天壽を全うが當り前なら、肉體を背負う不自由から解放する 死は、歓喜と祝福の憧れと感謝だけの筈。特に近代文明では 有り得ない程の競爭の挙句支配と隷属の条件だけのご都合愛の悲哀劇の最中に於『千載一遇』チャンスに違いない。生誕を憂い死を祝う亊が本道。本末転倒の現代⚡
チベット密教でも日本の傅統でも
大往生は祝福の対象ですし、仏になる=仏陀になる➡涅槃に入ると、最髙の歓びの対象なんです。それは、天壽を全うする=天命を生ききる➡いつ肉體から解き離れても、悔いはないのが生命です。動 植物も縄文人も死を自然などちらかと言えばあるいは 壓(圧)倒的に肯定的な出来亊だったのです。
自我を中心とした近代西洋独特の生死観に翻弄(ホンロウ)されるのをやめませんか。在るが儘に、眞心の儘、本能の儘生きて、天壽を全うする事で死は はんなりと=偠(タオヤカ)に華やぐと想います。