日々、めくるめくハプニングの連鎖に、客席も舞台上の俳優陣もハラハラ空気を共有しながらの、東京、京都ステージ。


これからお見せする写真たちは、息つく間のない舞台裏を、某氏が記録してくれていて、それをいただいたものだ。(撮られているとは気づかなかった…)


photo:01

後ろにともに写っているのが、美粧助手の野村 直子さん。

舞台から裏に退いて。
幕が開いてからの経緯を、つぶさに野球中継みたいに、必死に独りハイライトする。
次、自分が出た時、その状況にあわせて、どのような立ち居振る舞いをするか…服装やメイクを直しながらの、いわば、タイムアウトの瞬間だ。余裕なし。


photo:02

これはオーラス。(御覧になった方々は思い深いかな?)短い時間で、血糊を宇野さんがイメージされたように顔面に塗る瞬間。
さすがに自分では塗れないのでね。


衝撃的だった!という声をたくさんいただいた。
というか、最後の「あの」シーンは、俺にとっても本当に衝撃的だった。


毎回、あんな状態を最後に役を終える度に、俺は頭の中で「カラダの復活と、永遠の命」について深く反芻していた。

これは、カトリックにまつわる話で、長くなるから省略!笑。




昔からそうなのかもしれないけど。
特にいまの時代。

「自己中」でいることを、まるで自分が活き活きと生きているように平然と言う。自己中肯定世間である。




しかしそれは違う。



ほんとうに大切なこと、忘れてはいけないよ。


他人を気遣い、体裁的なうわべではなく、自分のエゴを忘れて、心から信じることからこそ、初めて本当の自分の道が拓かれる。評価をされる。


それができない人には、因果応報して、残念な結果を迎えるにほかない。評価もされないだろう。強いて、うわべの拍手をもらうくらいなものか。



そんなふうに、不思議と人間社会は形成されているのだ。

哀ぴ~現実ってやつである。




photo:03

演出家の川村 毅さんとは、京都のカフェで2人ゆっくりと話ができた。

稽古中。

クライマックスの息子の長ゼリフは、俺は、ドストエフスキー[悪霊]の、スタブローギンの告白シーンと同義だと思いついて、川村さんに打診した。




セリフを喋る対象は、実際3種類しかない。(後輩ども、勉強タイムだ笑)

・他の役を相手に喋る
・客席を相手に喋る
・自分の心の内面を相手に喋る


そのなかの、ここでは内面にあたる。


何もかもの道理が理解できる。でも、そんな奴に限って、他人から疎外されてしまうようなコンプレックスに陥る人間。

川村さんはその説に納得して下さり、最終的に、あのような役のカタチを形成するに至った。


とにかく、息子は可哀想な奴でしたね…真昼の燦々とした光と緑の下で、息子との取り組みについてを総括を話し合った。




テクニカル的には。俺が唯一、お硬い新劇畑から参加していることを、逆にうまく利用したつもりだ。

俺なりに壊しまくって、終始、声色をわざと変えたり(人生初の試みだった)

グラムロックのようにカラダをやたらグネグネ動かして、フェミニンぽさを狙ったり。

また、京都ステージを御覧になっていない方々には「?」かもしれないが、実は俺、京都では舞台上でいろんな箇所で踊りまくったり笑。
階段落ちして、また這い上がったり…



そんなアイデアの数々を、快く受け入れてくれた川村さんには本当に感謝しているし、彼がいなければ、あの息子は成り立たなかったと思う。


この舞台は【偶発が引き起こす、他の何よりも強い力】によって出来ていたんだって。そう感想を伝えた。


川村さんは「きみ、このジャンル、向いてるよ」と言われた時は正直、嬉しいんだな嬉しくないんだか複雑な気持ちだったけど。。。


またいつかタイミングが合う時、Tファクトリーに参加したい。

次は、また違った自分が現れそうな気がしている。






変わるわよ。