多方面に於いて自らが考え抜いて、クリエイティブに仕事に打ち込める機会に感謝しなくては。
なかなかないし、これまで舞台は様々立たせてもらってきたが、今回の境遇というのが、本当に珍しいケース、面白い連続である。
まずキャスト表を見て一目瞭然、俺の名前の後にだけ、カッコ書きで俳優座と書かれている…なんか笑える。
王道リアリズム芝居ばかりやってきた俺が、すっかり不思議クリエイティブ現場の虜になってる感じだ。
という反面、息子役の本に描かれた揺るぎない意思に、どれだけ肉付けを施して、最終的な形になっていくのか、これまでとは違って未だに見当がつかない不安もあったりするのだが。
大抵、俺はいままで、役の作り方は「逆算方式」で貫いてきた。
ストーリーの起承転結があって、結を確かなゴールと見定めて、波のうねりを作ってそこまで導くような…説明難しいな。わかる?
でも今回は詩劇。ゴールが実は、ゴールではないのだ。むふふ。
かなりラビリンスだべ?
そんななかで、今回は身体動作表現も深く意味を持ってくるわけ。
日常芝居のように、「ただ在ればいい」だけでは、非日常は済まされないのだ。
リアルではない時間軸。もしも夢みている時みたいに、想念の世界観が目の前に現実に広がったとき、さて、あなたなら、どう動く?
みたいなことを、アレコレ編み出す日々。
参考にしているのは、エゴン•シーレの絵と、宗教画の数々だ。
現実で思想が実感を伴って動いたとしたら。
言葉でいう程、成形するのは簡単ではなくて、日々、裂けちゃいそうだが。
なんとか結果にしたいし、ぜひ期待していてもらいたい。
ひとつの心が、進んだり、退いたりする表現。実現したくて。