いじめについて考えていること | 即興舞踊家 ダンサー 松崎友紀

即興舞踊家 ダンサー 松崎友紀

Dancer, Artist from Sado island, Niigata, Japan

イタリアから帰って来て、土産話やシェア話をしようかと思いましたが
追々ということで真面目な話です。
ちょっと長い記事です。



先日子供からいじめにあった話を聞きました。
(注:私の子供ではありません
お友達からのいじめだけでなく、大人も一緒になっていじめたという話でした。


「そんなことよくあるよ~」
「そうやって大人になるんだよ~」
という話かもしれません。
上記は一例ですが、話を詳しく聞いた私は同じ大人として子供に対しての人権侵害を感じました。


子供は勉強や知識だけでなく、いかに自分たちが幸せに生きていくか追求していく権利もあります。


このようなことがあるとよく聞く台詞があります。
「これが社会」。
「噂をたてられる方が悪い」。
社会って本当にそうじゃなきゃ人間て生きていけないものなのだろうか。
この考え方は社会全体の生き方を狭めますし
生き方を狭めるということは、認識できる価値観の幅も狭くなるので辛くなります。

悪口を言う人でなく、聞かされる人も聞いたことを信じないと
「変な人」
「信用できない人」
「この話を信じないってことはあなたもあの人と同じって見られるよ」
と思考と行動の選択肢が限られている!

「だって誰々がこう言ってたから(信じるべき)」
「誰々の言うことだから(信じるべき)」
誰々さんが判断基準になっている!





「これが社会」。
「噂をたてられる方が悪い」。
価値観は人それぞれだからそういう考え、持たれてて良いと思います。

でも、
「これが社会の一部
「噂をたてられる方が悪いこともある
の方が私は合っていると思っています。





いじめに苦しむ子供たち!
もしこの記事読んでたら
いじめをされても何を言われても、いじめの言動と自分の幸せは全く関係ありません
いじめがあっても気にせず自分の夢中になっていることに精一杯で幸せに生きていくことだって出来るし
いじめがなくても幸せに生きる方法がわからない場合だってあるのです。
生きている人全員、幸せに生きるための権利を持っています。
人に「良く見られる•悪く見られるか」が基準なんじゃなくて、自分が基準で安心できる場•夢中になれる場を求めましょう。

例えば
勉強は知識を使いこなせるようになると、出会いや経験の量•質が広がります。
世の中に存在する色んな価値観の人に出会えます。
ちょっと難しいことが出来て嬉しい自分。
学んでいることを使う時の感動。発見。ときめき。
未知の自分に出会えたとき。
と~っても価値があります

私はこんなこと書いて偉そうかもしれませんが、そんなことより一人でも多くの人間の命や活き活きとした個性が大事です。
なので記事にしました。


私は人から良くない噂を聞いても一つの情報として捉えるだけですぐに信じません。
不安になってモヤモヤしたら、友人などの聞ける相手だったら事実かどうか確認し話を聞きます。
もし、それによって私に対して嫌がらせが発生しても気になりません。
(だって価値を感じないですもん。そこから得られた自分の気付きや確信に価値は感じるけど。


こんな大人もいるってことです。