こんにちは、豊田ふみこです。



最近、興味深い体験をしました。

 

若い世代を中心に人気のヨルシカが、
書簡形式の小説を出しているのをご存じでしょうか。

 


それは一般的な「本」とは、少し違います。

 

封筒が32通。


その中に、

約170枚の手紙と詩が収められている。

 

一通ずつ封を開けながら、
物語を追体験していく形式の小説です。

 

価格は、約8000円。
決して安くはありません。

 

それでも、

若い人たちの間で人気になっている。

 

 

ご縁あって、

私の手元にもその作品があるのですが、

実際に手に取ってみて、
その理由がよく分かりました。


 

ただ読むのではなく、
封を開けるという行為そのものを通して、

自分が物語の中に入り込んでいく。

 

気づけば、
「読んでいる」というより、
“体験している”感覚になっているのです。

 


 

 

 


このとき感じたのは、

ああ、いま求められているのは
こういうことなのか、ということでした。

 


「手触り」が価値になる時代


私たちは今、
あらゆるものを効率よく

手に入れられる時代にいます。

 

情報も、知識も、ノウハウも、
ビジネスや生き方に関する高度なアドバイスでさえ、

AIを使えば、瞬時に得ることができる。

 

けれどその一方で、
若い世代の間では、
まったく逆の流れが生まれています。

 

編み物や陶芸、ガーデニング。

 

いわゆる「手間のかかること」に、
時間をかける人たちが増えている。


スマートフォンによる通知や、
終わりのない情報のスクロールに疲れ、

あえてオフラインに戻ろうとする動きも

広がっています。

 

こうした背景から、
2026年は「アナログ回帰の元年になる」と
予測する専門家もいます。

 


消費から、生み出す側へ


この流れの本質は、
単なる流行ではありません。

 

それは、
「消費する側」から「生み出す側」への転換です。

 

与えられたものを受け取るのではなく、
自分の手で何かを生み出す。

 

時間がかかっても、
効率が悪くても、

そこにしかない感覚を味わう。

 

その価値に、人は気づきはじめている。

 


なぜ「不便」が選ばれるのか


考えてみれば、少し不思議です。

 

効率よく、早く、安くできる方法があるのに、
なぜあえて不便なほうを選ぶのか。

 

けれど、答えはシンプルです。

 

効率の中には、“体験”がないからです。

 

どれだけ便利でも、
そこに自分の身体や感覚が伴わなければ、

それはただの情報で終わってしまう。

 

一方で、
手間のかかる行為の中には、
時間の流れや、触覚や、集中がある。

 

そしてその積み重ねが、
“自分の中に残る何か”になっていく。

 


ビジネスにおいて、何が起きているのか


この変化は、
マーケットの中でも確実に起きています。

 

これからは、
「どれだけ優れた情報を持っているか」

ではなく、


「どれだけ体験として残るか」
が価値になっていく。

 

情報は、いくらでも手に入る。

 

けれど、
“体験”は、そこに行かなければ得られない。

 

そしてその多くは、
オフラインの中にしか存在しない。

 


AI時代に残るもの


AIが発達すればするほど、
情報や知識の価値は、相対的に下がっていきます。

 

その競争から免れるもの。

 

それは、
本当の意味でのリアルな体験です。

 

触れること。
感じること。
時間をかけること。

 

そうしたものの中にしか、
立ち上がらない価値がある。

 

最初に触れた「手紙の小説」も、
まさにそのひとつだったのだと思います。

 

不便で、手間がかかる。

 

けれどだからこそ、
そこにしかない体験が生まれる。

 

そして今、人はそこに
お金を払うようになりはじめている。

 

時代は確実に、
次の段階へと移り変わっています。

 


手触りとしての知性へ


私たち真美文藝が大切にしているのも、
まさにこの「リアルな体験」としての知性です。

 

情報を知識として「知る」ことなら、
AIで十分にできる時代になりました。

 

けれど、

詩作を通して言葉の重みを感じ、
誰かの感性と自分の感性が交差する瞬間。

 

そのときに生まれる、わずかな震え。

 

それは、

効率化されたデジタル消費とは対極にある、
身体感覚を伴った、

きわめてアナログで贅沢な対話です。

 

どれだけ「自分という生身の人間」を、
その場に投じているか。

 

情報が溢れる時代だからこそ、
あえて立ち止まり、

手触りのある言葉を、ひとつひとつ紡いでいく。

 

不便で、ゆったりとしていて、
けれど確かに残っていくもの。

 

その“生の実感”こそが、
これからの時代を生きる私たちの、
静かな軸になっていくのだと思います。

 

皆さんは最近、
「画面の外」にある手触りに触れたのは、

いつでしょうか。

 

 

 

ヨルシカ「二人称」特設サイト