最近、世間の風潮で、いろんなことに浅く手を出す人が増えているけど。


まず、ひとつのことに深く根ざすことができていなくて、簡単にポッキリ木が折れちゃう人も多い気がする。


そういう人ほど、折れるのが怖いから、周囲からの耳を塞ぐ。
見ざる、聞かざる。

自分だけで自由に動いているようで、実はなんにもなってないっていう。


そんななら、やらなきゃいいのにと思わされる。


当然その、ひとつに傾注して頑張っている人、達観している人からしてみれば、馬鹿馬鹿しいことこのうえないだろうし、苦心して日々探求している姿勢に対して失礼極まりないよね。




数々の類稀な才能に溢れている羨ましい存在も世の中には、そりゃあ、いるけど。



自分自身の可能性に対する挑戦に関しては、シビアに律していく必要があると思うのだ。



そんなに、自分は思ってるよりすごくなんかないぜ。
超ミラクルスーパーちっぽけな存在だ。





いま自分は胸をはって、自分らしい唯一無二の何ができる?






とりあえずは、太い根をしっかり張り巡らせて、雨風に耐え得る木を育ててから、次に進みたい。


好奇心はとても大切なことだ。
未知に飛び込む勇気、いままで自分に見えていなかった世界が広がる有意義さから、新しく生きる刺激を与えられ、新しい自分が発見できるし、興味は尽きない。



でも、まだひとつの根すら張れていないのに、好奇心ばかりでキャーキャー動くのは、人生に対する浮気なんだろうなって、最近見ていて感じる。



好奇心に対して、本気の挑戦と、ミーハーな浮気心とでは、大きな差があるってことだ。




ダサい生き方、したくないじゃん。
それこそ、人生、一回しかない。

無駄がないようにという、無駄な暇潰しとか、超だせえ。
孤独の穴埋めなんかしてる暇は、実はない。





明日、死ぬかもしれないという不安は、皆に平等である。

何も、急ぐ必要なんかない。


だって、宿命は天が決めているものであって、変えることはできない。

俺たちはいま生きながら、日進月歩、定められた宿命のなかで、運命を変えようと努力しているのだから。



と、いうわけで。
俺はまだまだ、他に目を遣る場合ではないので、ゆっくりと根に水をやり続けようとおもう。



特に公に見せる仕事。芸事、スキルを通じて公に評価してもらうってのは、簡単じゃないんで。


余所見してるバヤイではないのだ。