まいにちの稽古で舞台上に立つわけだけど。

演出家の川村毅さんは、シーン中、滅多に口を開かない。

俳優が持ち込んで来たアイデアを兎に角、100%やらせてくれる。突拍子ないことも、顔色変えず受け容れてくれる。



時折、あまりにもそぐわない状況になったら、さすがに止められるけど。





役柄を仕上げるまでに、まだまだ考えるべき余地が沢山あるなかで、いま最も着目しているのが「距離感覚」。



いつも俳優座でやっているようなリアリズムを追究する舞台では、日常に基づいて、人間会話に適した距離で整合性を保とうとするもの。


しかし今回は、非日常性の強い詩劇だから、そうした整合性ばかり追い求めると、ストーリーの世界観が、かえって小さなものになってしまうのだ。つまらなくなっちゃう。ただのセリフ劇とは違うから。



極端に、思いっきりタイトな距離まで近づいたり、わざと思いっきりギリまで離れたり。

あえて真逆方向とか、上とか。
やりすぎない限界スレスレで留める。



でも決して、状態を表すことはしない。(例えば、怒ってるからソッポ向くとか…泣いてるから下向くとか…)

飽くまで、
ストーリーを際立たせるために、最善の距離を計る。

非日常に触れるスリルと恐怖。


自分の思考や肉体がリアリズムに馴れているから、試すときは必ず違和感に苛む。

でも結果として、それが奏効して、次のステップに進んでいく。


いま、そんな毎日を過ごしている。



パゾリーニ作品の詩劇は、
ギリシャ神話のパロディといわれている。

もともとギリシャ神話ってのは、天にいる神様だけを観客相手として演じられていたものだった。だからやたらポエトリックなわけ。

が、パゾリーニは無神論者だったことから、アンチも含めて。
じゃあ、その手法のままで、人間を観客にした時に、どのような感動をもたらすか、てことを考えたらしい。



演劇にも、いろいろあるんだな。
手法や、演じ方、在り方ってのが。

まあ、当たり前のことなんだろうけど、シンプルにそう感じている。

でも、他人の顔面のスレスレまで寄って喋るとか。




馴れすぎても怖いよな…




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息子の意思みたいなものがプライベートで抜け切らず困り気味の谷部 央年さんと、なぜかそれに笑顔の演出家、川村 毅さん。