●大阪駅前・梅田付近(昭和30年代後半)










東海道線(中学校修学旅行車中から)














4月29日の「昭和の日」に因んで、昭和30年代に撮影した大阪市内の写真をアップします。



 ↑ 上六(上本町六丁目)の近鉄百貨店と近鉄電車のターミナルビル
    名古屋まで特急2時間42分とあります。



 ↑ 2枚とも、近鉄南口から見る上六地下劇場(映画館)などが入るビル


 ↑ 道頓堀筋のにぎわい。「ピカソパステル」の化粧品広告や、トランペットの「南里文雄

   (なんりふみお)とホッとペッパーズ」のジャズ演奏などの宣伝が見えます。



 ↑ 御堂筋の道頓堀橋付近



 御堂筋に並ぶそごうと大丸の百貨店          中之島フェスティバルホールと朝日放送ビル





1871年4月20日(明治3年3月1日)、飛脚から郵便制度に変わったことを記念して、

今日は「郵政記念日」とされています。


この日に因んで、使用済みの切手ですが、菊の御紋のある大日本帝國郵便のものを含めて貼りこんだものをアップします。



  今日・4月9日から始まる大阪造幣局の桜の通り抜け。今年の花は「一葉(いちよう)」とか。

同じ名の、書道の号をもっていた姉を偲びます。

昭和12年(1937)10月5日生~昭和56年(1981)11月24日歿。享年44歳。法名=妙順。

本名=中みち子。 号=春影のち一葉。 印=中通子、一葉。 追手門学院小・中・高校卒。



 

   落款=「一葉書」と「一葉」「中通子」の印        本人作成「中みち子」の表札


●作品の一例






  


●関西女流書道展覧会入選証に見る号の変遷




            昭和37年(1964)「一葉」  この年から「一葉印」使用?



       






























 京都会場では、東京会場832,382人(40日間)を上回る、891,094人(36日間)を記録しました。

両会場で172万人余を集めた、昭和39年(1964)の「ミロのビーナス」特別公開。東京五輪を祝ってのことです。

 日本初の展示の幕を開けたのが、1820年の発掘日とも伝わる同じ、4月8日のことでした。

 当時、京都の大学に通っていたこともあって、5.31~6.25の京都会場に、何度も訪れたことを覚えています。

 その3年前に、高校のクラブの後輩から卒業記念として石膏像(高33.5cm)をもらっていました。







  ● 秋冬青春夏-20   星の雫のペンダント

     星の雫と ビーナスが

     結ばれたのが これだよと

     シルバー造りの ペンダント

     私の首に うしろから

     飾ってくれたの 覚えてる

     嬉しくて 嬉しくて

     小躍りしたこと 今も心に

     フランスなんかに わたしたち

     行けることなど あるまいと

     何度も何度も ふたりして

     特別展示の ビーナスを

     見に出かけたの 覚えてる

     見るたびに 見るたびに

     感激したこと 忘れられない

     今も時折 取り出して

     ビーナスの顔 浮かんでる

     星の雫の ペンダント

     そっと手の中 握りしめ

     胸に当てては 目を閉じる

     懐かしく 懐かしく

     あの日の感激 今もよみがえる

     嬉しくて 嬉しくて

     小躍りしたこと 今も心に

     嬉しくて 嬉しくて

     小躍りしたこと 忘れられない

     









 昭和26年(1951)、前年に発行された千円札に続き、4月2日、「五百円紙幣」が発行されました。肖像は政治家「岩倉具視(いわくらともみ、1825~83」、裏面に富士山が配されました。


 のち、昭和44年(1969)11月1日、基本的な肖像・富士山は変わりませんが、印刷をより緻密に、透かし部分は印刷を省いた新札が発行されています。


 現在も有効券ですが、旧券は昭和46年(1971)、新券は平成6年(1994)に銀行の支払いは停止されています。



●昭和26年(1951)発行




●昭和44年(1969)発行



 「(ひゃくせん)」は、明治から大正にかけての京都東洞院の画家「鈴木百僲」。

 のち、父の名を継ぎ「鈴木松年(すずき しょうねん)」を名乗っています。

 本名=鈴木謙、幼名=百太郎。鈴木派の祖・鈴木百年の長男。

生没年次は、嘉永元年(1848)~大正7年(1918)。

 江戸期の絵師「曽我蕭白(そが しょうはく)」(享保15・1730年~天明1・1781年)の再来と評され、その勁健(けいけん)・豪放な作風と性格で「今蕭白」と呼ばれました。


 4月桜の季節に入って時期を失していますが、梅の木の下で遊ぶ犬を描いています。