16~14年前に暮らした北ドイツの小さな町は
自然が豊かで昔と変わらない景色でした。

 

    

2022年9月。

 

自閉スペクトラムの大学生息子との親子旅で、

かつて暮らしたドイツ・ハンブルクを拠点に

ヨーロッパ各地を訪れました。

 

我が家は2005年夏から2012年末までを

駐在家族としてドイツと英国で暮らし、

ドイツ時代にASDと診断された一人息子を、

日本人学校・幼稚園に通わせながら、

家庭療育で育てました。

 

あれから10年以上が過ぎ、

大学生になった息子が

自分自身を理解する【自己受容】を深めるために、幼少期をふりかえってみたい

ということで、

 

コロナ禍で延期を余儀なくされた2年半を経て

ようやく、出発できました。

 

激変してしまった世界を

自閉症スペクトラムの息子の目線で

どのように感じるのかも交えて綴る

旅行記です。

 

【関連記事】

【1】海外で自閉症スペクトラム児を育てた思い出を振り返る旅①

 

【2】海外でASD息子を育てた思い出を振り返る旅② ドイツのマスク事情

 

【3】海外でASD息子を育てた思い出を振り返る旅③現地幼稚園クビ事件

 

 

 

初秋の風がさわやかに流れる

2022年9月の北ドイツ。

 

ハンブルク中央駅から電車で約30分の

むかし家族で暮らした町を訪れてきました。

 

 

 

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この建物が町役場。ドイツ語でRATHAUSといいます。

 

 

RATHAUSの前には

【マルクト広場】があり、

定期的に移動販売車のお店が立ち並びます。

 

この街町では、金曜日の午前中が

マルクトターク(Markt Tag)と言われる

朝市の日で、

 

新鮮な野菜やお肉、ソーセージやハム屋さん、

卵に魚に…と新鮮な食材を買うことができました。

 

 

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この日は水曜日だったので、

人気もなく静かなマルクト前広場で残念…。

 

 

ここにたたずんていると、

息子が日本人学校の幼稚部に通っていたときにあった

ここのマルクトで園児がお買い物体験をする、

というミニ遠足を思い出しました。

 

小銭を握りしめた園児が

お母さんに頼まれた「じゃがいも3個」とか

「りんご1個」、「お花一輪」など

ドイツ語でお買い物をするのです。

 

先生だけでは大人の目が足りないということで、

園側からは保護者1~2人の

付き添いを頼まれたのですが、

 

息子のことがあるので

たいてい私が行くことになり、

おかげで、集団の中での息子の様子を

近くで見守ることもできました。

 

息子は家庭内でマイペースに過ごす時より

集団行動の中で困ることが多いタイプだったので

園活動での息子の様子を見るのは

同級生の中にひとりだけ

小さな子が混じっているように見えて

 

切ない気持ちになったりもしました。

 

でも、息子自身の

ビフォー・アフターで比べてみると

確実に成長していると実感できましたし、

行事に付き添いのお手伝いをしたことは

良かったなと思っています。

 

 

 

町役場の目の前には、

 

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Sportplatz(シュポートプラッツ)と呼ばれる

地域の人たちがジョギングやサッカーなどができる

広大なグラウンドがあります。

 

幼かった頃の息子は、ここでよく

ボール遊びや自転車の練習をしたり、

 

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卓球をしたり…、

 

 

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遊具で遊んだり、

 

 

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四葉のクローバーを探したり、

どんぐりを拾ったりしていました。

 

 

当時の息子はいつも、

お友だちと関わって遊ぶより

ひたすら自分自身の興味のむくまま

一人でマイペースに遊ぶのが好きで

 

わたしは、

お友だちとうまく

関われない息子を眺めながら

 

「ふつうの子だったら、

仲良く一緒に遊べるのに…」

 

と悩み、落ち込む毎日でした。

 

あのころはまだ、私自身が

息子の特性を受容できていなかったんですよね。

 

 


 

 

 

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グラウンドから歩いて1分のところにある

昔の住まいのほうへ。

 

今は知らない方がお住まいなので

じろじろ…にならないように

遠くから付近をながめました。

 

この区画の家はお隣と壁がつながった

テラスハウスになっていて

地上3階建てで、地下室もありました。

 

当時の我が家では

地下室を息子の遊び場にして

ジャングルジムやボールプールを置きっぱなしにしたり

鉄道おもちゃのレールを張りめぐらせたままにして、

氷点下になる真冬でも、地下室で

思いっきりからだを動かすことができました。

 

 

 

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朝にはいつも行列ができていた

地元のパン屋さん。

 

 

当時は、海外在住のせいで息子に

日本の療育を受けさせることができない

と悩んだ時期もありました。

 

 

この場所で息子にとっての最善策をと

ドイツのかかりつけ小児科で

相談に乗ってもらったりもしましたが、

日本語での家庭療育のほうがよいだろうから

ドイツ語での療育は息子には不要

という主治医の考えで、

 

唯一、身体を動かす

クランケンギムナスティック(Krankengymnastik)

という運動セラピーだけを

週1回30分の個別レッスンを受けていましたが、

 

それ以外は、このドイツの環境の中で

私ができることを試行錯誤でやるしかない

孤独なワンオペ育児、家庭療育でやってきました。

 

ここが日本なら

詳しいひとに相談したり

指導してもらえるのに…とか、

いろいろな療育を受けることができるのに…

と、無いものねだりで焦ったりもしました。

 

でも、十数年をへて

ひさしぶりにこのドイツでの生活を思い返してみると

 

豊かな自然や、広々とした家で

五感を刺激しながらノビノビと

育てることができたことや、

 

園児が十数人という小規模な

日本人幼稚園だったので

目が行き届いて丁寧な保育をしてもらえて

 

逆に幸せだったのかも…と

いう気がしてきました。

 

どんな境遇でも、

どんな状況でも、

そのなかで、最善を尽くす。

 

 

日本から離れたこの場所で

息子をどう育てるかを

常に自己責任で考える毎日のおかげで

わたし自身も成長することが

できたんだなと

あらためて感じました。

 

「あのとき苦労したおかげで今がある」

と思えるようになれて幸せです。

 

 

 

 

 

息子自身は、

この公園の片隅の遊具で遊んだことや

ここで自転車の補助輪を外して走れるようになったことを

しっかり覚えていて、

 

「またココに来れてよかった!」

 

と笑顔で言っていました。

 

 

 

 

 

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