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Yujiのブログーこころのフシギ

分かっているようでよく分からないのが自分と他人のこころ。人間関係で悩むのも、相手のこころがままならないから。だからこそ、自分のこころの中の「もう一人の自分」を大切にしたいですね。

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すっかりご無沙汰してしまいました。

ブログが更新されてないのに、訪問してくださった方、ペタを残してくださった方。ほんとにありがとうございます。

日々、みなさんのブログの更新の早さに圧倒され、ついて行くのが精一杯です。^_^

それでも、できる限り、更新したいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。


☆さて、それではいきなり質問からスタートしますね。

「虹の色は何色でしょうか?」

あなたは分かりますか?

何を今更聞いてるのよ!と思う方もいらっしゃるとは思いますが…。
 
「七色の虹」って言うくらいですから七色に決まっているはずって、思ってますよね?
 
ところが、虹が七色なのは日本だけの話なんです。(韓国とオランダも七色ですが)

ということは、実は虹の色の数は万国共通ではないんですね。

つまり、虹の色の数って国によって違うことになります。
 
たとえば、アメリカでは一般的に虹の色は六色です。イギリスも同様に六色ですが、ドイツや中国では、五色です。びっくりしませんか?
 
もっと驚くのはアフリカの国によっては、三色や二色のところもあるってことです。びっくり仰天です!


 
ところで、交差点の信号機には「赤、青、黄」と三つの色がありますね。

ちょっとここでその三色の中で、「青色」を思い浮かべてみてください。

ふだんから、何気なく「青色」と言ってますが、実際の色はどうでしょう?いわゆる青色でしょうか?
 
実際の色って、緑色ではありませんか? 

信号機によってバラつきがありますが、ほとんどの場合、緑色、あるいは、緑色っぽい青色だと思います。
 
では、どうして緑色なのに私たちは「青色」と言うのでしょうか?
 
現在では、青色は青(ブルー)のことですが、平安時代には、青色といえば青白橡(あおしろつるばみ)を指していて、単に青といえば植物などの緑の濃い色を指していました。

「目に青葉、山ほととぎす、初がつお」という俳句からも分かりますね。

つまり、日本人は古来から青と緑を厳密に区別せずに、「青」で表していた名残りが信号機の青色信号に現れていると考えられます。

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さて、虹の色や信号機の色から言えることは、やはり言葉が人間の認識(認知)に大きく影響しているだろうということです。

色のグラデーションや分類が細部に及ぶ環境ではそのような生活や文化が発達するだろうし、逆に言えば、それらを表す色の名前があるから色の認識が出来るということです。(ファッションやデザインに関係する人は尚更です。)

例えば、「浅葱色」(あさぎいろ)」という言葉があるから他の色と特別してその色を表現できるし、セピア色という言葉があるから、単なるモノクロ写真ではなく独特の色合いを表現し、理解できるということになります。


最近、読み聞かせが学校教育の現場で増えてきていると聞きます。テレビのような映像による情報では、この想像力は育ちにくいと言われます。自分で頭の中に絵を描く必要がないからです。

反対に文字や音声を通してインプットされる情報は、自分のイマジネーションを膨らませ育ててくれます。(童話の本だと思うんですが、挿絵が全く無い本があります)

手段や方法は人それぞれですが、「自分の言葉の棚卸」をして見てはいかがでしょう?

何故かと言えば、その人の言葉の種類、語彙、質などによって人や物に対する見方が大きく影響されるからです。

次回は、この言葉の棚卸と吟味する方法についていっしょに考えて見たいと思います。


☆何か今回はというか今回もややこしい内容になってしまいました。辛抱強く最後まで読んでくださってありがとございます。

いいね!やコメントをくださる方、ほんとにありがとうございます。

懲りずに今後もよろしくお願いします。