愛理は休み時間、教室の机で肩肘を突いていた。
ここ最近、透が学校に来ていない。
愛理には、小さい頃に両親を亡くした友達の透が居た。
2人は小学校から何をするにも一緒で、時々つまらない喧嘩しながらも仲直りを繰り返していた。
ずっと一緒で、時には鬱陶しさを感じながらも
離れる事が無かったのはお互いにお互いの孤独を少しずつ分け合ってきたからかもしれない。
そうやって中学校も一緒にあがって 大きくなってきた。
透は、透けそうな白い肌に制服がよく似合う。いかにも な典型的薄幸の美少女だった。
愛理はどちらかというと、秀才肌で皆から頼りにされるけど、前に出ないタイプの子どもで、
いつも学級委員長などに指名されてしまう。責任感が人一倍強いタイプの子だった。
そんな愛理もずっと一緒に育ってきた透が居ると、
飾らない、ありのままの我侭な自分を知ってくれている という安心感を持つ事が出来た。
透は両親を同時期に亡くしたのではないのだが、父親は透が3歳の頃に事故死。
母親は病苦で自殺をしてしまった。
そこに至るまで、病弱になっていき徐々に気力を失い、未来を憂い。精神を病んでいった母親の精神面でのしんどさは透が引き受けていた様で、周りの大人は、その事を知りながらも巻き込まれる事を恐れ。
透のしんどさを救い上げる事が無かった。透は幼いながらも随分、辛い状況に身を置いていたのだと思う。
それから、父親が唯一残してくれた持ち家に祖父母が住み、そこで一緒に暮らした。
透の祖父も、祖母も 中々家から出ない人で
社会的な唯一の接点が 買い物や愛理の母とのおしゃべりだけで、
そんな事から透の担任から、愛理はいつも「連絡係」としての役目を頼まれて、果たしていたものだ。
透の事は愛理の母は何でも知っていた。
小さい頃から大人と 親密で濃い、心地よい関係を築く事が少なかった透は
今でも大人と接するのが得意ではなさそうだったし、
母親と自分が辛い時期に誰も手を貸してもらえなかった事への大人への不信感はずっと変わることが無く。
表立って変に騒いだりはしないものの
少しだけ反抗的でもあって そういう部分が愛理とは違う。
愛理には入っていけない透の大人びた部分に見えていた。
透は何故か人生の中で、人がそう体験しない。
誰かを見送る 『死』というものに直面する機会が、人よりも多い。
彼女は 周りに居る 多くの人間、ペットで買った野良猫、野良犬を見送ってきたせいか、
日常でも 漠然と 死に対する恐れを胸に抱いているように見えた。
どんな暮らしの中に在るにせよ。
明るい部分を抽出して生きていくのも人間の強さであり。
また『どこかに光を当てなければ生きていけない』のは人間の弱さでも在る。
普段 生きていると 自分が自然と『切り捨てて考えている諸々の事柄』を思った。
生きて行く為に、生き易くする為に、深刻にならないために、考えないようにしている諸々の事を。
悲しい、辛い、苦しい をなるべく抽出させないように と 意識したことが その頃の愛理には無く。
明るい世界の中で生きている事は 当たり前の事だと思っていた。
しかし透は意識して何かに光を当てなければ
自分という人間の『確かさ』を実感できない という様なところがあった。
いつも大丈夫だと思っていなければ、良いことに光を当て続けなければ 生きていけないという所があったのだ。
透を通して、愛理は自分の身近な人を見送ると言う事、不条理で理不尽なものを残してしまう事。
近親者が健常な状態から近親者の老いを見ていく様や、希望する死に方、希望しない死に方 などを
考えた。
それを考えると いつも たまらなく怖くて仕方が無くなる。自分の大切な人。
普段、鬱陶しがっていても、「ちゃんとご飯を食べなさい。」といってくれる愛理の母親が、
普段忙しく働いているサラリーマンの無口な父親も。
居なくなったら・・・会えなくなったら・・・・と 考えると。
とてつもなく 怖い。誰が 私を守ってくれるんだろう。自分の当たり前の生活も全て、周りの人間なしでは考えられないんだと思うと、愛理は自分の未成年として守られる立場の不確かさと弱さを思った。
でも、透は こんな思いを何度も繰り返してきたのかもしれない。
久しぶりに愛理は部活の後で、透の家に行って様子を見てみた。
透は、元気そうだったけど 何故か 何処かよそよそしく見えた。
近くには『自殺遺児の会』という閉じた冊子と
『フリースクール○○学園』というパンフレットが置いてあった。
「これ、何?」と聞くと。
「そこに行ってみようかと思うの。」透は遠くを見るような眼で愛理を見た。
「学校は行かないの?」と聞くと。
しばらく沈黙していた後に
「私には・・生きていくのがやっとだから。生きてる事が当たり前の人と居ると、辛くなる。」と透は言った。
「もう帰って。」言い捨てるように言った。
愛理はショックを受けた。
透は『遺児』という言葉がすごく嫌いだった。
それは 如何にも「可哀想に見えるから。」だそうだ。
「確かに 人から見たら 可哀想なんだと思うけど。可哀想だといわれて 嬉しく思うことは無い。」 と
透は言っていた。
だから、透が そういう会に参加することになるとは愛理には思ってもみない事だった。
透は「人の情けを受ける というのは 嬉しい事だけど。
その可哀想という思いの『根源』を見てみると
色んな事をマイナスの方向で思い出して、いつも 自分がいかにも可哀想に思えて大丈夫じゃなくなる。」と愛理にだけ胸の内をうちあけていた。
「そう言う事を自分にだけ話してくれて嬉しい。」と愛理は思っていたし、透にもそう伝えた事が昔あった。
透の辛さは愛理だけのものだ と思っていた。
誰かの死、何かの死に対しても 透は敏感すぎた。
最近死んでしまったペットの野良猫 モモの死にしても。
透は1週間も寝込んでしまった。死に直面するたびに、透は大きなショックを受け続ける。
そのくせ、透は野良猫や野良犬を拾ってくるのをやめなかった。
愛理が 母に事のあらましを話すと
「考えてみたら、透ちゃんは いつかこうなるのが当たり前だったのかもしれないわね。」と言った。
愛理は透が弱いと言われているようで、何か 違和感を感じた。
愛理は「でも透は心弱いだけじゃないよ。弱くなるのは 死ぬ事と向き合う時だけだよ。」
透に比べればかえって愛理の方が、心弱いくらいだよ・・・ 愛理はその言葉を飲み込んだ。
透はすごくしっかりした『誰にも譲れない自分像』というものを持っていた。
人間は何処か自分勝手で人には譲れない という 一面が無ければ、
世の中に出てやってはいけない。人を押しのけてでも自分が前に出るという気持ちが無ければ。
決して、自分を守れはしないんだな と 愛理は 透を見て思った事がある。
愛理は人にどう思われるか考えて、流されてばっかりなのに、
透は 自分を軸にして 何でも考えられるのだ。
時々、愛理は人の世話を焼いてるんじゃなくて、焼かされてるんじゃないかと馬鹿らしく思うことがあった。
『何の為に 私 こんな事をやってるんだろ・・・。』と。
いつも布を引いてアイロンをかけるいつもきちんとした制服。
眼鏡。肩にかからないショートヘア。指定の色をした靴下。優秀な成績。人当たりがいい態度。
人とうまくやっていく為に、人に合わせたり遠慮をしたりする事。
『何の為に・・・・。』そう考えると。
いつも自分のために生きていない様な気がして、愛理は嫌に為る事があった。
透自身は 自分という者を脇に追いやったり、遠慮をしたり。
自分を捨てた事は今までにあまり無かった。
それは親が居なくて「~しなければならない。」という強制力や 相手に対する気遣いや遠慮を
見て学んだりしなかった事も関係あるのだろうか・・・と 愛理は思った。
透がそうやって生きてきた積み重ねと言う事もあるし。、
結局のところ そうあらなければ透は
自分で自分を生かしていられなかったのかもしれない とも 思う。
透が「これ以上は 誰にも踏み荒らされたくない。」「誰の影響も受けたくない。」 と 自分で自分を
必死で守っているようにも見えた。
自己防衛のために譲らないし、誰にも渡さないのかもしれない。
それは愛理にしたら羨ましくもあった。自分もそういう強さを持ちたいと思った。
でも 透の頑なな姿を見ると、愛理は何処か胸が痛くなる。
それは決して 健全な思考から生み出されたものではなく。
透が辛さや痛みをもって生み出したものだと思うから。
そんな透が
誰かに自分の思いを渡せたり、情けをかけられることをよしとするには、彼女はまだ痛みを抱え込みすぎている。
痛みや苦しみは彼女にとっては 終わりが無いものなのでは 過去の事として処理されないのでは と思う。
そう思うと、何とか一緒に背負えないものか と 思うこともあった。どうか痛みが和らぎますように と 願うしか 私に出来る事は、無いと思っていた。
その透が 自分の痛みと向き合う努力をし始めたのだ。
透は自分自身で気がついていた。
「最近、モモが死んでから、私の周りには髑髏のグッズがふえはじめていた。」
「髑髏は生と死の象徴のようなものだ。」とテレビでどこかのリポーターが言っていた。
透は ポップでキュートな髑髏のマークが好きだった。
それは 自分自身が、生まれて初めて『より強く生きたい』という魂のメッセージのように感じていた。
ただ漫然と自分の事を何も知らない人の中で生きていたら
そういう風には為らなかったかもしれない。自分の事を知ってくれている愛理が居て、
あの子が私に優しくて、あの子が皆に慕われる存在だから。
私も影の中に閉じ込められている様な生き方が嫌に為ったんだ。
私も 自分の中に在る抱え込んでいる孤独を何とかしなくては と 思えたんだ。
透は愛理が憎い訳でもなかったけれど。自分に無いもの。
どうやっても手に入らないものを見ると、ついどうしようもなく腹立たしくて仕方がなくなってしまう時があり。
そんな時、愛理に対して邪険になってしまう自分の弱さを恥じていた。
自分でも 家族像というものに対して憧れが強く、
自分に肯定的なまなざしを注いでくれる人に対して執着がものすごく強いと思う。
反抗的な態度をとってしまうのに、極度に『失うこと』を恐れている。
まるで人を試している様な・・・「自分は寂しいんだ。」と訴えている。
デモンストレーションの様な受け取り方をされることがよくあるのだ。
でも、何処かに 『人はいつか離れていくものだ』という若い癖に、妙に老成した腹の決まりが在り、離れていった人の後は決して追わない。それは透のなけなしの自尊心がそうさせるのかもしれない。
「追いすがっても、立ち止まってくれた事の在る人など 居なかった。」その体験も透の思いを強化させていた。
そして 透は 自分のそういう部分が すごくアンバランスだと思った事がある。
『何で もっと素直になれないんだろう。』
もっと泣いたり 叫んだり、表現したりすれば 楽になるのかな・・・と 思った時期もあったけど。
透の中では いつも 死に直面する時、その事を考える時
自分の亡くなった両親の事が生々しく思い出されて 言葉にしたり、表現したりなどは
とてもじゃないけど出来なかった。
表現というのは、あるレベルまで心が落ち着いているから出来る事なんだと思う。
「私にとっては 両親の死はまだ過去のことではない。」 と思った。
そして、それは たとえ愛理であったとしても 感覚的に受け取るのは難しいだろうとも思っていた。
だから 同じ様な境遇のヒトタチと話す方が 良いだろうと 透は 思ったのだ。
たとえ 容姿が恵まれていようとも、私には決して勉強や人望で愛理に叶うわけは無い。
環境という土台が違うのだ。スタートラインが大きく離れているのだ。愛理は私に起こったことや状況は知ってるけど、痛みも悲しみも全部 私自身のものだ。
愛理の持っているもの、身につけたものは 私には手に入れられない。
全部自分でやらなくてはいけない。
喪失感の克服にしろ。生きていく為の肯定感にしろ。
誰から与えられるでもなく、誰をあてにするでもなく。
新しい環境では 全て、自分が動いて、自分で手に入れるのだと腹を決めていた。
今の状況では、同級生や教師と話すのさえ、時に辛く感じる透は。
だったら、新しく 全然違う自分にあった環境で一から始めてみるのもいいじゃないか。
出来たら、速い内が良い。
そう思った。だから 自分で動いたのだ。
遺児の会でお互いのことを少しずつ話し始めて、少しずつ少しずつ。話せるようになってきた。
時々、泣きながら話す言葉は いつも 哀しみと憎しみで満たされていた。
そういう部分を出す事が透には必要だったのだ。
その中で出会った遺児の1人 3歳上の咲紀と愛理は割りと年が近い事と趣味が似ている事から、
すぐに仲良くなった。
咲紀は言っていた。
「私には身近な父親像と母親像、青年期の大人像があまり頭の中にイメージとして無いらしくって。
そういう事に対しての礼儀や姿勢に対して、相手に対する親しみや
そういったものから生まれる保身的なずる狡さというものがあまりないんだよね。
そういう意味では社会的なスキルが身についているとは言えないかも・・・。」
透も自分にも同じところが在ると思った。
「目上の人と話す時は、いつも絶えず不安と希望が混在するの。
何処か「これで良い。」と人から言ってもらえるのを期待して
独善・偽善的になってしまう。誰にでも優しさを振りまいてしまって、後で苦しくなったり。
誰かの言う事を良く聞く、『従順な良い子ちゃん』 に なってようやく安心するという様な面もあるしね。」
・・と咲紀は言っていた。
咲紀の内に秘めた『辛さ』は 抑圧してしまう事より、吐き出す事を望んでいるように見えるのに。
彼女はいつも枠の中にすっぽり納まって痛みを抱えたまま押さえ込んでしまう。
でもそこに触れてしまうには、まだ痛みを抱え込みすぎていて、とてもじゃないけど触れられない。
前の自分も こんな様子だったんだろうか と 透は前の自分の辛さを抱え込んでいた最中の姿を思った。
自分の中の辛さは少しも減っていないように思うけど、人に言えたのが まず大きな一歩だ。
・・と 現在の自分の姿と 辛さを抱えたまま必死に生きていっている咲紀のことを比べて考えた。
咲紀の家庭は 元々母子家庭だった。咲紀の母はシングルマザーだったのだ。
咲紀が12歳で、母が新しい夫と再婚して、生活の糧を得る為に夫を優先し、
少々家庭内のバランスを崩している母親に育てられ。
咲紀は精神的に搾取された と 言っていた。
弟や妹が次々に生まれ、その度に、余計に家庭を省みなくなっていく夫の様子に、
余計に妻である母親は苛立ち。混乱して。
その中で、母親が何度も自殺を繰り返し、ついに在る日成功してしまった。
それは咲紀にとって、ある意味では安堵と大きな哀しみを背負った出来事だった。
その後、彼氏が出来て 彼氏の家に泊まったりしていたそうだが。
その彼氏も暴力的な男で、しょっちゅう喧嘩になり、そのたびに痣を作っていた。
咲紀は このままでは幸せになれない と 思って。
住み込みのバイトを探して、ようやく自立したのだという。
「自立するようになって、余計に 寄り添ってくれる人なら誰でも良いとは思わなくなった。」と咲紀は言った。
「こんなに自分は頑張って生き抜いてきたんだから、絶対に自分にふさわしい人が現れる!と思うようになったよ。」
咲紀は笑った。
「私も精神的に問題を抱えている事は変わらないし、あんまり無理しないで、ボチボチ生きていこうと思うの。」と言うとピアスがついた口で缶ジュースをごくんと飲み干した。カチッと金属音がした。
咲紀の笑顔を まだ10代の前半で親権者の保護下ある透は、すごく眩しく思った。
「私もそういう風に思えたらな。」とため息をつく。
「なれるよ。きっと。」もう一度咲紀は言った。
透からみたら咲紀の笑顔は 自立する事の憧れと独りで何でも乗り越えて生きていく寂しさ、孤独。
そういうものを耐え抜いて頑張っている人の輝きに見えて、
周りに今までに居る『当たり前の幸せ』に浴した大人たちの 何処か冷たい姿とは違っていた。
透は毎日勉強のために フリースクールに通っている。
出来たら、将来 1人でも生きていけるように、手に職が在る仕事につこう とか、寮のある高校に入ろう と 思って勉強している。
幼馴染の愛理はこのまま順調にいったら
有名な学校に入って日本社会に容易に入りこんでいく事の出来る。
『肩書き』を手に入れる人生になるんだろうな と 透は思っていた。
だけどある日、突然 愛理は手紙を送ってきた。
「人の言いなりになったり、人の顔色を見て付き合うのが辛いの。」
透は 手紙を読んで初めて、愛理が居る世界も、普通に恵まれた状況の中で生きて
ただ単に真面目なだけではやっていけないんだ と理解した。
「崩れることで共感する思いもあるみたい。私 ずっと良い子ちゃんをしてきて目上の人からの受けを狙ってきて、苦しかった。『良い子』って言われるのも辛い。周りの子の反感を買っちゃうから。それだけじゃ、やっていけないの。多分透が側に居てくれた事で、何処かバランスをとっていたんだと思う。今までサンキュ。」
綺麗な字でそう書かれていた。
亡くなる日の前日に出した手紙だった。