12日からスタートします新企画。
DJ's Profile
一挙公開の回
どうぞ
ご覧下さい
DJ Sergio(THE SEXORCIST)
東京都出身1988年からDJ活動を開始
幼少期から音楽専門のラジオやレコード、カセットテープが流れる環境で育ち幼い頃から洋楽を聴くようになる。
レコードを買い始めの頃はビルボードやMTVなどの媒体をもとに購入をしていたが数年経つとHOUSEやHIPHOPがリリースされるようになり、どっぷりとクラブミュージックにハマっていくと同時にDJへの興味が高まり、家の近所にあったDJブースもあるお店で本格的にDJプレイを教えてもらうようになりDJ沼に落ちていく。
その頃から夜遊びも教えてもらい、どっぷりと夜の住人になり友人、知人が増えDJのお誘えを受け本格的にクラブでプレイをするようになる。
当時のクラブはまだまだ専門ジャンルの店舗は少なく一晩に様々音楽がプレイされるのが当たり前の中、衝撃の出会いを果たす。
それが青山MIXでのDJ HEYTAのプレイを目の当たりにしてGARAGEやHOUSEに傾倒し自身のプレイにも影響を及ぼす。
その後、芝浦にあった伝説的お店GOLDがオープンし、その一年後レギュラー枠をいただき永きにわたりプレイさせてもらいながらTORU TAKAHASHIのほか様々なDJたちに影響を受け、都内にぞくぞくとオープンするクラブでもプレイ。
そんな中においてリリースされるHOUSEに多少飽きてきた頃、昔から買い続けていたHIP HOPの
おもしろさを再確認し次第にプレイも変化し続けていくなか、渋谷のCAVEというクラブの営業形態が変わりHIP HOP主体のお店に変わるなかオファーを受けレギュラーになり、そこから渋谷HARLEMでもレギュラーとして毎週末を担当し、まさにHIP HOP全盛の時代へと突入。
その時期に渋谷のレコード店にも勤務しバイヤーとして東京とニューヨークを行き来する10年を送る中、HIP HOPの若年齢化と自身の年齢に違和感を覚えはじめ、原点回帰するかのように様々な音楽を聞き返すことをする数年を送ったのち、自身も関係する渋谷のクラブEN-SOF TOKYO(現在閉店)でTECHNO、HOUSEなどの格好良さを再認識し自身のプレイもHOUSEを中心にGARAGE、SOUL、JAZZ、LATIN、HIP HOP、REGGAEなどの影響を受けた楽曲をMIXするプレイスタイルに進化し現在も変身中である。
DJ Ririko Nishikawa
2010年からDJとして活動をしています。
大阪出身のRirikoは、過去10年にわたり東京をベースとし、
東京のAirやContact,Womb,BridgeそしてOath等のクラブやバーでDJをしてきました。
熱心な音楽コレクターである彼女は、ダウンテンポ/ラウンジセットからメインルーム、ディスコ、ハウス、テクノまで、幅広い音楽をプレイすることで知られています。
パーティーで シェ・ダミエ、エリック・ダンカン、アシッド・パウリなどのDJと共演しました。2020年以来、 彼女はスタジオに閉じ込もり、何時間もかけて印象的なトラックのカタログを制作しました。こちらのリリース情報もお楽しみに。
Other DJ work
Shinagawa Prince Hotel
Hotel New Otani
ANA Inter Continental Hotel
Hyatt Centric Ginza
Rosso Scuderia (Ferrari) Roppongi
Paul Smith Sendai
Marunouchi House
The Sun & The Moon (Mori Art Museum Roppongi)
NoMad Grill Lounge
DJ Yoichi Sato
浅草橋ghetto(現 燻製&BAR humo)オーナーの傍らで、
自らも人生に数多くの影響を受けたブラックミュージックをプレイするDJのひとりとして、下町のブラックミュージックラバーたちのコミュニティに長年に渡り貢献してきた。
ほか都内にてジャンルの異なる様々な飲食店を経営する実業家として活躍中。
DJ NORIKO
(NORITAMAのNORI)
1992年頃にDJによってかけられた音が作り出す世界の凄さに驚きハウスミュージックを集めはじめ、数々のmixtapeを聴きまくり、各所クラブに出かけてはまた聴きまくる日々を送る。
そのうち、KING STREET SOUNDS主催のジャパンツアーパーティにスタッフとして携わるなど貴重な経験もあり、
クラシックスやハウスに対する敬愛を基に現場でアーティストと交流を重ね、
2000年代は旧 青山LOOPにてレギュラーパーティのレジデントを務めた。
以降も幸運にも出会えた方々が開催されているパーティでいっしょにDJをさせてもらう様になり現在に至る。
DJ TAMA
(NORITAMAのTama)
DJ Timmy RegisfordやTheo Parrishにインスパイアされ、気付いたらDJになっていた。
東京各地でDJ活動を重ねるうちにビッグネームとも数々共演。
なかでも Free Soul 主宰の橋本徹氏が経営する
Cafe Apres-midiにてプレイできたことが大きな喜びだったと語る。今後もThe IMAGE,実力派シンガーArvin homa Aya等と活動予定。
DJ HISATO YABE (Then)
ブラックミュージックを土台にしたプレイスタイルを軸に、
10代後半からこれまで東京都内のべニューでオーガナイズ、レジデントDJとして活躍。
国内外アーティストとの共演やジャパンツアー、フロントアクトを務めた経験も様々あり親交も数多い。
現在こそ、映像やMCを交えるなどのダンスミュージック動画配信があまた存在するが、
実は東京でのシーンの起源は2007年、YABEによるものである。
当時すでに現場でのDJプレイをリアルタイムでストリーミング配信するシステムを使い、
唯一いち早くネット環境へ先見の明を見出していた旧 恵比寿 Bar jamオーナーbatch氏と、
日本屈指のヴァイナルコレクターであり賢人のDJ Terry Washizu氏の後援をもとにYABEが企画した、
「ringk -saturday JAM radioshow-@恵比寿 bar jam」であり、
自身のキャリアとして大きなプログレス、この企画は10年以上に渡り好評を博す。
アンダーグラウンドならではのサプライズも多く、来日中の世界的アーティストの飛び入り参加やご出演、応援コメントなども度々寄せられ、未だに記憶深い逸話が存在する。
なかでも2011年3月12日の土曜日は伝説回とされており、東日本大震災の翌日、賛否両論ある中、あえて出演者ひとりで開催、情報が錯綜し、深夜の不安に戸惑う人々と朝まで音楽と情報共有をMCで繋いだ生配信は多数のアクセス、現場の恵比寿に人が集まるなど、大きな反響を呼んだ。
近年は、渋谷二丁目に居を構えた、ギャラリー&サウンドバル ゲルニカ、またその後継店舗となったテストフライトの店舗ディレクターを歴任し、そのなかでパーティや催しを通じ数々の新人DJ、アート人材を送り出した。
現在は偶数月第4日曜日のアフタヌーンパーティ、
「Then〜HOUSE & CLASSICS〜」を青山zeroにて主宰。
若手からベテラン、未発表新譜から温故知新なものまで、隔てることなく幅広く取り扱う「ハウス」流儀のパーティとして好評を博している。
飲食業界にも関わりが多く、商品開発、飲食店BGM提供、スタッフ育成、店舗ディレクションなども積極的に行う。
普段は俳優業として劇団 俳優座に所属。俳優、声優として活躍中。一時期は劇団四季へ客演として出向した。