幼稚園年少~小学1年生までお世話になった日本人学校へ。
孤軍奮闘でがんばる私を見守り支えてくれた当時の先生たちへの
感謝の気持ちがこみあがる再訪。

 

 

 

    

2022年9月。

 

自閉スペクトラムの大学生息子との親子旅で、

かつて暮らしたドイツ・ハンブルクを拠点に

ヨーロッパ各地を訪れました。

 

我が家は2005年夏から2012年末までを

駐在家族としてドイツと英国で暮らし、

ドイツ時代にASDと診断された一人息子を、

日本人学校・幼稚園に通わせながら、

家庭療育で育てました。

 

あれから10年以上が過ぎ、

大学生になった息子が

自分自身を理解する【自己受容】を深めるために、幼少期をふりかえってみたい

ということで、

 

コロナ禍で延期を余儀なくされた2年半を経て

ようやく、出発できました。

 

激変してしまった世界を

自閉症スペクトラムの息子の目線で

どう感じたのかも交えて綴る旅行記です。

 

【過去記事】

【1】海外で自閉症スペクトラム児を育てた思い出を振り返る旅①

 

【2】海外でASD息子を育てた思い出を振り返る旅② ドイツのマスク事情

 

【3】海外でASD息子を育てた思い出を振り返る旅③現地幼稚園クビ事件

 

【4】海外でASD息子を育てた思い出を振り返る旅④ 孤軍奮闘だった当時の子育てを思い出す

 

 

前記事の続きです。

 

2022年9月、

北ドイツの小さな町の

かつての住まいの近くを散策したあと、

 

息子が3年間お世話になった

日本人学校へ向かいました。

 

 

 

image

 

当時、天気の良い日には自転車で、

天気が悪かったり急いでいるときは車で、

時間に余裕がある暖かい日は徒歩でと

毎日かよったこの道路沿いを

懐かしみながら歩いていると

 

 

image

 

見えてきました。

ハンブルグ日本人学校。

 

あらかじめアポを取っていた

約束時間の午後2時に到着しました。

 

image

 

校門前にバス停があり、

ちょうど私たちが学校に着いたとき、

下校時のスクールバスが出発していきました。

 

 

出発するバスを見送っていると

当時の思い出がアリアリとよみがえってきました。

 

わたしの子育て人生の最大の

【どん底時代】は、

このハンブルク日本人学校に息子が通った

幼稚部から小学1年生までの3年間でした。

 

まだ息子のありのままを

受け容れきれていなかった

つらい心理状態だった当時の私は、

表向きは笑顔でがんばって、

家で一人で泣いて…という毎日でした。

 

そんなある日の朝、

幼稚部に息子を送り届け、

家に帰るときに、この校門前に立っていた

校長先生から

 

「お母さん、いつもがんばってますね。

お父さんは出張で留守がちとのことなので

お母さんは一人でたいへんですね。

大丈夫ですか?

悩みでも、愚痴でも、なにかあれば

いつでも校長室にお茶がてら話しに来てくださいね」

 

という優しい言葉をかけてもらい

張りつめた気持ちがゆるみ

ポロポロと涙を流したことがありました。

 

そして、本当に校長室で

校長先生や教頭先生に

相談に乗ってもらったことも。

 

日本から遠く離れたドイツの地で

日本の療育は受けられなくても

この日本人学校の先生たちに助けてもらいながら

手探りで息子を育てた記憶が読みがえり、

目頭が熱くなりました。

 

 

私がいつも

 

つらい気持ちにフタをせず

感情をそのまま感じて、出しましょう。

吐き出すことでスッキリして

いいかげん涙も枯れ果てるころには

きっと前を向いて

がんばろうと思える日が来るから。

 

と、悩めるお母さんに向けて

発信しているのは、

 

まさにあの時の

校長先生との思い出が原点になっています。

(校長先生、お元気かな…)

 

 

image

 

さて、

気持ちを整え直し、門をくぐり、
 

なつかしい建物の中へ入ると、

幼稚部時代の恩師ⅰ先生が

笑顔で出迎えてくれました。

 

i先生は、現地採用の先生なので、

2~3年任期で文科省から派遣されてきた

息子が当時お世話になった先生がたとは違い

いまも変わらずここで働き続けていて、

 

今回も面識のあるi先生に学校訪問の

相談をすることで

スムーズに学校見学のアポを取ることができました。

 

校舎内は、昔のまま変わらずで

懐かしい校舎内のホールや教室、

校庭などを見学。

(写真たくさん撮りましたが公開は控えます)

 

なつかしの幼稚部の教室で

ⅰ先生とゆっくりおしゃべりを…と

思っていたら、

 

現在赴任中の校長先生や教頭先生、

先生がたにもご挨拶する時間をいただけて

 

当時の海外での子育ての苦労、

親子でお世話になった思い出や

その後十数年の息子の頑張り、

そして現在は充実した大学生活を

送っていますと息子が語るのを聞いてもらったり、

 

わたし自身もここでの経験のおかげで

親としてのすごく成長できたことを

聞いてもらいました。

 

そして先生がたからも

今の日本人学校の様子や

ドイツの支援学校のこと、

ドイツのコロナの現状など

さまざまな話をうかがっていたら

 

あっという間に2時間が過ぎ、

帰る時間になりました。

 

 

 

このあと、幼稚部のi先生と

すぐにお別れしがたくて、

幼稚部の遠足で何度もいった森へ行ったことは

次の記事にて。

 

 

 

image

 

学校のお向かいにあるパン屋さん。

 

幼稚部の子どもたちが工場見学で

パンの生地をこねさせてもらったこともありました。

 

その時も、やはり私は保護者付き添いの一人として同行し、

子どもたちの可愛い姿をたくさん激写しました(役得ですね)

 

 

 

 

 

  海外で発達凸凹子育て中のお母さんへ

 

海外で発達特性のある子を育てている親御さんのためのオンラインおはなし会を定期的に開催中

発達凸凹子育ておはなし会@海外

 

 

 

他の人の前で話すのは今の自分には負担、個別に話を聞いてもらいたい、思考を整理しすっきりさせたい…そんなお母さんには個別相談も承ります

出口はこっち相談室

 

 

 

 

 

お問い合わせ、SNS