。そうなると、持参した本も読む気になれない。飛行機を降りるまでの残りの時間、口を半開きにして、口で息を吸ったり吐いたりして、貧乏ゆすりをして、周囲のオバサマズ&オジサマズのはしゃぎぶりを眺めて、一言でいえば5時間を完全に無駄遣いした。


 ミラノ・マルペンサ空港到着17時過ぎ。ほぼ快晴。それほど暑くもなくて、東京の感覚とほぼ同じというところか。入国審査は、おなじみ、全くやる気なし。日本人男性のパスポートなんか、開きもせずに投げ返してくる。もちろん、それでいい。それ以上いろいろ興味を持ってほしいという趣味は、少なくとも私には全くない。


 マルペンサからは、いつもならマルペンサエキスプレスに乗ってミラノ市街に入るのだが、今日は空港を出てすぐのところからバスを利用した。マルペンサエキスプレスだと、到着が北ミラノ鉄道のカドルナ駅になり、そこからホテルまでまた地下鉄に乗らなければならない。今回泊まるホテルはミラノ中央駅の真横だから、カドルナでは不便なのである。料金面でもバスがいい。バス7ユーロ。エキスプレス11ユーロ。600円も違うのに、不便な方を使うのは馬鹿げているだろう。


 第1ターミナル発車の段階で、バスの乗車率は3割ほど。これはいい、とほくそえんでいると、5分後、すぐに第2ターミナルに停車。ここでEU圏内の乗り継ぎ客がどっと乗り込んできて、車内は完全に満席になった。うひゃ。こうなれば、車内は喧噪の渦である。ギリシャなまりのイタリア語、イタリアなまりの英語、ロシア語に似た東欧圏の言葉の響き。若い女性のスペイン語、中年の男たちのなまった英語。そのすべてが、1つ1つが、例外なく車内全体に響き渡るような大声の会話である。最高におとなしい国・日本から、いまヨーロッパに着いたばかりの二日酔い中年男を錯乱状態に陥れるのには、これ以上の仕掛けは考えられないというほどの喧噪。その喧噪だけでウンザリして、バスに乗ったことをこの上なく後悔した。


 1時間ほどで、バスはミラノ市内へ。車窓には、中国系・アフリカ系・中東系・モロッコ系の人々の集まって暮らすミラノ郊外の街が展開し、やがてオレンジ色のトラムの行き来が見え、アスファルト舗装の道路から、古めかしい石畳の道に変わった感触が座席から伝わってきて、18時半、白い綿の実のような無数の木の実が風に漂うミラノ・チェントラーレ駅の横に到着した。

1E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3
2E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 2/3
3E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 3/3
6D(DvMv) APOLLO 13
9D(DvMv) THE SIEGE
12F(Rr) 世界美術大全集18 ロココ:小学館
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