こんにちは、いまひろです。
お越しいただき
ありがとうございます(*^-^*)
今日は和歌山県の九度山(くどやま)にある
慈尊院(じそんいん)と
丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社のこと。
丹生都比売神社に参拝したあと
お伺いしました。
慈尊院は20年ほど前
高野山に訪れた時、参拝したことがあります。
高野山もそれ以来行けれてなくて
近くまで来ているのに、
なかなか行けれないなぁ、、と
地図を見て思ったのでした。
単に、「行く!」とならないから
行けてないだけだったりもする。
実は、慈尊院も丹生官省符神社も
まったく予定になかったんですけど(笑)、
京奈和道を走行中、
案内表示に記された「九度山」の文字が
妙に気になって
九度山(くどやま)に何かあるのかな?
と地図を見てみたら、そこに慈尊院が。
こうゆうときは行った方がいいヤツ。
「行く」と決めたら
胸にふるふると反応がありました。🎯
「女人高野」の慈尊院。
そこしか覚えておらず😅、
どんなお寺だったかなぁと思いながら
向かっていると
道中にあったお寺の案内板に
『弘法大師』の文字があり
あっ!、と思った途端に
胸に強めの反応が起こりました。
これは私の内側が喜んでの反応だったのかも??
空海さん縁(ゆかり)のお寺と知り、
呼んでくれたのかな?と
この時は思ったのだけど
後になって、
「高野山になかなか行けれない」
(空海さんになかなか会えない)
と自分が思っていたことに気づいて
もしかしたら
ここでも繋がるぞ、
と教えて下さったのかも?
と思ったのでした。(^^)
この後の丹生官省符神社のこともあって、
実のところはわからないままです(笑)
慈尊院は、弘仁七年(816)に
高野山参詣の表玄関、
また高野山の政所として
弘法大師により開創されました。
ご本尊:弥勒菩薩
大師を尋ねて香川・善通寺から参られた
御母公・玉依御前(たまよりごぜん)が過ごされたお寺でもあります。
(当時の高野山は女人禁制でした)
大師は、月に9度は高野山上から
ここ慈尊院まで、母公を尋ねてこられたそうで
そこから”九度山”という地名になったのだとか。
二十数キロもの山道を歩き、月に何度も
母親に会いに来ていた空海さん、、
母親思いだったのですね✨
大師堂にお参りして、
お次は境内奥の階段を上り
丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社へ。
夕方だったので早足参拝~。
丹生官省符神社
弘法大師が慈尊院を開創した弘仁7年(816年)、
お寺の守り神として
丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
の二神を祀ったのがはじまりです。
空海さんを高野山へと導いた白と黒の犬は
狩場(かりば)明神(=高野御子大神)が放った神使でした。
高野御子大神は、先に訪れた
丹生都比売神社の御祭神の一柱でもあります。
丹生都比売大神の御子神ですよ
空海さんを高野山に導いた神様。
まさかその神様を
主祭神として祀る神社に
来ることになるとは思いもよらず。
丹生都比売神社の次に
ここに訪れることとなったのが
なんだか不思議な感じでした。
丹生都比売神社
そうそう、不思議といえば。
丹生官省符神社では
拝殿で天津祝詞を奏上している途中で
祝詞が出てこなくなって。
改めてはじめから唱え直したんだけど
これまた途中で詰まり
頭真っ白でつづきが出てこなくなり。
…祝詞じゃないってこと?
と思って、般若心経を唱えました。
もともとは慈尊院のなかで
弥勒菩薩と丹生都比売大神が祀られていたところ、
明治時代に別々になったようなので
それでかな?
ちょっと面白かった出来事。
光とともに。今日も佳き一日♪