
最後の審判 54
神社、仏閣には神は存在しない。
神はすべての現象、万物、万象を完全に超越した存在である。
それらは人心が投射した幻影てわあり欲望と情念を基盤とする利己神であった。
神はすべての物質と生命から超越しており個人の運命を関知しない存在である。
神とは無限のエネルギーであり物質という偶像ではない。
したがって神社、仏閣は人間の個人的な欲望の集積場でありそのような場所には神は存在しない。
御賽銭を箱に投げる、これは神に対する冒涜でもある、
神は項言うだろう。私は物質や偶像ではない。偶像は貴方達の利己的な想念、欲望達成の化身であると、それが神社、仏閣であると。
貴方達が真に信仰し、礼拝したのであれば私は貴方の心の中、家、森、海にいるからそれを信仰すればよい。
いったいいつになったら貴方達は私がここにいるのを気づくのだろうか、私はいつも貴方達の心にいる。
そう神は人類が真の神の姿に覚醒するのを待っていることだろう。
信仰とは個人と神の一対一で話すことである。偉大な仏教の開祖、仏陀は断食と瞑想の極限で、つまり涅槃の世界でこの世の神をとらえたのである。