本当に自己肯定感のある人。


完璧な人なんていないけど、

私が参考にしてるのは、

うちの旦那さん。


私はどうしても、自己肯定感が低いので、
その視点でしか物が見れない。


彼は自己肯定感が高いので、見晴らしが良いようです。


わたしとはねじれの位置にある
自問自答をして、

素敵な答えを探してる。


私は「誰が悪いのか」
を考えているけれど、

彼は「どうやったら良くなるか」
を考えているし、

私が「あれが原因か」
と悩んでいると、

彼は「この結果を受け入れて、次はこうしよう」
と考えている。

私が「あの人が悪い、あの人が動かない限り、私はやらない!」
と責めていると、

彼は「ん? じゃ、業者に頼もうか」とか、「じゃぁ俺がやろうか?」

と、サラリと言っちゃう。


私は「この身を滅ぼしても一矢報いたい」
と恨んでいても、

彼は「みんなが気分良くいるためにはどうしたらいいかな」
って考えている。

私が「言わなくてもわかって当然じゃない?」
ってネチってても、

彼は「何でも言ってみないと始まらないよ」ってスタンスだし。


この人、なんであたしと結婚したんだろうね。


私だけかもしれないけれど。

毒親育ちの悪い癖として、

「なんでも親のせいにしちゃう」
って、あると思いません?


うまく行ってないのは親がしてくれなかったからだ、

なんて。

なんでもかんでも親のせいにすると、
一時的には楽なんですが、

成長しないんですよね。

なんでも人のせいにしてるわけですから。


こんな癖、やめたいですよね。


人(親)のせいにするのは、
結果を責めすぎるからかもしれません。

責められて生きてきたんで、仕方ないんですが。


本当に自己肯定感のある人は、

あまり失敗を「悪」だと思ってないようです。


失敗した自分を責めない。
(反省はするようです。)



誰も責めないでよくなると、

「この悪い結果は親のせいだ
(自分は悪くない)」

と、変な自己防衛しなくてすむのです。


よく「自分で選択して、自分で責任をとる」なんて言うけれど。

結構重い言い方かな、と。


それより、淡々と結果を受け入れる。

気に入らなければ方法を変える。

誰が悪いとかではなく。


誰かがボトルネックになっていたのだとしても、

それが条件なのだから、仕方ない。


そんな感じで。


そうすれば、誰が悪い! 結果が悪い!
と騒がなくて良いようです。

そういえば、さっきの記事の続きで。


私の毒父親の口癖が、

「親父に叱られる」だと、

母親が昔に言っていた。



数年前に一度、父が

「いまだに親父に叱られるか考える」

と、私に漏らした。


おじいちゃんは、もうだいぶ前に、死んでいない。

なのに、縛られてる毒父親。


今も、今度は自分の子供(私達)に受け入れられようと、
必死の自己アピールがイタイ。


自己肯定感がずっと低い。

自分で自己否定して、
苦しいから人に認められようと必死で。
人が思うようなリアクションをしてくれなくて、
怒る。


自分を優位にみせるために、
人をけなす。


格好つけるために、イキがる。


全部空回りどころか悪循環。


かわいそうな人。